第2話 目覚め

「――んっ、うう……」


 ベッドで横になっていた男が目を覚ます。


(……ここは?)


 男はゆっくりと上体を起こし、周囲を見回した。


 目に入ったのは、木製の机に鍵付きの豪華な木箱。

 さらに大きな衣装棚があり、その隣には使い込まれた鎧と大きな剣が飾られている。


 見慣れた光景にその男――ベンゼル・アルディランは自分がどこにいるのかすぐに気付いた。

 ハーヴィーン王国の王都シャントリューゼ。城近くにある兵舎の自室だと。


(俺は確か――)


 ぼんやりとしている頭を必死に働かせ、記憶を辿る。


 魔王ヴァルファーゴとの対面。

 息も絶え絶えな仲間達の姿。

 意を決したようなルキウスの顔。

 遠ざかっていく三人。

 そして視界を埋め尽くした白い光。


 そこまで思い出したところで、ベンゼルはふいにベッドから立ち上がった。

 よろめきながら窓際まで歩いてカーテンを開くと、暗い部屋に日の光が差し込む。

 外を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。

 かつての闇はどこにもない。

 それはつまり、魔王が死んだということで――


「……そういうことか」


 少し考えて、ベンゼルはようやくルキウス達の話の内容を理解した。


 今思うと、彼らが言っていたアレとは多分魔法のことだ。

 それも会話の内容から察するに、発動すれば術者がただでは済まないほどの。

 三人はその魔法を協力して唱え、魔王を打ち滅ぼしたのだろう。……恐らく命を代償にして。


 そう考えるとルキウスの行動にも納得がいく。

 自分は魔法を全く使えない。

 だからあの場にいても何の役にも立てず、ただただ魔法に巻き込まれて命を落とすだけ。


 それを防ぐためにルキウスは自分を城の外に吹き飛ばした。

 きっと、『無駄死にすることはない。せめて君だけでも生きてくれ』という意思を込めて。


(ルキウス、ゼティア、フィリンナ。……すまない)


 俺に魔王を倒せるだけの力があれば。

 自分の非力さに対して怒りをぶつけるように、机を思いっきり殴りつけた。

 かと思えば、その場にくずおれ嗚咽おえつを漏らす。

 珍しく情緒不安定な状態に陥るベンゼル。


 だが、彼は強かった。

 数十分が経って平静を取り戻すとベッドに腰掛け、過去を悔やむのではなく、これから彼らにしてやれることを考え始めた。


「『代わりに世界を見て回ってくれると嬉しいな』、か」


 答えはすぐに見つかった。

 彼らの分まで平和になった世界を見て回ろう。

 そうベンゼルが決意した瞬間、


「しょ、しょっ――」


 後ろから声が聞こえてきた。

 振り返ると、自室の入り口に若い男が立っている。

 見覚えのある顔だ。部下のうちの一人だろう。


「少佐っ! お目覚めになられたんですね! よかった、本当によかった」

「あ、ああ。心配を掛けたようだな」

「それはもう! この二年、もう目を覚まさないんじゃないかと毎日不安で……」

「……二年?」

「あっ、はい。少佐はこの二年間、ずっと寝たきりで」

「……そうか。俺はそんなに」

「はい。でも目を覚まされて本当によかったです! 陛下もお喜びに……って、そうだ。陛下にお伝えしないと!」

「ま、待て!」


 背中を向けて走り出した部下を焦りながら呼び止める。

 すると部下は急停止し、再びこちらに向き直った。

 間に合ったことに「ふぅ」と安堵の溜め息を吐くと、ベンゼルはベッドから起立した。


「俺も行こう」

「えっ? でも、お身体のほうが」

「大丈夫だ、心配ない」

「……そうですか。では一緒に参りましょう」

「ああ。っと、その前にこの格好をどうにかしないとな」

「そうですね。さすがに寝間着で謁見する訳にもいかないですし」


 その言葉にベンゼルは頷くと、衣装棚に向かってゆっくりと足を動かす。

 一歩、二歩、そして三歩目を踏み出した瞬間、足に力が入らず転倒してしまった。


「――大丈夫ですか!?」

「ああ。少しふらついただけだ」


 駆け寄ってきた部下の肩を借り、ベンゼルは何とか立ち上がった。

 その様子に部下は不安そうな表情を浮かべる。


「や、やっぱりお休みになられていたほうがいいんじゃ」

「……本音を言えばそうしたいところだが、あの陛下のことだ。俺が目覚めたと知れば、すぐに顔を見に来てくれるだろう」

「はい、陛下なら間違いなく」

「それは本当にありがたいことだが、陛下にご足労そくろうを掛ける訳にもいかないからな。多少無理をしてでも俺のほうから行かねばならんのだ」


 ベンゼルが苦笑いを浮かべると、それに釣られて部下も苦笑した。


「確かにそうですね。でもご無理はなさらず」

「ああ、ありがとう」

「はい! じゃあ、支度が終わるまで僕は部屋の前で待ってますね。何かあったら言ってください」


 そう言うと、部下の男は部屋から出ていった。

 バタンと扉が閉まったのを確認して、ベンゼルは衣装棚を開く。

 中から黒を基調とした軍服を手に取ると、寝間着を脱ぎ捨て着替え始めた。


(ん?)


 途中で軍服が大きいことに気付く。

 不思議に思って衣装棚の隣に置いてある姿見の前にずれると、目を見開いた。


「……これが、俺?」


 鏡に映っているのは、無造作に伸びた髪とヒゲがみすぼらしい細身の男。

 一般的な成人男性よりかは少し筋肉質だが、それでも以前の自分と比べると弱々しい。


 まるで別人のようになっている自分の姿に愕然がくぜんとすることしばらく。

 突然、ベンゼルは「フッ」と笑った。


(二年も寝たきりだったのなら筋肉がおとろえるのも当たり前か。むしろ普通に話せて歩けているだけでも凄いことだ)


 きっと陛下が腕利きの治療師を集めて、自分を治療してくれていたのだろう。

 そう考えたベンゼルは心の中で王に感謝しながら、着替えを続ける。

 そして剃刀かみそりでヒゲを剃り、くしで髪を整えると再び姿見の前に立った。


「……まあ、これならいいだろう」


 軍服がぶかぶかでみっともないが、他に適切な服など持っていないし仕方がない。

 自分を無理やり納得させると、ベンゼルは「よし」と呟いて部屋を出た。

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