勿忘草④

「男の子かぁ。名前なにがいいかなぁ……」


 若菜は嬉しそうに自分の腹を優しく撫でる。

 あれから、若菜の強い希望で大和が暮らしていた街で暮らすことになった。

 大和は若菜の住んでいた場所の方が良いのではと伝えたが、「一度くらい都会に住んでみたいです」と大和の提案はあっさり却下されてしまった。

 そして若菜が新しい街での生活に慣れ始めた頃、二人は新しい命を授かった。

 おそらく男の子が生まれるだろうと医者に言われており、若菜は本を広げながら嬉々として頭を悩ませていた。


「大和さんはこんな名前がいいとかありますか?」

「そうだね……まこと、はどうかな」

「誠?」

「誠実に、まっすぐに、信念を持って育ってほしいという思いを込めてみたよ」


 子供が生まれたらこんな名前がいいというのは、大和もぼんやりと考えていた。

 しかし、若菜はそれ以上にたくさんの候補を挙げており、自分の案は埋もれるだろうと大和は思っていた。

 だが大和の予想に反して、若菜は目を輝かせて見ていた本を勢いよく閉じる。


「いいですね! 誠にしましょう!」

「若菜さんだって他に候補を挙げてくれていたし、ゆっくり考えよう。それに、まだ男の子だと決まったわけじゃないよ」

「私がビビッと来たので誠がいいです! 女の子も誠ちゃんでいけますよ」


 若菜は一度も大和の意見に反対したことがなく、大和はそれを少し心配していた。

 しかし、若菜は本心から大和を肯定しているらしく、そこまで自分を信用してくれているのだと大和は嬉しくなった。

 そして若菜が願った通り男の子が生まれ、その子は誠と名づけられた。

 生まれてから一年間は育児休暇を取ったが、その後は誠の成長と比例するように仕事が忙しくなっていき、休日に遊ぶことや行事に参加できないことが増えていった。

 そのたびに若菜には何度も頭を下げ、「私は先生をやってる大和さんが好きなので」と若菜は言っていた。


「すみません」

「どうしたんですか?」


 子供の成長は早い、という言葉があるように、誠はあっという間に小学生になり、大和が知らない間に様々なことを覚え成長していた。

 そして誠は思春期に差しかかる頃になったためか、大和と会話をする回数が少しずつ減っていた。

 大和はいつものように日付が変わる前に帰宅すると、若菜はまだ起きており、大和はその姿を見て先ほどの言葉を申し訳なさそうに口にした。


「仕事を言い訳にしたくないが、あまりにも若菜さんにすべてを任せてしまっている」

「いいんですよ。それが私の仕事ですから。それに、遅くなった時は寝てる誠の様子を見にきてるじゃないですか」

「誠と顔を合わせる回数が減ってきたせいか、誠が私を避けてるように思えてしまって……」

「恥ずかしいだけですよ。あの子も年頃ですから」


 若菜は微笑んで大和をさとすが、大和はどうにも納得できなかった。

 最近の誠の話は若菜から聞くことがほとんどで、誠が寝たあとに帰宅し、誠が起きる前に仕事に出かけるのが大和の日常になっていた。

 そして若菜は口にしていないが、若菜は日に日に外に出る回数が減っていた。

 若菜の性格から心配をかけさせまいとしているのだろうが、大和は若菜の体調がよくないことに薄々気がついていた。


「話は変わりますけど、この前誠が『俺は将来守護者になる』って言ってたんです」

「そうだったのか。それは楽しみだね」


 先日、異能力の検査で誠は若菜と同じ《刀》の異能力であることが分かっていた。

 自分と同じ守護者を目指すのなら、これからはそれに関わる話もたくさんできそうだ、と大和は眠る誠の様子を見て心を躍らせた。

 そんなある日、大和は若菜と誠を連れて病院に向かっていた。

 若菜のことについてなのか、誠は別室に待機してもらい、大和と若菜は医師から呼び出された理由を聞いていた。

 しかし、医師から告げられたのは大和の予想とはまったく異なる言葉だった。


「誠が、魔力欠乏症……?」

「重度のものではありません。おそらく異能力の具現化は問題なくできますが、通常より魔力切れになりやすいでしょう」


 それは、大和が誠の将来の夢が守護者であることを知ってから一ヶ月も経たない日のことだった。

 なにも言えない大和と若菜に、医師は二人の表情からなんとなく察しつつも淡々と告げていく。


「ただ、魔分子の量は基準より高く、それはお父様の遺伝かと。そのおかげで日常生活に支障が出ることはなさそうです」

「誠は、あの子は……守護者になれますか?」

「可能であれば、異能力を使わない仕事に就く方が、お子さんの体を考えたら現実的かと」


 医師との話が終わり、待合室で再開した誠はもちろんなにも知らされておらず、「なんの話してたの?」と聞き返された大和も若菜は、なにも声をかけることができなかった。


「言えないなぁ。あんなに守護者に憧れてるのに……」


 その夜、若菜がそんな言葉をつぶやいて泣いていたのを、大和は黙って慰めることしかできなかった。


——なぜ、不幸な出来事は重なるように起こるのだろうか。


 大和は自分が家族との時間を十分にとれなかったばちが当たったのではと自分を恨んだ。

 若菜が家で倒れ、緊急入院したと連絡が来た。

 家にいた誠から連絡が来ていたが大和は会議のために気がつかず、病院から来た電話で若菜が倒れたことを知った。

 急いで向かった病院で会った時の誠の冷め切った目は、大和は今でも忘れることはできなかった。


「若菜さん、実家に帰って療養しよう。あそこの空気はとても綺麗だ」

「大和さんのお仕事はどうするんですか?」

「私の仕事を考えてる場合ではない。若菜さんの体調が第一だ」

「誠もせっかくこっちでお友達ができているのに、今さら離れるなんてかわいそうですよ」


 点滴が繋がれている若菜は、今までの笑顔が嘘のように弱々しく笑っていた。

 若菜が入院してから、誠は幼いながら家事のスキルを身につけていき、誠の面倒も若菜の両親が見るようになっていた。

 この頃から誠は若菜の両親に懐き、大和と誠の会話は目に見えて減っていた。

 医師から「できる限り奥様との時間を作ってあげてください」と言われており、それがなにを意味するのか理解していた大和は、面会時間に間に合う日は毎日若菜に会いに行っていた。

 しかし、日々の仕事やストレスが積み重なって若菜と数日ぶりに会った大和は、安堵あんどしたのか近くにあった椅子に力なく座り込む。

 そんな大和に、若菜は「いつもお疲れ様です」と大和の手を握る。


「若菜さんも、お義父様もお義母様も、なぜこんな私に優しくしてくれるんだ……」

「家族なんですから支え合うのは当然ですよ。両親も誠と遊べて楽しいって言ってましたよ」

「二人がいてくださるなら、私はなんのためにいるんだ。仕事ばかりで、父親としてなにもできていないじゃないか……」

「大和さんは立派なお父さんです。大和さんがいるから私も誠も生きてるんですよ」

「はは……きっと誠は私のことを嫌っているだろうな」

「そんなことないですよ。ただ、私もこんな状態ですし、誠にはつらい思いをさせてるかもしれませんね」


 ですから、と若菜は続ける。


「誠が守護者になりたいって言った時、否定せずに話を聞いてあげてください」

「もちろんだよ」

「…………それと、私のお墓、供えるならひまわりでお願いしますね」


 なんて不謹慎なんだと大和は言い返したかったが、大和を見る若菜はすべてを悟ったような表情で。

 下を向けば泣いてしまいそうな大和は、ぐっとこらえて痩せた若菜の手を握りかえす。


「約束するよ」


 それからまもなくして、若菜は永い眠りについた。

 誠とのコミュニケーションは減っていく日々だったが、大和は誠のことをいつも気にかけ、若菜の両親が来た日にはなにがあったのかをすべて聞くようにしていた。

 そんなある日、誠から預かった、と大和はある冊子を渡される。


月城つきしろ学園ですか……」

「守護者育成の学校なんだってね。誠くんが守護者を目指すにはぴったりだと思うよ」


 学校案内のパンフレットに目を通しながら、若菜の父親が嬉しそうに話すのを聞いていた。

 大和も守護者の一人であるため、月城学園のことは知っていた。

 月城学園は守護者育成のために設立された中高一貫校で、教職員は全員守護者の資格を持っているという名門校である。

 月城学園の授業は通常の授業とは別に異能力の授業があり、それについていけない生徒が夢半ばに学校を去ることが多くあった。

 もちろん誠の夢を応援しないわけはないが、病気のこともあり、授業についていけるか不安に思っていた。

 しかし、そんな大和の不安をよそに誠は試験に合格し、月城学園へと入学した。

 誠が月城学園に入学してから一年ほど経った頃、大和は勤めている学校の校長室に呼ばれていた。


「緑橋くん。君は守護者としてのスキルもあり、教育者としての経験もある。そんな君をぜひ校長にと話が来ている」

「ありがたいお話です。ちなみに、どちらからその話が?」

「月城学園だよ。君ならもちろん知っているだろう?」


 校長からその学校の名前が出て、大和は喜びより戸惑いの感情が上回った。

 月城学園の校長となれば、教育の現場に立つ守護者として一流であることが認められたに等しい。

 大和は校長の話を今すぐにでも了承したかったが、誠が現在通っている学校に校長として着任すれば、誠がどんな感情を抱くのかは想像に難くなかった。

 それに、誠自身も校長の息子として、今とは違う目線で見られることは間違いない。

 しかし、誠を気にかけて優しい言葉をかければ、贔屓ひいきだとか、身内にはあのような態度なのかと言われる可能性は大いにある。

 だが、今回来た話を断りたくはなかった。

 大和は他の仕事が手につかないほど悩み、丸一日経って結論を出した。


「皆さんはじめまして。本日付けで校長に着任しました、緑橋大和です」


 誠とは今さら修復できない大きな壁ができていた。もしかしたら今よりさらに関係がこじれるかもしれない。

 大和は悩んだが、誠が月城学園で守護者を目指す一人として育つためなら、そして近くで見守れる手段があるなら。

 そこから大和は、子供の夢を応援する父ではなく、月城学園の校長という立場から誠を見守ることに決めた。


   * * * * *


「おかえりなさい」

「……ただいま」


 大和が部屋から顔を覗かせると、誠はそっけないながらも大和と目を合わせ、自室に戻っていく。


「若菜さん。誠は守護者を目指すそうだよ」


 大和と誠がいつぶりなのか分からない食卓を囲んでした会話は、誠の将来についてだった。

 人より魔力が少ない、異能力の才能はきっとない、それでも守護者になりたいと誠は言った。その意思の強さは誰がなにを言っても揺らぐものではなかった。

 誠の同級生が事件を起こし、そのせいで誠は守護者の夢を諦めてしまうかと危惧きぐしたが、それは大和の杞憂きゆうに終わった。その事件は一層誠が守護者を目指すための理由の一つになったらしい。

 自分が見ていなかった間に息子はこれほどまでに成長していたのかと、大和は否定することなく黙って誠の話を聞いていた。

 話を聞いたあと、「誠がやりたいことをやりなさい」とだけ言い、病気のことは未だに伝えられていなかった。

 ただ、守護者を目指すならば、いつかは必ず伝えなければならない。それは明日かもしれないし、一ヶ月後、一年後、それより後かもしれない。


「若菜さん。不器用な私たちを、これからも見守っていてほしい」


 つい先日、初めて誠と墓参りをした時、若菜の話を聞かせて欲しいと誠は言った。

 その時にはこのノートも見せてあげよう、と大和は机に広げていた色あせた数冊のノートを閉じ、本棚に戻した。




 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。


 こちらは二章に関わる番外編のため、『色彩の守護者』の二章を再度お読みいただけたら嬉しいです。

 『色彩の守護者+』は不定期更新のため、今後もエピソードが書け次第更新していきます。


 これからも応援のほど、よろしくお願いいたします。

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