勿忘草②

 若菜と生徒たちがそんなやり取りをしていた数分前。

 大和はコーヒーを飲みながら、職員室で報告する日報と書類をまとめていた。


(今まで実技をしていなかったとは思えないほど吸収が早い。座学の成績もいいし、この学校が選ばれてよかった)


 基礎も全員がしっかりと身についており、大和の見よう見まねで応用をする生徒もいた。

 本来の大和の予想では、異能力といえど授業であり、生徒たちはそれほど真面目に取り組まないと思っていた。しかし、今受け持っている生徒たちはそれをいい意味で裏切った。

 予定より早くレベルを上げても問題なさそうだ、と表情には出さなかったが、大和は自分の指導についてきてくれることの嬉しさを感じていた。

 報告を終えた大和が身支度をしていると、職員室に一人の女子生徒が飛び込んできた。


「緑橋先生! 来て!」

「どうしたんですか。騒がしいですよ」

「草壁先生が!」


 女子生徒は大和の服を掴み、大和は引っ張られるようにして職員室を出る。

 その様子からただ事ではない雰囲気を感じていたが、校庭に出ると、数人の生徒に囲まれて若菜が倒れていた。


「草壁先生!」


 大和が駆け寄って若菜を抱き起こす。

 呼吸は浅く、顔は血の気がなく真っ白で、普段の明るい様子から想像もつかない若菜に大和は血の気が引く。

 大和の呼びかけに若菜はぼんやりと大和を見る。顔は大和を見ているが、視点は定まらないまま弱々しく笑う。


「だぃ、じょうぶ、です……」

「それが大丈夫に見えますか!? 君たち、養護教諭の先生と、可能であれば医者を呼んでください!」


 その後、大和の的確な指示で若菜は保健室に運ばれ、養護教諭と駆けつけた医師によって適切に処置がなされた。

 呼ばれた医者は昔から若菜のことを診ているらしく、また倒れたら連絡してほしい、と慣れた手つきで診察をしていた。


「……なるほど。草壁先生の異能力が見たいと言ったと」


 大和は別室で、その場にいた生徒たちから話を聞いていた。

 異能力が見て見たかったこと、具現化をしたら若菜が倒れたこと、自分たちが若菜に異能力を使ったわけではないこと。

 生徒たちは自分たちのせいで若菜が倒れたと分かっており、すらすらと言葉は出てこなかった。

 ただ、大和もこの一ヶ月で生徒たちのことはそれなりに理解しており、わざとそのようなことをしたのではないと分かっていた。


「大まかな事情は分かりました。ただ、君たちが言うことは他にあると思いますよ」

「……ごめんなさい」

「それは明日以降、草壁先生にもきちんと伝えてください」

「はい……」

「異能力が自在に操れるようになったのも素晴らしいことです。ただ、私に無断で異能力を使ったことは反省しなさい」


 生徒たちを帰し、若菜の様子を見ようと再び保健室に戻る。

 保健室のドアを開けると、若菜は寝ているはずのベッドから立ち上がってストレッチをしていた。


「草壁先生、まだ安静にしてないと……!」

「いえ、もう大丈夫です。心配をおかけしてすみません」


 焦る大和とは裏腹に、若菜はいつもの笑顔を見せながら大和に深くお辞儀をする。

 今日含め、ここ最近若菜は体調が悪い様子もなく、大和からはいつも通りに見えていた。もしかして体調が悪いのを隠していたのか。

 そんなことを考える大和の視線に気がついたのか、若菜は気まずそうに視線をそらしてつぶやく。


「実は私、異能力が使えないんです」

「……すみません、異能力が使えないとは?」

魔分子まぶんし欠乏症けつぼうしょう魔分子まぶんし回復かいふく機能きのう亢進症こうしんしょう、って言って伝わりますか?」


 医療分野は大和の専門ではなかったが、知識として記憶の片隅にあった。

 魔力欠乏症は、魔分子自体が自らの力では制御できずに一方的に消耗されていく病気の一つである。

 また、魔分子回復機能亢進症は、魔力として消費された魔分子が回復しようと体内で過剰に働いた結果、魔分子ではなく本来の人間の生命力自体を奪っていくという症状があらわれる。

 どちらとも異能力に関わる重大な病気だが、未だに明確な治療法が見つかっていなかった。

 そしてそのふたつの病が併発しているということは、若菜は魔分子にじわじわと命を削られていることに等しい。


「異能力を使うための魔分子に命を奪われるなんて、おかしな話ですよね」


 魔力切れの状態なのに異能力を使えば倒れることは間違いなく、それどころか普通に生活することさえ困難かもしれない。

 医者が若菜をよく診ていると言っていたのも、過去に何度か同じようなことが起こっていたのではないかと大和は推測する。


「こんな体じゃ守護者にはなれないし、せめて座学を教えたいなって思ったんです」


 守護者を目指す中で、異能力の才能がないからとその道を諦める者は多かったが、そもそも守護者を目指すことさえ叶わない者がいるという現実に、大和は若菜にどう声をかければいいのか分からなかった。

 一方、若菜はそんな大和の表情からなにを考えているかは察していた。

 異能力を使えて当然の世界で、異能力を使うことができない人間なんて出会ったことがないだろうと若菜は内心自嘲する。

 未だになんと声をかけるか迷っている大和を見て、若菜は微笑みながら寝ていたベッドを整える。


「先生。お詫びといってはなんですが、うちに来ませんか? ちょうど母が夕食を用意している時間なので」

「いえ、お気持ちは嬉しいですが、草壁先生のご家族にご迷惑でしょうから」

「迷惑かは私たちが決めるんですよ。ほら、行きましょう!」


 先ほどまで倒れていたとは思えない若菜に大和は戸惑いつつも、身支度をして若菜についていく。

 外に出ると初夏独特の涼しさが大和の肌を包む。日が長くなってきたのもあり、まだあたりは完全な夜にはなっていなかった。

 大和の住んでいる街にあるようなビルも、街頭広告も、喧騒けんそうもここにはなかった。あるのは豊かな自然のみ。

 こんな環境で育っていれば、自分も今とは違う風に成長していたのだろうか、と大和がぼんやり考えていると、若菜は木造の平屋建ての前で立ち止まる。


「ただいまー!」

「おかえり、若菜。おや、そちらは……」

「緑橋先生!」

「あぁ、異能力を教えているっていう先生ね。いつも若菜がお世話になってます」


 若菜の母らしき壮年そうねんの女性が小さくお辞儀をする。


「緑橋です。こちらこそ、草壁先生にはお世話になっています」

「きっと若菜に無理やり連れてこられたんでしょうね。狭い家だけどどうぞ」

「いえ、草壁先生を送っただけで、そんなつもりは……」

「外ももう暗くなるし、誰も迷惑だなんて思わないから上がりなさい」


 穏やかだが有無を言わせない口調に、大和はなにも言い返せず、「お母様がよろしければ……」と大和は玄関に足を踏み入れる。

 木造らしい木の匂いと、今日の夕食であろう出汁だしの香りが混ざり合い、大和は一気に居心地の良さに包まれる。

 程なくして夕食ができあがり、大和は若菜、若菜の母、そして仕事から帰ってきた若菜の父親と食卓を囲んだ。

 大和自身もそれなりに自炊はするが、自分以外の手料理を食べるのはいつぶりだろうか、と大和は若菜の母が作った料理を食べながら考えていた。

 若菜が異能力を使って倒れたことを話題にすると、若菜の両親から「すみませんが、若菜をしっかり見張っていてください」と頭を下げられてしまった。話を聞くと、昔から異能力を隠れて使おうとして同じように倒れたことがあるらしい。

 その話はしないで、と笑いながら箸を進める若菜を見て、大和は保健室での若菜とのやり取りを思い出す。

 もしかしたら、若菜は普段から本当の気持ちを押し殺していたのかもしれない。

 しかし、この和やかな場でそれを尋ねることはできず、代わりに大和は温かい味噌汁をすすった。


「お邪魔しました。長居してしまって申し訳ありません」

「いいえ。引き止めたのは私たちですから。先生も大変でしょうから、なにかあったらすぐに頼ってくださいね」

「ありがとうございます」


 それから季節は巡り、あっという間に一年が経った。

 今回大和が派遣されたプログラムは一年間という限定的な期間で、プログラムを終えた大和は住んでいた街へ戻ることになった。

 若菜が倒れて以降は大きなトラブルもなく、生徒たちは大和の予想以上に異能力を扱えるまで成長した。


「短い間でしたが、お世話になりました」

「大和くんとせっかく仲良くなれたのに、もうお別れだなんて」

「暇になったらいつでも遊びにおいでね」


 若菜の両親の優しい言葉に、大和は深くお辞儀を返す。

 若菜が仕事終わりに夕食を食べよう、と定期的に大和を家に連れてきていたため、若菜の両親とは実の親子のような仲になっていた。

 楽しみのひとつだったあの時間がなくなってしまうのか、と大和は寂しさを覚える。


「先生、このあと少しだけいいですか?」


 そう若菜に言われ、大和は若菜についていく。一年の間にすっかり慣れた道を歩き、若菜はひとつの大きな畑の前で立ち止まる。

 そこには育ち始めの小さな芽が均等に生えており、若菜はそれを見つめながら嬉しそうに大和に話しかける。


「毎年、この畑でみんなでひまわりを育てるんです。去年は台風とか雨が多かったから、先生に見せられなかったのが残念です」

「そういえばおっしゃっていましたね。代わりに教室で小さな花を育てていたのも懐かしいですね」


 今年の夏はここにたくさんのひまわりが咲いているのだろう、と一面が黄色に染まった光景を想像する。

 若菜とその景色を見て感動を分かち合いたかった、なんてことを大和は考えたが、また来る保証もないために、そんな無責任なことは言えないと大和は言いかけた口を閉じる。

 そのまま若菜は駅まで見送りに行き、別れ際に大和の大きな手をがっちりと掴んで握手をする。


「緑橋先生」

「なんでしょうか」

「…………いえ。先生、お元気で」

「……はい。草壁先生も、お身体には気をつけてくださいね」


 笑顔で最後の挨拶を交わすが、大和も若菜も、この手を離したくないと心の中で思っていた。

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