第17話 温泉の都
ハイオーク討伐の特別報奨として高級旅館宿泊券を手に入れた俺たちは、温泉の都クライムへ足を伸ばした。もちろん今回は馬車で。
「いかにも温泉街って感じだな」
クライムの街は山林近くにあり、至るところを温泉の川が流れている。街中には温泉旅館が立ち並び、浴衣のような服を着た観光客らしき人が目立つ。
「タスクさん、レン、見てください! 川から湯気が出ていますよ!! ちょっと足でも浸かっていきましょう!」
そう言って石畳の大通りから木の柵を超え、川へ下るノエル。
「あ、おい! ちゃんと温度を確かめたほうがいいって」
ノエルを追って川へ向かう。硫黄泉というのか、腐った卵みたいな臭いが段々と強くなってくる。
「大丈夫ですって、空気に触れてるんですから多少……」
硫黄で茶色っぽく変色した川べりに着いたノエルが靴を脱ぐ。長いスカートをたくし上げると、ほっそりときれいな曲線を描く脚があらわになり……
「あっづ!!」
ふくらはぎの中頃まで突っ込んだ脚が真っ赤に染まり、のたうち回るノエル。
「……ノエルは軽率すぎる。このお湯はこう使うのが正しい」
そう言うといつの間に買ってきたのか、三つの卵がネットに収まったものを川に沈め、ネットの端に石で重しをするレン。
それから待つこと数分。
「できた、ゆで卵」
レンが川から取り出した卵を風にさらして、冷ましたものを俺とノエルに手渡す。
「硫黄の臭いがべったりですね……本当に食べられるんですか、これ?」
怪訝な表情で疑うノエル。レンがジト目で反論し
「絶対美味しい、安心して食べていい」
「まあレンがそこまで言うなら……はむ」
ノエルがかぷりと卵をついばむ。恐れを拭いきれていないのか、食べさしから黄身が軽く覗く程度。
「ん、美味しいです! 鼻に抜ける香りが絶妙にマッチしてますよ」
「良かった。タスクも食べて」
ノエルの反応を見てレンはどこか得意げだ。いつの間にか胸など張っているように見える。
「どれどれ、じゃあ俺も……」
そう言って殻剥きを済ませた卵を口へ運ぼうとした瞬間。
「あのぉ、この手を放してはいただけませんでしょうか?」
「おいおい、ねーちゃんよぉ、付いてきたってことは合意の上だよなあ?」
俺たちが降りてきた大通りから品のない男の声が響く。その手は少女の腕を道路脇の柵に押し付けており、同じくガラの悪そうな男たちが4人ほど脇を囲んでいる。どうやら少女の手を取る男がリーダー格のようだ。
「私はただ街を案内していただけると伺ったのですが……」
柵を背にした少女は困惑した声を上げる。桜色の長髪が特徴的な少女だ。後ろ姿は華奢で、とても男たちに抵抗できるとは思えない。
「ぎゃははは!! そんなの信じてやがったのかよ、嘘に決まってんだろ、悪いお兄さんには気をつけな」
取り巻きが無知を笑うように声を上げる。
「おら、こっち来い!」
リーダー格の男が少女の腕を引っ張り、こちらの川へ下ってくる。どうやら川沿いの森に連れ込む算段らしい。腕を引かれた少女と、一瞬視線が交差する。
もちろん、やることはわかってる。ノエルとレンに目配せし、臨戦態勢を整える。
「そこのガキども、見せもんじゃねえぞ! 散れ散れ!! こっちは大人の遊びが待ってんだ」
舌なめずりをした暴漢が俺の横を過ぎようとする。観光ということで宿に武器を置いてきた俺と、ワンピース姿の女子二人。チンピラ連中から見れば川遊びをするただの子供にすぎない。だからだろうか、男は露骨に気を抜いているように見えた。
「大人の遊びってのは、こういうのもプレイのうちだろ!!」
俺はグッと脚を踏み込み、渾身のアッパーを叩き込む。
「ぐぅえ!?」
予期せぬ攻撃に暴漢がうめきを上げ、少女の手を放して倒れ込む。
「拘束の二、縛り抑えよ光の縄よ!」
ノエルが懐から小ぶりの杖を取り出して倒れた男を拘束。続いてレンが桜髪の少女を守るよう暴漢たちに正対する。
「システムファイブ、霧中の禊は悪徳の契と知れ」
先程まで暑いくらいだった気温がレンの詠唱に応じてヒヤリと下がる。それと共に辺りに霧が立ち込め、チンピラたちが視界から消える。レンが直接手を下さなかったのは、得意魔法的に相手が重傷を免れないからだろう。ノエルに至っては論外だ、地形ごと変わってしまう。
「せっかくの思い出を台無しにしたくないです。殺さないくらいでお願いします」
「サンキュー、レン。後は任せろ」
親父の修行を思い出す。どことも知れない山奥、濃霧の中に放り出されクマを5頭も狩らされたこと。
生きるか死ぬか、俺は極限状態の中で視界に頼らず気配を読み取る術を身に着けた。例えばそれは緊張から生じる体臭であり、乱れた鼓動と呼吸音であった。
「丸わかりなんだよ! お前らの位置くらい!!」
「あぎっ!?」
まずは一人、上段蹴りで地面に沈める。次に勢いのまま後ろの一人へタックルをかまし、川の浅瀬へ吹き飛ばす。
「ぁああっづ!!」
最後に横並びに控えていた二人の頭を掴んでアメリカンクラッカーのように叩きつける。
「よし、終了! 警備が来る前にさっさと撤収するぞ」
少女を連れて観光地の人混みへ戻る。やつらが復活したとして、ここなら手を出せまいと踏んでのことだ。
「危ない所をありがとうございます。市井には優しい方がいらっしゃるものですねぇ」
微笑む少女はいわゆる糸目と言うのか、言動と相まって独特のほわほわ感を醸し出していた。ふわりと漂うフレアスカートもその雰囲気に一役買っている。
「あんなコテコテのチンピラに付いて行くなんて、どんな教育を受けてきたんだよ」
「確かにお母さまは街は危険と仰っていましたが……自身で体験するまで信じられない性分でして、ふふっ」
そう言って見えた笑顔は幼子の様に無邪気なものだ。好奇心は猫を殺す、ほんわか系に見えて案外肝の座った性格なのかもしれない。
「それでは、本当にありがとうございました。汝の旅路に幸多からんことを」
スカートをつまみ優雅に一礼。桜色の彼女は静かに人波へと消えていった。
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あとがき
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