第17話 あなた
雨も降り止み、淡い残陽が教室に入り込んでくる。
俺が前世の名を告げると西園寺さんは、その名の響きに静かに耳を澄ませた。
しばらく間を置くと深呼吸をしてからニッコリと微笑む。
「そっか。ユキちゃんか」
「うん」
俺の胸に耳を当てながら、俺の魂を確かめるようにして、優しく語りかける。
「ユキ……ユキ……」
ふわりと西園寺さんの香りが漂ってくる。この心音の高まりはきっと彼女にも伝わっていたと思う。
「いい響きね。素敵な名前」
「そ、そうかな?」
「うん」
顔を上げると目を合わせてから、にっこりと微笑んだ。
「ユキ。教えてくれてありがとう。ずっとあなたに会いたかった」
「そ、そっか……その……俺の方こそ、ありがとう。ずっと見ていてくれて……俺のこと見つけ出してくれて……」
その真っ直ぐな目があまりにまぶしくて思わず視線を外して下を向く。
すると西園寺さんは俺の頬にゆっくりと手を添えて顔をあげさせた。
「そっか。だからあなた、こんなにかわいかったのね」
「そ、そうか?」
「うん。かわいい……とってもかわいい」
そう言いながら俺の顔に親指を這わせて撫でまわす。
俺は緊張で思わず再び目を逸らした。
「ほら、こうやってすぐ照れちゃうところとか」
「も、もう! そんなにからかうなよ!」
「フフフッ、ごめんごめん。そのしゃべり方もさ、がんばって練習したんだね」
「だって……この体で前世と同じ口調だったらオカマみたいになっちゃうだろ。あ、これは別にオカマの人が変だとかそういう意味じゃなくて──」
「フフフッ、そういう変なポリコレしちゃうところもユキちゃんっぽい。周りの心障を気にしちゃう繊細な子」
「……」
「やっぱり結構苦労したんだ。口調とか、そういうのだけじゃない……これは私の予想でしかないのだけどね、ユキ? あなたってとっても控えめで、物静かな子だったんじゃないかしら」
「うん、そうかも」
「やっぱり。なら尚更、浅野健になるのは大変だったはず。盛り上げ役のお笑い担当なんて」
「う、うん。でも慣れれば案外楽しいし、俺がバカやればみんな笑ってくれて……それはそれで嬉しいんだ。それに前の自分はもう死んじゃったわけで、こうなっちゃったからには、浅野健として生きていくしかないしさ」
「大丈夫よ」
「え?」
「言ったじゃない。強がらないでいいって。私の前ではユキでいてくれてもいいから。私はユキとしてのあなたも好きだもの。だから今世に疲れた時はさ、私のところにおいでよ」
「いいのか……?」
「うん。前世のあなたも、今世のあなたも、全部ひっくるめてあなたなの。だから前の自分を殺さないで欲しい。あなたの魂は、今ここに確かに残っているじゃない。少なくとも私はユキとしてのあなたのことを、大切に想っているということは忘れないで」
転生してからずっと張り続けていた肩の強張りが、ようやく解けた気がする。
この包容力にもう少し触れていたい。そんなふうに思わされるような優しさだった。
「西園寺さん……ありがとう」
そう言うと彼女は得意げな顔つきで答える。
「フフフッ、どういたしまして」
だいぶ日も落ちてきた。
黄昏時の誰もいない放課後の教室は、夕闇と静けさに包まれている。
しばらくすると西園寺さんはふっきれたように一息ついた。
「なるほどね。これで色々と合点がいったわ」
「合点?」
「うん。例えば前にも言ったけれど、あなたは女の子の気持ちとか、そういうのが妙に分かっていた気がしたから」
「なるほど」
「そして何より水崎さんのこと、あなたは好きだけど付き合いたいとは願わなかったじゃない? それは前世のあなたが女の子だったから、女の子とそういう関係になることにあまり想像がつかなかったわけだ」
「うん。そういうことになるかな」
「やっぱりね……」
西園寺さんは天井に視線を移して、少し考える素振りを見せた。
「ねぇ、ユキ?」
「は、はい!」
変に声が上がってしまった。
改めてそう呼ばれるとドキッとしてしまう。
「今のあなたは心は女の子だけど、体は男の子なわけだから、やっぱり他の女の子に対してドキドキしたりするのかな。どうなのかしら?」
「い、いや、流石にドキドキとまでは……」
「ふーん」
俺の体を改めて観察する。
少し間を置くと、その吸い込まれそうな瞳で、顔を覗き込みこみながら、ゆるりと俺の方へとにじり寄ってきた。
「な、なに?」
俺の問いかけには答えず、黙って距離を詰めてくる。
そのまま俺の胸に手の平を当てて体を密着させると、顔を近づけて耳に息を吹き込んだ。
「ひゃっ!」
不意をつかれたせいで情けない声が漏れてしまった。思わず口を押さえてそれを押し殺す。
「フフフッ、ユキかわいい……ねぇ、どうかな?」
唇で耳たぶを挟みながら、吐息混じりに甘い声で囁きかけてくる。
「ちょっ、ちょっと待っ……あっ!」
そのまま滑らかな舌先を撫で這わせた。
背筋がゾクゾクし、鼓動が高鳴っていく。
今度は放心しかけた俺の額におでこをくっつけると、舌舐めずりをしながら妖艶な笑みを浮かべて見せた。
「おいしい……」
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