第16話 隠し事

西園寺さんは俺を傘に入れると、目の前にしゃがみ込んだ。


そのまま何も語ることなく俯いている。


「西園寺さん……?」


「……」


しばらく黙り込んでからゆっくりと口を開いた。


「何で言ってくれなかったの……」


「い、いや、こんなことで頼るの……格好悪いかなって……」


「私と話さないようにしてたのも、あの人達のせいなの?」


「……あいつらに見られたらまた変な因縁つけられるかもしれなかったし……それに、俺なんかと親しげにして、変な誤解を生んだら西園寺さんに悪いかなって思って……ほら、俺なんかじゃさ……」


そう、正ヒロインの彼女と、モブ代表の俺なんかが仲良くするのは、きっと物語が許さない。


「バカ」


「え?」


「バカ! そんなことして私が喜ぶとでも思ったの!?」


力強い目を据えて声を荒げた。


「『俺なんか』ってなによ! どうしてあなたは自分を卑下するの……私のあなたを評価する権利を奪わないで……私、あなたのいいところ、沢山伝えてきたじゃない。私には釣り合わないとか、そんなこと考えてほしくなかったから……」


だんだんと目に力がなくなっていく。


「私、あなたに何かしてしまったんじゃないかって、ずっと心配していたのよ……この前からかいすぎちゃったんじゃないかとか、変な噂でも流れてるんじゃないかとか、強引すぎて愛想尽かされちゃったんじゃないかとか……そんなことばっかり考えてた」


西園寺さんはいつだって可能性のアイデアが豊富である。でもだからこそ、何かを心配しはじめると、杞憂も含めた沢山の可能性に苛まれてしまうのだろう。


そういう意味では分からないものに対して不安を募らせやすい体質であるとも言える。行動の意図を伝えなかったことで、様々な憶測を招いてしまったに違いない。


西園寺さんが人の行動から相手の真意を探る力を身につけてたのも、きっとそんな不安を払拭させるための技だったのだろう。


「もう二度としないで……あなたに避けられると……この辺りが痛くなるのよ……」


シャツの胸元を自分で掴みながら歯を食いしばっていた。


「ご、ごめん」


「……」


「今分かったよ。西園寺さんが人の心を見透かそうとするのは、不安だからなんだって……ごめん、隠し事が西園寺さんにとってどれほどの重みになるのか、全然気づいてあげられなかった。迷惑かけないためだとか、勝手に思ってた」


「そうよ。あなたはいっつも格好つけたがる。少し無理をしてでも道家役を買って出たり、進んで貧乏くじを引きにいったりして、それでも何でもない顔をする。みんなはあなたが鈍いから平気なのだろうと思っているかもしれないけれど、私は違う。あなたが本当は繊細だってこと、私だけは分かっているから。だから自己犠牲なんかを美徳にしないで。あなたの傷みを、自分の痛みのように思う人がいるんだってこと、忘れないで」


「ああ……ありがとう……」


そう言うと西園寺さんは俺の顔に向けてゆっくりと手を伸ばす。





「イテッ!」


強烈なデコピンを眉間にお見舞いされた。


「ちょ、俺一応怪我人なんですけど」


額をおさえる俺の様子を見てクスクスと笑いだす。


「フフフッ、そうね。ボロボロね」


「ほんとだよ」


そう言うと西園寺さんは手を差し伸べてくれた。


「はい」


「だ、大丈夫だよ。俺いま泥だらけで汚いからさ」


「いいから」


俺の手首を掴んで引っ張り上げる。


頭に重いのをくらってしまったためか立ちくらみがする。少し足がふらついた俺のことを彼女は優しく体で受け止めてくれた。


「わ、わるい。西園寺さんが来てくれなかったら、ちょっとヤバかったかも」


「はあっ……ようやく弱音を吐いてくれたわね」


そう言って俺の肩に手を置いて身を離すと目を合わせてくる。


「ま、これであなたに貸し一つだから」


「わかった」


「次こういうことでコソコソしていたら、あなたの心を丸裸にしてでも引き出してやるから覚悟しておくこと」


「わ、分かったよ。もう隠し事はしないって」


「よろしい」


そう答えながら人差し指を突き立てる。いつもの得意げな笑みが戻ってくれた。


夕立も終わり、だんだんと雨雲が割け、雲の隙間から光が差し込む。


雨水滴る彼女の銀の髪は、日差しを照り返し、燦然さんぜんと輝いていた。


「それじゃあ、一緒に帰るか」


「そうね。もう見られたって構いはしないしね。変な噂が立っても根絶やしにしてやるわ」


「あははっ……たのもしいこって」


「あ、待って。あなた、その格好で帰るつもり?」


俺の泥だらけのシャツに視線を落とす。


「ほら、着替えてらっしゃい」


「そうだな」


ひとまずは教室に戻った。


誰もいないのでそのまま体操着に着替えることにする。


ベルトを緩め、ズボンを履き替える。ジメジメしたシャツのボタンを外し、椅子に掛けていると、ガラリと扉が開いて西園寺さんが入ってきた。


思わず体操着で体を隠す。


「図書室からビニール袋をとってきたのだけど……あら、着替え中だった?」


「あ、ああ。ありがとう」


俺の様子を見ると、黙って目を合わせてきた。


「どうしたの?」


「いや、別に……」


俺の方へとにじり寄ってくる。そのまま舐め回すように俺の体を頭からつま先まで見回した。


「ねぇ、隠し事はしないって、言ってたわよね」


「あ、ああ……」


そう答えると腰を屈めて下から覗き込むようにして俺の顔を見上げてきた。


鋭い眼差しを据えながらゆっくりと口を開く。






「私、こことは違う外の世界から来たの。あなたもそうなのよね?」





背筋に電撃が走った気がした。


今、西園寺さんは『外の世界』と言った。つまりそれは彼女も俺と同じように転生者であることを示唆している。


確かに俺が知っていた西園寺玲亜とは性格が全然違かった。


もし俺と同じように西園寺さんの魂が、他の転生者に上書きされていたのだとしたら、この違和感を払拭できるほどには納得がいく。


俺はこの問いを受け止め、彼女の素性を尋ねる。


「それって……西園寺さんも転生者ってことか……?」


そう言うと西園寺さんはいつもに増して無邪気に、そして悪魔的に微笑んだ。


「転生者? 何のことかしら」


「えっ!?」


「確かに私は外からやってきたわね。極東の地、ウラジオストク。日本とは言語も文化も全然違う場所。ここからすれば全くの異世界」


「ま、まさか……」


「へぇ、こんなことってあるのね。あなた、転生してきたんだ」


やられた。


隠し事はしないと約束し、絆を確認したばかりなこともあって気が抜けていた。


そして何よりこんなことまで悟られているとは思いもしなかった。こんな方法でそれを確かめてくることも予想だにしなかった。


俺は忘れていたのだ。彼女のこの悪辣あくらつさを。


「……なんで分かったんだ?」


「あなたがまず知りえないはずのことまで考慮して行動したように思えたことが多かったから」


テニスラケットを壊した犯人が山口であるとどうして疑えたのかと問い詰められたことを思い出す。


「い、いつから……」


「違和感は最初からね。あなたはキャラと性格があまりにちぐはぐだったから。身体と魂が噛み合ってないって言えばいいかしら。今だって私が入ってきた時に体を隠したけど、そんな隠し方をするのは変よね。別に上裸くらい見られたっていいのに」


俺の胸元を覆う体操着を指差しながら指摘する。


「はじめは多重人格かもと思ったけど、それだと未来を知っていることに説明がつかない。なら未来人かもしれないという線もあったのだけど、もしそうならこんなに性格とキャラに乖離かいりは生じないはず。それならあなたが転生者やあるいはそれに類する何かなんじゃないかと思って、まさかとは思いながらもさっきの質問をしてみたってわけ」


「そ、そっか……」


もう言い逃れはできなさそうだ。


唖然とした俺の顔はだんだんと下がっていった。


そんな様子を見た西園寺さんは、俺の胸にそっと手を置く。


「……つらかったよね?」


「え?」


「一人、別の世界に飛ばされて、望まぬ役回りを神様に押し付けられて……それでもがんばって、あなたは浅野健を演じてきた。このクラスに、この世界に、浅野健が必要だったから」


「……」


「私は分かってる。本当のあなたを……私はあなたのこの魂にずっと語りかけてきたのよ。私、はじめからキャラとしての浅野健に話しかける時は『浅野くん』って呼んでいたけど、この身体に閉じ込められているであろう本当のあなたに語りかける時は『あなた』って呼ぶようにしてた。何となく、違う人のように感じていたから」


思い返してみればそうだ。クラスの中で浅野健として振る舞っていた時は『浅野くん』、二人で本音を共有し合っている時は『あなた』だった。


西園寺さんは人のことを基本的に苗字で呼ぶ。『あなた』と呼ぶのは俺にだけだった。


「ねぇ、教えてよ。あなたの本当の名を──あなたのこと、もうそろそろちゃんと名前で呼びたいの」


青く透き通ったその瞳で俺を捉えると、静かにそうささやいた。


確かに西園寺さんは、キャラとしての俺ではなく、俺の内心を見透かしてはそれをいつだって肯定してくれた。


この魂を見つけ出し、呼びかけ続けてくれたのは、この世界で西園寺さんだけだったんだ。


もう隠し事はしない。


俺は精一杯の感謝と誠意を込めて、彼女が認めてくれた魂をここに曝け出す。





「……ゆき。御堂雪。俺の……いや、私の魂の名前です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る