第15話 綺麗な花の悍ましい棘
どうにもこのところの三上達からの睨みが気になる。やはり西園寺さんと親しげにしているのが不満なのだろうか。
まあ実際、俺なんかでは役不足だ。分かってる。
学校ではもう少し距離をとった方がよさそうだ。そう考えながら通学路を歩く矢先に、彼女が現れる。
「おはよ」
「お、おう。おはよう」
「ねぇ、今週末さ──」
「ご、ごめん! 俺、ちょっと朝飯食べそびれちゃって! コンビニ寄ってくから、先行ってて!」
「じゃあ私も行こうか?」
「いや、結構時間ギリギリだし、悪いって!」
「そう? 分かったわ」
西園寺さんと駅で会った時は道を変えて、ちょっと遠回りになるが裏門から行くようにしている。
けれどもこの時間は生徒も多いので、あまり一緒にいるところを見られないように今日は別々に行くことにした。
昼休みも西園寺さんは声をかけようとしてくれたみたいだったのだが、俺はさっさと食堂の方へと行く。後でメッセで聞いてみればいいだろう。
結局、今日は放課後までほとんど口を交わさずに過ごすことになる。
「ねぇ、今日も図書室、行くわよね?」
終礼が終わると西園寺さんが小さな声で呼びかけてきた。
「わ、わりぃ。俺、今日は用事があるんだ。俺やるから今日の仕事は残しておいて」
「そう……分かったわ」
「それより今日は水崎さん部活だから、信と二人で帰れるチャンスじゃない?」
「ま、まあそれもそうね」
「それじゃあ、また明日!」
「ええ」
ぽつぽつと弱い雨が降ってくる。見上げるとずっしりとした鉛色の雲が太陽を隠していた。夕立に合わないと良いのだが……。
昇降口で上履きを履き替えると、俺はそそくさと家に向かった。
すると校門の辺りで三上と愉快な仲間達に取り囲まれる。めんどうなことになりそうだった。
「おい浅野。お前ちょっとツラ貸せ」
「なんだなんだ、寄ってたかって。あれ、もしかして俺のファンになっちゃった? サインなら──」
「うるせぇ! さっさとこっちこい!」
「へいへい」
お調子者キャラらしくてきとうこいて、巻こうとしたが、やはりダメだった。
俺はそのまま四人に連れられ、校舎裏に行く。
俺を壁の方まで追い詰めると、彼らは横に並んで俺を弾劾せんと威圧してきた。
「なあ、お前さ、最近ちょっと調子に乗りすぎじゃねーの?」
そりゃそうだろう。何せ俺は天下のお調子者キャラ、浅野健なのだから。いつだって調子というビッグウェーブに乗っている。
「何のことだよ」
「とぼけんじゃねーよ。たまたま隣の席になったからって気安く話しかけやがって」
やっぱりそうか。西園寺さんのことだ。
「なになにー? 男の嫉妬は醜いからやめときって」
「うるせえっ! ヘラヘラしやがって!」
怒りたって声を荒げる。
「お前が空気読めないせいで、俺らはイライラさせられてんだよ」
「俺は空気は読むより吸う方が好きだからね〜」
「あっ?」
「それで、なんなの? その空気ってのは」
「玲亜ちゃんに馴れ馴れしくしちゃいけねーってことだよ。特にお前みたいなおふざけ野郎は尚更だ」
「なんで?」
「玲亜ちゃんはみんなのものだからに決まってんだろ。あの子は優しいからお前みたいな奴が話しかけてもちゃんと応えてくれてるみたいだけどな、本来、お前なんかが謁見できる相手じゃねーんだよ」
「知らねーよ。そんなの」
「……痛い目みないと分からねーみたいだな」
ネクタイごと俺の胸ぐらを掴んできた。三上は空手部なこともあってさすがに力が強い。
「なんなの? 西園寺さんのこと、お姫様とでも思ってるわけ?」
「そうだよ。玲亜ちゃんは特別なんだ。お前とは格が違う。あの子は純粋で天使みたいな子だから仕方なくお前に付き合ってくれてるってわかんねーの?」
「はははっ、純粋で天使みたいね……三上、あいつはもっとやばいしすげー奴だぞ。それこそ悪魔みたいにな」
「知った口聞いてんじゃねーぞ! 玲亜ちゃんを悪魔呼ばわりとかまじでふざけんなよ……お前みたいな勘違い野郎が寄りつかないようにしてあげなきゃいけねーんだよ!」
勘違い野郎とは、こいつはどれだけの特大ブーメランを投げれば気が済むのだろうか。
綺麗な子というのは恐ろしいもので、そこにいるだけで周囲に余計な妄想を掻き立てる。
美しさというのは持たざる者からすればメリットしかないステータスのように思えるのだろうが、実際はそんなにいいものではない。それは祝福でもあり、呪いでもある。
「はあっ……」
こんな奴に西園寺さんが気苦労を負わされていると思うと、腹の底が熱くなってきた。
西園寺さんをまるでお人形のように扱う彼らがだんだんと許せなくなってくる。
「なんだ? まだ文句でもあんのか」
「ああ! ありありのありだね!」
「あっ!?」
「お前らがそうやって変に睨みを効かせるから西園寺さんが一人になっちまうんだろうが! 暗黙の不可侵条約だかなんだか知らねーけど、西園寺さんは俺のものでもお前らのものでもねーんだよ! つーか『もの』とか言ってる時点でお前らにどうこう言える資格はないね」
そう言うと俺の顔面に拳が叩きつけられた。
口の中に鉄の味が広がる。
「て、てめぇっ……」
「何? 怒っちゃった?」
そう言うともう二発、繰り出してきた。
流石に痛い。てきとうに謝ってもよかったのだが、こいつらのアホっぷりに俺も少し頭に来てしまっていた。
「お前なんかが玲亜ちゃんと仲良くしていいわけねーんだよ!」
さらにもう一発、重めのが振り下ろされる。
しかしこのままだとボコボコにされるのは目に見えていた。とはいえこいつらの言うことを聞くのはプライドが許せない。
どうしたものかと赤く腫れた頬を抑えながら考えていると、耳に馴染みがある透き通った美声が聞こえてきた。
「なんだか面白そうな話をしてるじゃない」
「れ、玲亜ちゃん!?」
「何? 気安く下の名前で呼ばれるほど、私、あなたと親しくなった覚えはないのだけれど」
「い、いや、それは……」
彼女の方を見ると真っ黒な闇を落とす
「で? いったい何を──」
西園寺さんは俺の顔を見た瞬間、目を見開く。少し
こんな西園寺さんははじめてだ。普段は冷静沈着で大人びた彼女であるが、この時ばかりは空気が張り詰めるほどの激情が漏れ出していた。
髪を口角にひっかけながら、ゆるりと顔をあげる。
「私のかわいいピエロに、何をしているの……」
「えっ?」
だんだんと雨も強まってくる。
「何をしているのかと聞いているのだけれど……」
「そ、それは、こいつが西園寺さんに慣れ慣れしくしてるから……」
「私はこの人と慣れ親しいのよ。慣れ慣れしいのは当たり前じゃない」
「な、なんで西園寺さんみたいな人がこんな奴と──」
「こんな奴?」
一筋の雷が近くに落ちる。
「ひっ……」
取り巻きの一人が思わず声を上げた。
西園寺さんは凄まじい形相をしている。まるで巨大な白蛇に睨まれたかのような感覚がした。
「す、すみません!」
隣にいた相澤がたまらず謝罪をしはじめる。いや、これはもはや命乞いと言っても過言ではなかった。
「はっ? 謝る相手が違うでしょう?」
相澤に視線を移すと、彼は完全に硬直していた。それこそメデューサに石にされたかのように。
「もういい……もうキャラなんて……どうでもいい」
「えっ?」
「いい機会だからあなた達の幻想を打ち砕いておくわ。私はね、あなた達がつくる、私を慈しもうとするこの気色の悪い空気に心底嫌気がさしているのよ。甘ったるくて吐き気がしちゃう……いい? 私が誰と親しくしようと、あなたのように醜い嫉妬で他人に手をあげるような下衆が、どうこう言える筋合いはないわよね」
「ちょっ、ちょっと待ってよ……そ、そんなこと言うなんて、いったいどうしたの?」
あまりの落差に現実を受け止めきれていないらしい。その狼狽っぷりはあまりに滑稽だった。
胸ぐらから手を離してもらった俺はそのまま腰から地面に落ちる。
「どうもしていないわ。これが私。ただそれだけ。フワフワ天使の玲亜ちゃんは、あなたのそのおめでたい頭の中にしかいないということよ」
「そ、そんな……」
「あなたは自分が大切にしていたものが脅かされそうになって怒っていたのよね。なら分かるでしょう? 大切な人を他人に脅かされる怒りを。身勝手な馬鹿の愚行に傷をつけられる憎しみを。そしてこの怒りと憎しみから湧き上がる揺るぎない報復心を」
そう言いながら三上の方にゆっくりとにじり寄る。
「ねぇ、三上くん。これって立派な暴行よね」
顔を近づけると悪寒が走るほどに不適な笑みを浮かべる。
「無抵抗な相手を四人で攻撃。おまけに一人は人に手をあげてはいけないはずの空手部。適切な形で先生に報告をすればあなた達を退学にさせるくらい訳ないと思うのだけれど」
「なっ……」
「退学では手ぬるいわね。ああ、そうだ。少し
「はっ、そ、そんなこと──」
「痴漢の冤罪で裁かれてしまう人もいるくらいだから、そんなに難しくないわ。それにここの先生ってね、みんな私が懐柔済みなの。私ってどの先生からもとっても信頼されているのよ。そんな私がそう証言すれば必ず信じてくれる。品行方正で清廉潔白な私の言葉と、得手勝手で素行不良なあなたの言葉、どちらが信用に値するかは自明よね」
徐々に四人の顔つきがこわばっていく。
「知ってる? 積み上げてきた徳を悪意に利用するとね、どんな凶器よりも鋭くなるのよ」
「そ、それだけは! それだけはやめてください!」
たまらず三上は
すると今度は加虐心をむき出しにして彼を見下ろしながら口を開いた。
「ああ、これで私のスカートに指紋がついたわね」
「えっ……」
いい証拠ができたわ。ここで脱がされそうになったことにしましょう。これであなたは逮捕されるでしょうからそこそこニュースになるはずね。
まあ未成年だから名前は伏せられるだろうけど、私が裏垢でも使ってネットに垂れ込んでおくとするわ。それを本垢を通してコメント付きでシェアしてあげる。
あなたなら知ってるでしょうけど、私、かわいいから結構ファンが多くてね、並のインフルエンサーよりはフォロワーがいるのよ。悲劇のヒロインを演じて、彼らに燃料を投下すればたちまち炎上してあなたは社会的に死ぬことになるわ。
あなたにはここでデジタルタトゥーという呪印が永遠に刻まれる。これから進学も就職もまともにできないでしょうね。
それだけじゃないわ。社会悪として認定されたあなたはネットの私刑趣味を持った人達から執拗に嫌がらせを受けることになるわね。
毎日嫌がらせの電話が鳴り響き、ポストには大量の罵詈雑言がDMで届いてくる。住所も家族も特定されてこの街にはいられなくなる。引っ越しては特定されるを繰り返す日々。もうまともに街を歩くことすらできない。
「ま、待ってください! お願──」
「ご愁傷様」
最後はいつものように天使のような微笑みで、そう一言、死の宣告を授ける。
その託宣を聞くと三上はその場で雨水でぬかるんだ地面にへたりこんだ。
西園寺さんは膝をたたんでしゃがむと、三上の髪を引っ張ることで顔を上げさせ、光のない目をやりながらもう一言添えた。
「うせなさい。そして私と浅野くんに二度と関わらないこと」
「は、はい……」
彼らはそのままフラフラとした力のない足取りで、戻っていく。
西園寺さんは大きなため息をつくと、俺の方へと駆け寄ってきた。
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