第12話 濡れ衣

図書委員の仕事を終えて、西園寺さんと一緒に廊下にでる。


おしゃべりをしながら歩いていると、誰かにすれ違い沙汰に舌打ちをされた。


なんだろうと思い、眉をひそめる。振り返るとそこには三上の背中が見えた。


なるほど、こいつか。おそらくだが三上は西園寺さんのことが好きだ。


俺が二人で並んで歩いているのが気に食わなかったのだろう。


状況が分かると西園寺さんは大きなため息をついた。


「はあーっ、めんどくさい……」


「あ、西園寺さんにも聞こえてた?」


「うん、私、地獄耳だから」


そう言いながら自分の耳を引っ張る。


「三上くん、だっけ。あの人、何かと付き纏ってくるのよね。いっつも偶然を装って待ち伏せしてる。まあそれだけならよかったのだけど、あなたにあんな態度をとるのは気に食わないわ」


普段にこやかな西園寺さんが、珍しく苛立ちを露わにした。


「本当は図書室の外にいるのが分かったから、絡まれないようにあなたと一緒に帰ろうとしていたのだけど……なんかごめんね?」


「いや、俺はそんなに気にしてないよ。でもああいう奴もいるのか。やっぱり学校の中だと、あんまり二人でいない方がいいのかもな」


「そうね。そしたら先に行っててもらってもいい?」


「おっけー」


「ごめんなさいね」


「いいって。マドンナも大変だな」


「そうね、もううんざり」


マドンナと呼んでも全く謙遜しないあたり、西園寺さんらしい反応である。


「残念。一緒に帰れると思ったのに」


「作戦会議する予定だったもんな。まあまた明日にでも話そうぜ」


「う、うん」


「それじゃ、また明日!」


「うん、じゃあね」


さっと手を振って振り返ると、西園寺さんが裾を掴んできた。


「ちょ、ちょっと待って!」


「ん?」


「やっぱり先に駅で待っててよ。後で追いつくから」


「分かった。この時間の駅なら、そんなに人はいなさそうだしね」


「うん、じゃあまた後で」


「おう」


靴を履き替え、一人で昇降口を出ると体育会系の学生達の掛け声が聞こえてきた。


うちの学校は進学校ではあるが、部活動も盛んなのだ。実績もある。


そんな活気に満ちた声に混じって、口論のような言葉が耳に入り込んできた。


「素直に認めたらどうなの!? 北条先輩のラケット壊したのはあなたでしょう!?」


「ち、違うって」


耳に馴染みのある声だった。


CV: 永瀬ながせいのる。前世でも今世でも何度も聞いた声だ。


目を向けると、そこには数人の女子に囲まれ、困り果てた水崎さんがいた。


「私、そんなことしてないよ」


「じゃあ、あなた以外に誰が壊したって言うのよ?」


「そ、それは分からないけど……」


思い出した。これはこのラブコメにおける一つのイベントだ。


この後、言いがかりをつけられた水崎さんに、さっそうと信が駆けつける。幼馴染の潔白のために奔走する主人公。改めてお互いの絆を確認する二人。


水崎さんが責められているのを見ているのは大変に心苦しいのだが、二人の距離が縮まる大事なイベントだ。


ここはでしゃばらずにちゃんと信が来るのを待とう。


そう思ってしばらく様子をみていた。


しかし、待てども待てども信が来ない。





ようやく気がついた。


信は本来、補習の帰りにこのイベントに巻き込まれる。けれども、今回、あいつは補習になっていない。


おそらく、四人で取り組んだ勉強会が功を奏した結果だろう。


あの勉強会は信と西園寺さんの二人で行われるはずであったが、勉強会というのは名ばかりで、ほとんどが会話で占められていたので勉強はあまり捗らない環境だったはず。


けれども今回は四人になった上に、水崎さんがいつも以上にがんばっていたので、みんなそれにつられて集中できていたのだ。


結果的に信は補習を免れ、本日は帰宅部らしくとっとと帰宅してしまった。だから、きっとこの場には現れない。


だとすると、このままでは水崎さんが孤立無援で責められ続けることになる。


それは流石にかわいそうなので、俺は意を決して間に割って入ることにした。


「ちょっと待ったぁーーー!」


勢いよくテニスコートの扉を開く。まるで『その結婚、意義あり!』と高らかに声をあげ、花嫁をさらうというベタ展開さながらである。


「た、たけるくん!? な、なに!? 式場はここじゃないよ!?」


さすが水崎さん。俺のおふざけをいつもキャッチしてくれる。


「浅野? 何? 何か文句でもあるわけ?」


「ああ! ありありのありだね! 水崎さんは俺の嫁……じゃなくて、水崎さんは犯人じゃない! 決めつけるのはよくないだろ!」


「あんたには関係ないでしょ? これはうちの部の問題だから」


「いいや、関係あるね。水崎さんは俺の親友の大事な幼馴染なんだ。こんなところで見てみぬふりなんかしてたら、信に合わせる顔がねぇ!」


「はあっ? 意味わかんないだけど」


うん、自分で言っておいてなんだが、正直俺も半分くらい自分の発した言葉の意味が分かっていない。


まあしかし、多少、とんちんかんなことを言っても『浅野だから仕方ないか』と言ってもらえるのは、親友キャラの便利なところ。


今回はこのキャラを存分に活用してやろう。


「他に先輩のラケットを壊せる人なんていなかったのよ。水崎が犯人に決まってるわ。水崎が認めてくれないと連帯責任で私たちまで怒られるのよ?」


「いいや、違うね! 水崎さんじゃない!」


「なによ。証拠でもあるわけ?」


よくもまあここまで堂々と虚言を吐いていららるものだ。白々しいことこの上ない。


山口梨香。まさにこいつが犯人であり、俺はその犯行を知っている。部室に忘れた体操着を取りに来た時に踏んづけてしまったのだ。まあ犯行というよりも過失と言ったほうが正しいか。


しかしこれは前世で見たスクリーンの中での目撃証言であり、そんなことを直接伝えるわけにはいかない。いくら親友キャラの妄言とはいえ、さすがに気が狂ったと思われる。


「山口……お前が……」


「は?」


飛び込んでみたものの、証拠を提示できない。どうしようかと頭を抱えていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。


「水崎さんは違うのよね?」


西園寺さんが冷静な顔つきで俺に確認する。


「ああ、違う。水崎さんは嘘なんてつかない」


「分かったわ。よくやったわね。あとは私に任せて」


「お、おう」


あまりに堂々としていたので、思わず西園寺さんに譲ってしまった。


「それで、えーっと、あなたは……」


名前を忘れていそうだったので、耳打ちして教えてあげた。


西園寺さんの記憶力は卓越しているのだが、人の名前を覚えるのは苦手なのである。興味のない相手なら尚更だ。


「山口……さん? あなたはどうして水崎さんが壊したって決めつけているのかしら」


「今日の備品チェック係が水崎だったからよ。昼休みに部室に入れたのは担当だった水崎だけだもの。その時にこいつが壊したに決まってるわ」


「ふーん。なるほどなるほど」


「な、何よ……」


普段、俺をからかう時のように、じっくりと山口の顔を覗き込んだ。


「じゃあ部室の鍵の貸し出し記録を管財の先生に見せてもらいましょうか」


「は? そんなの見たことないわ」


「あら、知りませんか? 生徒に校内の鍵を渡すときは何時に誰に貸し出したのか記録することになっているんです。学校のセキュリティに関わる問題だから当然ですよね?」


「なっ……」


動揺した山口の様子を見て『ビンゴ』と呟いているのが西園寺さんの口の動きで分かった。


「私も図書係で図書準備室の鍵を預かることがあります。管財の先生は貸し出した時にその場で記録をパソコンに打ち込んでいるから分かるんです。テニス部顧問の先生がいつ打ち込みをしてるのかは知りませんけど」


「……」


「それにラケットが壊れたのが昼休みとは限りませんよね。例えば水崎さんは朝練の後に仕事を終わらせてから急いで教室に走り込んでくるのを私はよく見かけますし。あれ、そもそも、どうして昼休みに壊れたって分かっていたのでしょう? 不思議ですね」


「そ、それは! だいたいみんな昼休みにやるものだからよ!」


「ふーん、そうですか」


何かをほのめかすような西園寺さんのその瞳は、にこやかながらも確かに鋭さが秘められている。


そして、そのままゆるりと腰をかがめて、山口の耳元に顔を近づけると、何かを囁いた。


同時に山口の恐怖に染まった表情が、一瞬だけ俺の目に映る。


いったい何を伝えたのだろうか。


「ねぇ、山口さん。誰かを生贄に差し出すのもいいけれど、それをやるとみんなが『次は我が身か』と不安になってしまうと思うの。互いを疑い合うってチームにとってはマイナスよね。疑わしきは罰せずとも言うし、ちゃんとした証拠がないなら責任を押し付けるのではなく、連帯させるのが良いかと思うのだけれど、どうかしら?」


「ま、まあ、それもそうね」


西園寺さんの提案に、藁をも掴む思いで乗ってきた。


おそらく西園寺さんには犯人が分かっていたけれど、吊し上げるようなことはしなかったようだ。


恨みを買うのもめんどくさいし、チーム内に遺恨を残すのも部活としては良くないと踏んでのことだろう。


「今回はそうすることにするわ」


「はい、賢明だと思います」


どうにか西園寺さんのおかげでコトを収めることができた。


味方にしてこれ以上に頼りになる存在はいないだろう。




後輩達がみんなで先輩に謝りに行こうとする中、水崎さんは一人こちらへと小走りでやってきた。


「さ、西園寺さん。ごめんね? こんなことに巻き込んじゃって……」


「謝る必要なんてないですよ。水崎さん、いつも部活がんばっているの知っていますから、ちょっとでも協力できたなら嬉しいです」


「あ、ありがとう! 今度何かお礼させてね?」


「いいですよ。私が勝手にやったことなので。それよりほら、みんなで謝りにいくのでしょう? また遅刻しちゃいますよ?」


そう言って西園寺さんは微笑みながら水崎さんの小さな頭をポンポンと撫でた。なんだこの尊い光景は。


ずるい。俺も水崎さんをポンポンしたい。


「う、うん! じゃあ、また明日ね!」


「はい」


「あ! ついでにたけるくんもありがとね!」


「おう! って、俺はついでかいっ!」


「アハハッ、嘘だよー! たけるくんが来てくれて助かった! ありがとうー」


水崎さんに笑顔が戻った。これ以上の報酬はないだろう。


なんにせよ、ひとまず水崎さんの濡れ衣は脱がすことができ、今回のイベントは切り抜けることができた。


ところで西園寺さんは山口に何を耳打ちしたのだろうか。タイミングがあればこの後にでも聞いてみよう。

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