第2話 呼び出し

「あ、うん……」


唖然としているうちに気づけば俺はそれを受け取っていた。


罫線に整列した綺麗な文字で西園寺さんのロインIDが書かれている。


「フフフッ、どうしたの?」


「い、いや! なんでもないよ。ありがとう」


「いいえ、連絡ちょうだいね」


「お、おう……」


はじめて連絡先を交換する相手は信だったはず。


信と交換したのは図書委員の仕事で必要な連絡をするためだったが、係が俺と入れ替わったことによる影響だろうか。


いずれにせよ、ちょっとした不意打ちを食らった気分だった。





その後、学食を食べ終えると信と水崎さんの分のお盆を片付けていく。


「あ、私、水崎さんの分持ってくよ」


「え、いいの?」


「もちろん」


「ありがとう。あそこの配膳台の横に重ねて置いておくようになってるんだ」


「わかったわ」


片付けが済ませて食堂を出ると、人足の少ない廊下まできたところで、西園寺さんは突然くるりとこちらに振り返った。


「ねぇ、学校の案内してもらう約束、また今度でいい?」


「え、全然いいけど、どうしたの?」


「浅野くん、私と見てまわったら気にするでしょ?」


「気にする?」


「うん、クラスの人に恨まれるかもとか思ってるんじゃないかと思って」


その通りだった。


もちろん、親友キャラの俺が正ヒロインと二人で歩いてまわるなんてこと自体が役不足もはなはだしいと感じていたこともあるが、なによりクラスのみんなから抜け駆けしたと思われないかと危惧していた。


それに西園寺さんはすでにクラスのマドンナとしての自負がある様子なわけだが、こんなキャラだっただろうか。


自分が美人で人気者であることに無自覚なくらいの謙虚さと貞淑さ、そして純粋さを極めたキャラクターだったと思っていたのだが……。


とはいえそんな細かいことを気にしているのはデリカシーのない親友キャラらしくない。


なのでここはいったん誤魔化しておくことにした。


「い、いやー! 別にそんなことは──」


「図星だ」


俺の誤魔化しを一蹴するかのようにして言葉を遮る。


内心驚いていると、その表情から考えを察したのか、俺の顔を覗き込むようにして人差し指を上に突き立てる。


「よ、よく分かったな……」


さすがに観念する。


「食堂に残って二人で食べてた時も周りを気にしてたみたいだったから」


「そんなにキョドってた? 俺……」


「フフフッ、別にそうでもなかったわ。まあでも、色々と気遣いしすぎて気疲れしちゃうんじゃないかとは思ったけどね。私に対しても、もちろんクラスのみんなに対しても」


「そっか……」


「だからさ、もし私と浅野くんが仲良くなったんだなって、そういう空気がなんとなくクラスの中にできてきたら、また二人でお昼でも食べましょう?」


「う、うん」


俺が前世で見てきた以上に、なんとも西園寺さんは妙にさとい感じの人だった。


これまで他のキャラクターは俺が知ってるラブコメ通りだったのに、彼女はどこかイレギュラーな感じがするのだ。


そして、俺と仲良くなって一緒にランチするというフラグまでおっ立ててきたわけだが、本当にモブキャラ代表のこの俺と、仲良くなんてなるのだろうか。


物語の小さくも意外な改変に、ちょっとした焦りを感じていた。


学校が終わったら一度これまでのシナリオを整理してみよう。


西園寺さんからもらった今にも良い匂いがしてきそうなメモ書きを眺めながら、俺は物思いにふけっていた。







翌日、再びいつもの朝がやってくる。


梅雨入りを果たし、紫陽花あじさいの大きな葉に滴る雨音が耳心地の良い頃合いだった。


水崎さんと信が仲睦まじく教室に入ってくる。


「おっす! 主人公! 今日もがんばれよ!」


「だからなんだよ、その主人公って……」


「なんでもねーよ! 水崎さんもおはよう!」


「うん! おはよう! たけるくん!」


水崎さんに挨拶された。最高だ。


「ふぁーっ、眠いなー」


信が大きくあくびをしながら伸びをする。


「信ちゃん、また夜更かしでもしてたの? 今朝も全然起きてこなかったじゃん!」


「いやーそんなことはなかったんだけど、やっぱり雨の日は起きずらいんだよ」


「もうー、私いなかったら完全に遅刻してたよ? 感謝してよね!」


朝が弱い信のことは、よく水崎さんが家に押しかけて起こしにいっている。


なんだこの新妻は。


こんなかわいい幼馴染に起こしてもらえるなんて、全く憎たらしい奴だ。


「うん、水崎にはいつも感謝してるよ。ありがとう」


そう言うとナチュラルに水崎さんの頭をポンポンと撫でた。


水崎さんの口元が緩む。もちろん俺の口元も緩む。


やっぱり俺はこのカップリングが好きだ。ぜひくっついて欲しい。


「浅野くん、おはよう」


隣の席に座ろうとしていた西園寺さんがきょとんとした顔つきで声をかけてきた。


「あ! 西園寺さん! おはよう!」


「どうしたの? そんなにニヤニヤして」


「えっ、あ、いや、これは……」


信と水崎さんのやりとりが微笑ましかったと二人の前で言うのもなんだか冷やかしてる感じがして気がひける。


ここは親友キャラとして、お調子者らしいリアクションで誤魔化すとしよう。


「いやぁーっ! 西園寺さんみたいな美少女にお声がけしてもらえるなんて幸せだなーなんて思いましてねー! あ、朝一に俺に声をかけるなんてもしかして西園寺さん俺に気があったりして! なーんてな! アハハハハッ」


「えっ、あの……えーっと……」


西園寺さんがやや困った顔をし、目で信にヘルプを求めた。


「こらたけるー? 西園寺は転校してきたばかりなんだからあんまり困らせちゃだめだろ」


「はーい」


さっそくイケメン平凡主人公に嗜められた。今日も俺は朝からしっかりと引き立て役に徹していく。


「ごめんな。こいつこんなこと言ってるけど、フランクな空気つくりたいだけなんだよ。悪い奴じゃないからさ」


「はい、分かっています。浅野くんはいい人です」


「そっか、それはよかった。こんなだから誤解されやすいんだよね、こいつ」


「フフフッ、それで親友の川村くんがちゃんとフォローしてくれてるんだ? 素敵じゃないですか」


「ま、まあそんなんでもないけど……ほんと、健には手間かけさせられるよ」


西園寺さんに褒められてさすがの信も照れている様子だった。


こんな感じに俺がふざけて、信がたしなめるというのはいつもの流れだ。これで信の静観さがより際立っていく。


世話焼きな信は水崎さんのことはもちろん、俺のこともこうして気にかけてくれるのだ。


まあそんな信の性格こそヒロインを落としていく主人公的甲斐性なわけだ。


俺みたいな友達にもその優しさを振り撒いていく。


『なんだこいつ、俺も落とす気か?』とつい思ってしまうほどに分け隔てない。


そういう人格者なわけだが、俺が落ちるというifルートは需要が違いそうなので、それはネットの奥底に眠る特定の属性の方々に向けた二次創作の中だけの話で勘弁してもらおう。



そうこう話しているうちにチャイムが鳴った。朝礼を済ませるとさっそく1時間目がはじまる。


初っ端から英語の授業とは、天気が悪いのも相まってややテンションが下がる。


英語教師の井上はなかなかに厳しいのだ。


今日は長文読解の続きからはじまったのだが、隣で西園寺さんが教科書を開いていないのに気がついた。


よく見ると教材の表紙が俺のと全然違う。


おそらく前の学校のものを持ってきてしまったのだろう。


仕方ないので見せてあげることにした。


「西園寺さん、その教科書……」


先生には聞こえないように声を落として話しかける。


「あ、うん……間違えちゃった。ちょっと見せてもらってもいい?」


「いいよ」


少し机を近づけようとすると、西園寺さんはこちらに手を差し出した。


「あ、大丈夫。ちょっと貸してもらえればいいの」


「え? そう?」


俺の教科書を手渡すと、パラパラとめくってみせた。


「何ページ?」


「81ページの長文問題だよ」


「分かった」


ページを開いて30秒ほどじっと眺めると、さっと何かを書き込んだ。いったい何をやっているのだろうか。


「ありがとう。終わったわ」


「え? もういいの?」


「うん、大丈夫よ」


手元に返ってきた教科書を見ると右下に字が書き足されていた。


『授業が終わったら、図書室に集合』


横には西園寺さん自身と思わしき二頭身のデフォルメキャラクターがかわいらしく描き添えられている。


よく分からないのだか、俺が頷くとにっこりと微笑んで見せた。


そのあまりに綺麗な微笑みに心が奪われそうになるものの、俺の推しは水崎さんだと自分に言い聞かせる。


授業が進行していくと設問について生徒があてられていく。


「えーっと、今日は12日だから12番目の、西園寺さんか? Q.3だな。指示語のThatが何を指してるか、分かるかー?」


「"the poor bird which fell down."です」


さすが海外にいただけのことはある。発音は完璧だった。


さらには彼女のその美声もまるでソプラノ歌手のように透き通っている。これは耳にいい。


「そうだ。正解。この問題はひっかけが多くて難易度は高めだな。解説すると……」


それにしても教科書を持っていないのになぜ答えられたのだろうか。


もしかして一度、この問題を解いていた経験があったのかもしれない。大学の過去問から抜粋されているので珍しいことではないだろう。


色々と不思議なことが多い時間だったが、授業が終わると、西園寺さんはそそくさと教室をでていってしまった。


俺も後から席を立ち、図書室へと向かう。


ドアを開けると、虚げな眼差しで並べられた本の背表紙を見回す彼女の姿があった。


「ふーん、この学校、蔵書は多そうね。嬉しい」


「西園寺さんは本が好きなの?」


「うん、好きかな。色んな人とお話ができるから」


「お話?」


読書といえば一人でするものではないだろうか。お話とはどういうことだろう。


「ほら、昔の偉い人とか、頭のいい人とか、ちょっとおかしくなっちゃった人とかも、本を通せば時代を超えて、彼らの言葉に触れて、彼らとお話できるでしょう?」


「なるほど。さっきの授業中ででてきた文章も、もしかして読んだことあったりとか?」


イギリス文学の抜粋だったので、その可能性は十分にあった。


「いや、あれははじめて読んだわね。文の質感がちょっとシックで好きだったわ」


「じゃあさ、なんで問題に答えられたのさ」


「教科書、見せてくれたじゃない」


「いや、見せたつってもほんのちょっとだけだろう? それにあんなかわいい絵まで描いてたくらいだったし、ほとんど読んでなかったように見えたけど」


「あ、私の絵、かわいかった?」


「うん」


「あれ私なの! かわいいでしょ?」


「お、おう」


まあモデルがかわいいのだから、キャラもかわいくなるのは当然として、やはり西園寺さんは自分がかわいいのだという自負があるようだった。


「それで結局、どうして当てられた時に答えられたのさ?」


「だから浅野くんに見せてもらった時に解いたのよ」


「え!? あの短時間に!?」


「うん、一回本文と設問を覚えちゃえば、あとは頭の中で解けばいいだけでしょう?」


「すごいな」


「まあね。記憶力は結構いい方なのよ」


そう言いながら人差し指で自分のこめかみを突く。


確かに西園寺さんは頭脳明晰な設定だったが、まさかここまでとは驚きだった。


「それで、俺を呼び出したのって……」


「ああ、そうだった。本題を忘れてたわね」


本棚から離れると、俺の方に近づいて目を合わせてきた。

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