4.Monster/成れの果て
監督官を務めていた研究者の女性は、僕を先導して廊下を進んでいく。他の場所と同じく、白い空間である。壁には一定の感覚でスライド式のドアが設置されている。廊下を進んでいくにつれて、なんだか寒くなってくるように感じた。
廊下の一番奥のドアの前で、研究者は立ち止まった。そして、ドアのすぐ横に設置されている青いパネルに手をかざす。すると、ドアが素早くスライドして開いた。よく見る光景だ。この研究所のドアの開閉にはある種のアクセス権限のようなものが必要らしかった。当然僕たちはそれを持っていない。
ドアをくぐった先は、部屋というには少々広く、倉庫のような作りになっていた。とは言っても、何かが置かれているわけではなく、奥の方に大きなゲートがあるのが見えた。これまでの白い空間とは打って変わり、壁は灰色のコンクリートのようないかにも丈夫そうなものだ。そこに、抉られたような傷跡が大小様々に幾つも刻まれていた。
かなり異様な雰囲気だった。研究所の多くの場所では、洗練された機能性のようなものを感じていたが、ここにそんなものはない。何の装飾もなく、壁の傷がそのまま放置されている。この実験の暗い部分、普段は覆い隠されている汚れた部分が目の前に突然現れたように感じた。
『ゲートが開きます』
スピーカーから流れた音声に驚いて辺りを見回す。気づけば、監督官はいつの間にかいなくなっている。
『35番は今回の実験で規定の成績に到達することが出来ませんでした。よって、プロトコルK-9を発動し、被験体エスとの戦闘実験を行います』
ぎいぎい、と。
ゲートが音を立ててゆっくりと開いていく。ゲートの先は真っ暗だったが、ゲートが開くにつれて徐々に明るくなっていく。そして僕は、鎖に繋がれた
「嘘……だろ……」
全長3メートルはあるだろう。遠目から見ると人型に見えるが、それの形はとんでもなく歪だった。全体的に、機械と肉が入り混じっているように見える。腕や脚は大きめのものが一本生えていて、そこから枝分かれするように機械の腕と肉の腕や脚が何本も生えている。そしてその先端は、大小様々な刃物のようになっていた。また、首から上が存在せず、代わりに腹に当たる部分に顔のようなものがいくつかついていた。その顔を見て、僕は強烈な吐き気を催した。
「そんな……これは、
青い瞳に、赤い髪。生気を失ってはいるが、見間違えようもない。怪物の腹から生えていたのは、同じ実験を受けてきた子供達だった。
僕が固まったまま怪物を眺めていると、またスピーカーから声が流れ出す。先ほどとは違う、男の声だ。
『被験体エスは、プロジェクトKの中で処分対象となった実験体を
「何故……そんな事を」
僕はたまらず声に出した。全くわけが分からない。
『何故?ククク、やはりお前は面白い……』
スピーカーの先で、男は静かに笑い、それから明るい口調で語り出す。
『生物が最も高いパフォーマンスを出せるのはいつだと思う?』
「何を言ってる……?」
『死にそうになった時さ』
彼はとっておきの功績を話すかのように、非常に楽し気な口調で続けた。
『死に迫ったとき、生物は己の能力を最もよく発揮できる。俺はお前たちに、最後のチャンスを与えているんだよ。通常の実験で成果を残せなくなったお前たちでも、死に迫れば何らかの成果を出せるかもしれないだろう?ああ、それにしても実験体からエスをつくったのは我ながら天才的だった!強い兵器ってのは借りるだけでも莫大な金がかかりやがる』
「……イカれてる」
僕は思わずそう吐き捨てた。今までの実験全てが酷く醜悪に思えた。
「通常の実験で成果を残せなくなった」と彼は言った。つまりこれまでの僕たちの実験はいわば厳選作業のようなものだった訳だ。優秀な子供を選別し、優秀でない子供はこうして処分される。クソッタレの「最後のチャンス」を与えられて。
『お前から見て右の壁にナイフがぶら下がっているのが見えるか?』
僕はそういわれ、右の壁を見る。壁にはフックのようなものが取り付けられていて、確かにやや大振りのサバイバルナイフがぶら下がっているのが見えた。
『そいつはお前の生命線だ。そのナイフを使って生き延びてみろ。目の前の巨大な化け物を殺して、自らの生を勝ち取るんだ!ワクワクするだろ?やっぱり生物ってのはこうでないとな』
僕は男の言葉には答えず、ナイフの掛かった壁まで歩いていく。
この世界に来たばかりの僕がこんな状況に立たされたらどうしていただろう。きっとナイフを手に取ることなく、生きるのを諦めていただろう。あの時の僕には、生きる理由も意志もなかった。
「……でも、今は違う」
僕はナイフを手に取った。今は生きなければならなくなったから。
怪物を見る。その巨体をよじらせ、鎖を解こうとしている。その拘束が少しずつ緩んでいるのがわかる。
やがて、怪物が鎖から抜け出し暴れ始めた。僕はナイフを構えた。
「アギャギャガギャ――!」
耳をつんざくような咆哮。怪物は巨大な体を揺らし、大量の腕を振り回しながら突進してくる。ぞわりと怖気が走った。体が硬直するのがわかる。
動け。動け!でないと死ぬぞッ!
「くそッ!」
かろうじて体が反応し、僕は横っ飛びでその突進を躱した。怪物は僕を見失ったのか、僕が立っていた辺りの床をめちゃくちゃに切り刻んでいる。
幸い、怪物の動きはあまり速くないようだ。だが逃げ回ってばかりもいられないな。僕は飛び跳ねる心臓を宥めるように、努めて深く呼吸した。
逃げてばかりいても状況は悪化するばかりだ。僕の体力はどんどん尽きていくし、怪物の腕や脚に生えた大きな刃は僕を容易く僕を両断できるだろう。仮にそうでないとしても、傷を負えば動きが鈍る。
こちらは一撃喰らえばゲームオーバー。対して相手はどうやったら倒せるのかもわからない。
「ダメで元々か……」
この状況を生き残るのはだいぶ厳しそうだが、まだ手がないわけじゃない。全力で足掻いて、それでもダメならしょうがない。
怪物が床を切りつけるのをやめ、僕の方を見た。僕は着ていた服を切り裂いてナイフの柄に巻き付け、怪物の方に少し近づく。
「来いよ」
怪物は再び僕の方めがけて突進を仕掛けてくる。僕はすぐに躱さずにじっと待った。刃が迫ってくる。怪物が十分に近づくのを待って、僕は怪物にナイフを突き立てた。
「ギャギャガギャ――!」
「ぐッ――!」
左の肩に焼けるような痛みが走った。怪物の刃が僕の肩を切り裂いていた。僕は肩を抑えながら急いでその場を離れる。
すると怪物はその場で突然動きを止めた。そして、僕が先ほどナイフを突き立てた腹の辺りを
怪物が床を傷付け続けるのを見て、僕はある可能性を思いついた。こいつはあまり知能がない。そして、あまり目が良くないんじゃないか。もしそうなら何かほかに僕を知覚する手段を持っているはずだ。例えば、匂いとか。
僕はその可能性に賭けた。僕の匂いが染みついているであろう服をナイフを使って奴の体に接着させれば、その匂いに従って奴が自分を攻撃するんじゃないかと踏んだ。
「やったか……?」
怪物はしばらく自分の体を切りつけた後、動きを止めた。辺りは怪物の血で赤く染まっていた。
僕も肩の出血がひどい。すごく痛いし、少し気が遠くなってきた。ここから出られたら、治療が必要だな。
僕に生まれた余裕がこの思考を生んでいた。油断だったのかもしれない。僕は、目の前の怪物がかすかに動いたことに気づかなかった。
「アギャガギャ――!」
怪物は体を起こし、僕の方めがけて腕の刃を
さすがに予想外だ。反応が遅れた。死んだ。避けられない。頭の中で様々な思考がよぎる。ふと、頭の中で声が響いた。
『なら、美味しいものを食べたい。あなたと』
死ねない。まだ死ねない――!
そう思った瞬間、
僕は刃を避けることが出来た。そして怪物は地面に倒れ伏し、再び動かなくなった。
僕はその場に座り込んだ。かなり頭がくらくらする。だいぶ血を失ったみたいだ。怪物は倒れ込んでいるし、死んだふりをできる知能があるとも思えないから、さすがにもう死んだのだろう。
「ごめん、僕は生きなきゃいけないんだ」
こんな怪物に変えられたとしても、元々があの子供たちであったことには変わりない。彼らは何の意志も持つことなく死んでしまった。僕が殺したんだ。
生きなければならないから殺す。これが正しいのかはわからないけれど、少なくとも仕方がないとは思うのだ。
本格的に意識が遠のいてきた。実験終了のアナウンスでも流れるのではないかと思っていたが、流れてきたのはけたたましいサイレンだった。
『侵入者を発見、侵入者を発見――』
目の前が暗くなっていく。かすかな意識の中で、入り口のドアが吹き飛んだのが見えた。誰かが僕に走り寄ってくる。
「……の子は?」
「35番。私の……。」
「わ……た。ねえ、しっ……り……て。」
最後の言葉は、やけにはっきりと聞こえた。
「助けてあげる」
僕は意識を失った。
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