3.Awakening/目覚め
研究所での実験はますます高度になっていき、子どもたちの数もまた徐々に減っていった。一体どういう基準で子供たちを選別しているのか。いろんな考えが浮かぶが、どれも想像の域を出ない。
彼らは僕たちに何かを期待しているように思える。実験を繰り返し、僕たちが何らかの反応を示すのを待っているような感じがする。であれば、「別の実験」に呼ばれた子供達にはその兆候が見られたのか。
「別の実験」のことを考える度に、無表情で連れて行かれる子供達の顔が頭に過ぎる。言われたことにただ従うだけ。そこに自分の意思はない。
意思などと考え出すと、どうにも僕は胸の辺りのもやもやを感じずにはいられない。生きる意思もなく生きる。その生き方がどうしようもなく虚しいのを、僕はすでに知っている。
39番はあれから熱心に本を読むようになった。休憩時間になる度に本棚に向かっては新しい本を手に取って読み始める。
勧めたのは絵本だったが、彼女は絵本などすぐに読み尽くし、今では小説などに手を出している。そして分からないことがあれば、僕に尋ねてくるのだ。
とは言っても、彼女が語彙などの知識面で行き詰まることは皆無と言っていい。問題は登場人物の心理などの部分だ。
「キスというのは唇を重ね合わせる行為。なんでこの人たちはこんなことをしているの?」
なんて無表情で問いかけてくるのだ。それで僕が、キスをするとお互いに嬉しい気持ちになるのかな、なんてぼかした解答をすれば、
「じゃあやってみたい。あなたと」
なんて言い始める。キスは好き同士の相手とするものだと言ってやると、じゃあ好き同士ってどういうこと......と、無限に質問が続いていくのだ。
僕はこの質問攻めに若干疲れていたけれど、同時に嬉しくも思っていた。必要だと教えられなかったことを、自分から知りたがっている。この好奇心はきっと、彼女の意志の始まりだ。
彼女には、僕みたいな虚しい死に方はして欲しくない。
それから暫く僕は実験を受け、39番の質問に答える生活を続けた。実験が高度になるに従って子供が減るペースも早まり、残りが僕と39番だけになるまで、そう大した時間はかからなかった。
39番は最近小説すらも読破して、雑誌などに手を出すようになった。今はグルメ雑誌を読んでいるようだ。絨毯の上に雑誌を広げ、食い入るように見つめている。
僕たちに提供されている食事はゼリー飲料やブロック状の固形食ばかりで、とても料理とは呼べない代物だ。雑誌に映る料理たちを、彼女はどんな気持ちで眺めているんだろう。
「……35番、今いい?」
僕が39番をぼんやりと眺めていると、彼女がふと雑誌から顔をあげて、そう問いかけた。青色の瞳と目があって、僕はさりげなく視線を逸らしながら答える。
「いいよ。どうしたの?」
「この雑誌のレイアウトに疑問があって」
レイアウト。そんなにおかしな部分があっただろうか?
「というと?」
「この雑誌で大きく載っているのは料理の見た目ばかり。成分とか材料はほとんど載ってない。それが一番重要なのに……どうして?」
「それは……」
少し、考える。出来るだけ良い伝え方ができないか、言葉を舌の上で転がす。
「それを読む人にとっては、きっと成分も材料も重要じゃないんだよ」
「じゃあ何が重要なの?」
「それは、見た目とか、美味しさとかかな」
「美味しさ?」
「うん、美味しいものを食べるとね。人は幸せな気持ちになれるんだよ」
これは本当だと思っている。美味しいものは幸福への近道の1つだ。美味しいものを食べても幸福を感じられない状態も知っているけれど、まあそれはそれである
「美味しいものを食べると幸せになる……」
彼女はその意味を噛みしめるようにゆっくりと、静かにつぶやいた。それから僕の方をじっと見て言った。
「なら、美味しいものを食べたい。あなたと」
僕は思わず目を見開いてしまう。まさかそんなことを言われるとは思わなかった。
「あなたには……『恩』がある。だからあなたが『幸せ』になると……私も『嬉しい』と思う」
この子には、無意味に死んでほしくないと思った。だからこの子に自我が芽生えるようにした。今この研究所から出る手立てはないけれど、全く希望がないわけでもない。研究者たちが期待する何かを彼女が示すことができれば、いずれはこの実験から解放されるかもしれない。その時に彼女が自分の意志で世界を見て、自分のやりたいことを出来たらいいなと思った。
しかし彼女は言う。僕と美味しいものを食べたいと。僕が幸せになると嬉しいと。僕は僕の思っていた以上に彼女の意思に影響を与えてしまっているようだ。
「……ああ、そうだね。いつか、食べられたらいいね」
この瞬間、僕は笑えなかった。苦い表情にすらなっていたかもしれない。
後にして思えば、39番のこの言葉は、僕をこの世界につなぎとめる最初のきっかけであったように思う。
元々は、僕の命なんてどうでもよかった。この世界には僕のことを慮る存在なんていないはずで、だからこそ僕に生きる意味なんてないと思っていた。でもこの瞬間、僕はまた生きなければならなくなった。勝手にくたばるわけにはいかなくなった。それがどんなに困難であっても。
「35番は別の実験を行いますので、私についてきてください。」
翌日の実験の後、監督官が僕にそう告げた。
僕は覚悟を決めた。
部屋から出るときの、39番の不安そうな表情がやけに瞼に焼き付くようだった。
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