2.Guinea pigs/モルモット
研究所での日々は、実験と試験の繰り返しだった。勉強をさせられたり、運動をさせられたり、よくわからない薬を投与されたり、これまたよくわからない映像を延々と見せられたりした。
僕たちは実験の最中番号で呼ばれた。僕は35番。ほかの子供たちも30番台から40番台の番号だった。僕が見た子供は十人程度だったのに、番号は随分多い。他にも僕たちみたいな存在がいるのか、それとも以前はもっと若い番号の子供たちがいたのだろうか。考えても仕方ないことは分かっているが、この未知な状況が僕に無駄な思考を続けさせた。
ある日の試験は算数のテストだった。問題の書かれたタブレット端末に答えを書き込んでいく。問題は足し算や引き算といった簡単なもので、僕はすぐに解き終わってしまった。手持無沙汰になった僕は、周りの様子を観察することにした。
全体的に白を基調とした部屋で、白い勉強机が10台、横に5台が2列になって並んでいる。前の教壇にあたるだろう位置に監督官の白衣の女性が立っている。席に座って問題に向き合う子供たちの様子は様々だ。黙々とペンを動かす者や、ぼうっと虚空を見つめているかと思えば、ふと思い出したようにペンを動かす者もいる。
そんな中、
(あの子、大丈夫かな……)
タブレットをじっと見つめたまま、ペンを全く動かさない男の子が見えた。もしかしたら、うまく解けていないのかもしれない。助けようにも、監督官がいる以上不可能だ。
そんなことを考えていると、テスト終了を告げるタイマーが鳴った。
「テストは以上です」
監督官がそう告げると、タブレットが動作を停止し、画面が真っ暗になる。監督官は自身の手元にあったノートパソコンからチップのようなものを取り出すと、それを
最初見たときはかなり驚いたが、この研究所の人たちの技術レベルはかなりの物らしく、彼らは自分の肉体を改造してあのようなチップの情報を差し込み、読み込めるようにしているのだ。肉体の改造はそれに留まらない様で、腕が何らかの機械に変形する者、顔に特殊な機械を埋め込んでいる者など様々であった。
僕はこの改造人間たちを見て、ある種の予想を固めつつあった。すなわち、僕は以前生きていた世界とは全く別の世界に転移してきてしまったのではないか。いわゆる、転生とか呼ばれる現象が僕の身に起こったのではないかと考えたのだ。この研究所にしても、そこで働いているらしい人々にしても、以前の世界とは技術力が段違いだ。もはや、これが以前と同じ世界であると信じる方が難しくなっていきていた。
監督官がチップを自身の首筋に差すと、彼女の瞳が赤く光り始めた。これがどうやらチップを読み込む際に現れる反応のようだ。数秒で読み込みを終え、彼女は次の指示を出した。
「それでは次に運動性能試験に移りますが、40番は別の実験を行いますので、私の後をついてくるように」
40番。さっき全くペンが動いていなかった子だ。別の実験とはいったい何なのか。試験ではないのか。ぐるぐると考える僕をよそに、40番の少年は無言で席を立つと、監督官に続いて部屋を出ていった。
僕があれから40番の姿を見ることはなかった。
そのあとも様々な実験が続けられ、子供たちの人数はそれに伴って減っていった。彼らは一様に「別の実験」とやらに連れていかれ、そのまま姿を消す。
僕たちを「別の実験」などとわざわざ濁して区分けする理由は全く思いつかなかったが、さして興味もなかった。研究者どもがどんな実験をしようが、僕たちはただ従うしかない。あの改造人間たちに逆らったところで、勝てる見込みは万に一つもないのだ。
結局のところ僕たちは、モルモットよろしく彼らの実験に付き合うしかないわけだが、僕は大した焦りも恐れを抱いていなかった。
僕は一度死に、そしてどういう訳かこの妙な研究所にやってきた。ここがどんな世界なのか全くわからないけれど、ここには僕の親しい人は誰もいないだろう。僕がここでどんな目に遭うとしても、困る人も悲しむ人もいない。であれば、生きている意味はない。
実験の中で行われるテストはどんどん高度なものになっている。いずれ僕はついて行けなくなるだろう。それでいい。せいぜい僕たちの実験が、顔も知らない誰かさんの助けになればいい。
子供たちの数が5人にまで減った頃、僕たちは別の部屋に移されることになった。カプセルで寝るのはうんざりしていたしありがたい。部屋には、それぞれのベッドが横に並ぶように置かれている。絵本やおもちゃなどの遊び道具がおかれ、床には黄色い花柄の可愛い絨毯が敷かれている。
僕たちへのサービスでこんなことをしているのではないだろう。その証拠に、部屋の上部の隅にしっかりと監視カメラが設置されている。僕たちをこんな子供部屋のような場所で生活させて、何かを観察しようとしているのだろう。とはいえ、カプセル暮らしよりは百倍マシなことには違いない。
子供たちの過ごし方はどの子もあまり変わらない。ベッドに腰かけていたり、絨毯に座っていたりするが、一様に無表情でぼーっとしているように見える。僕は彼らが表情を変化させたり、研究者たちへの返事以外で喋ったりするのを見たことがなかった。
僕は本棚から絵本を手に取った。表紙には見たことのない文字が書かれているけれど、なぜかすぐに意味が分かる。『AIの恩返し』……。なんだかなぁ。思わず微妙な表情になる。
僕が渋い表情のまま絵本をペラペラとめくっていると、誰かの視線が突き刺さっているのに気づく。絵本から顔を上げ、視線の方に顔を向けると、無表情の女の子が僕の顔を見つめていた。胸に「39番」の名札がついている。僕がそちらを見ても、目をそらすそぶりもない。
「人の顔をじっと見て、どうしたの?」
あまりにもじっと見られるので、僕は耐えかねてそう尋ねた。彼女は口を開いた。と思ったら、ためらいがちに口を閉じる。その青い瞳が揺れていた。何かに迷っているような、いうべき言葉が出てこないような様子である。僕は、彼らの表情と呼べるものを初めて見たような気がして、驚いた。彼女はおずおずと話し出す。
「わからない。ただ……あなたのことが気になったの。あなたは……」
彼女はそこで言葉を切って、そして僕の顔を再びじっと見た。
「ほかの子たちと全く違う気がするの」
「そうかな?どう違うのさ。僕らの顔は皆そっくりじゃないか」
「外見の話じゃない」
彼女は僕をじっと見つめたまま続ける。
「ほかの子は、ただ出された指示に従うだけ。でもあなたは……考えてる。観察してる。なぜこんな指示を出すのか。なぜこんな実験が行われてるのか。」
「……なんでそんなことがわかるの?」
「あなたの顔。あなたは指示を出されるたびに眉や目が動く。普段と違う指示を出されたときにその反応は特に顕著になる」
「君も僕を立派に観察しているじゃないか」
「あなたは目立つから」
僕はそこまで話して、彼女が僕たちの中で一番の成績優秀者であることを思い出した。彼女は僕の表情の変化に疑問を持ち、そこから自分なりの考察を深めていったのだろう。僕は子供達には全く自我が芽生えていないのだと考えていたのだが、自我を持ち始めている子もいるようだ。というか、そこまで僕は目立っていたのか。もしかしたら研究者連中にも目をつけられているのかな。まあどうでもいいけど。
「……それで?君は僕にどうしてほしいの?」
「教えてほしいの。なぜあなたがそうやって振る舞うのか。どこにそんな必要性があるのか」
「必要性か……」
なんだか死ぬ前の僕みたいだな。やる必要のあることをやって、それ以外に意味を見出せない。この子も、生きる理由を見出せないまま生きて、何のために生きたかもわからず死んでいくのだろうか。そう思うと、なんだか無性にもやもやとしてくる。
「しいて言うなら、気になったからだよ」
「え?」
「どうしてなのか、気になるから考えたんだ。まあ、何もわからないんだけど」
彼女は戸惑っているみたいだ。無理もない。ここで教えられたのは合理性だけだ。感情や意志、衝動なんてものには思いもよらないんだろう。でも、彼女が抱いた疑問はきっと自我形成の第一歩になる。彼女には、僕みたいな死に方はしてほしくない。
「絵本でも読んでみるといい。きっといい手掛かりになると思うよ」
「……わかった」
僕が持っていた絵本を彼女に渡すと、彼女はそれをじっと見つめて受け取った。彼女にしてみれば、すごく重要なことが書いてあるように思えたんだろう。僕はその様子をほほえましく思いながら、別の絵本を手に取った。
自分の命などどうでもいいのに、彼女には死んでほしくないと思った。こんな風に何かを望むのは久しぶりな気がした。何ができる訳でもないのに。
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