サイバーコア
@DetectiveHippo99
1.生きる理由
この世の中は苦しみに満ちている。多くの人が生きたい、幸せになりたいと口にするけれど、そのためにどれだけ傷つかなければならないのだろう。そのためにどれだけを傷つけなければならないのだろう。こんな世の中にそれほどの価値があるんだろうか。
人はなぜ生きるんだろう。どうして生きたいと思うんだろう。
最近の僕はどうにも憂鬱だった。大学生活も3年目に差し掛かったけれど、友達作りはさっぱりうまくいかず、かといって学業に精を出しているというわけでもない。趣味も特にない。というか、何をするにしても気力がわかない。講義があるとき以外は家に引きこもっていることがほとんどだった。
ちょっと前まではここまでひどくはなかったように思う。高校までは友達もちゃんといたし、大学に入ってからもそれなりに活動的ではあったはずだ。だが、一人で過ごす時間が増えるほど無気力がひどくなっていき、今年の初めに母が死んでからその傾向は決定的になった。
僕は横たわっていたベッドからのそりと起き上がった。通学用に借りたワンルームは散らかっていて、捨てていないゴミ袋が1つ放置されている。時刻はとっくに昼を回っていて、閉め切ってカーテンからわずかに光が見えた。自分の部屋くらい片付けようとは思うが、困ったことにやる気が出ない。
部屋の真ん中に鎮座するテーブルの上には洗っていない食器とノートパソコン、それに提出の催促されている書類が未整理のまま置かれている。僕はノートパソコンを近くにあったリュックに突っ込んだ。今日も講義がある。大学に行かなければ。
シャワーを浴びて、最低限の身だしなみを整える。髪形とか、以前は気を使っていたような気がするけれど、今ではどうでもよくなってしまったように思う。
アパートを出て、歩きなれた道をゆっくりと歩く。春先の陽気が暖かい。なんとなく、時々立ち止まる。一人で歩いているとつい考え事に意識がそれてしまう。
なんとなく、死にたいなと思う。自分には生きている価値がないとか、母親のことが悲しいとか、そういうことではきっとない。もっと単純に、生きる理由を見失ってしまったのだと思う。僕が死んだら残された家族はきっと悲しむだろうとか、奨学金はどうするんだとか、そんな「生きなきゃいけない理由」はいくらでも思いつくけれど、「生きたい理由」が1つも思いつかない。
そんな風にぼんやりしていたからだろうか。僕は周りがにわかに騒がしくなっていることに気づかなかった。ぼくが
「そいつナイフ持ってるぞ!」
「え?」
気が付くと、目の前に黒いパーカーを着て、フードを目深にかぶった男が立っていた。息が荒く、肩が激しく上下している。右手を見ると、確かにナイフを持っているのが見える。
男がこちらに走ってくる。僕の体は完全に硬直した。時間の流れが急速に遅くなったような錯覚。ゆっくりと男が走る。心臓の音が妙にうるさい。
どす、と。
僕の体にナイフが突き刺さったのがわかった。腹に強烈な異物感と、それから焼けるような痛みが走る。痛みのあまりよろめき、倒れた僕に男は馬乗りになった。
どす、どす、ぐちゃ。
男は僕の腹を何度か刺した。僕は何の抵抗もできず、もはや動くことすらできなかった。男は僕が死んだとみて満足したのか、立ち上がって周りを見回すように視線を動かした。
痛みはもう感じていなかった。ただ恐ろしく寒くなり、視界が端から暗くなっていくのがわかった。貧血で倒れたときみたいだな、となんとなく思う。周りの人々の叫びがひどく遠く聞こえる。見回すと、男が複数の人に押さえつけられているのが見えた。
自分が死ぬのだと悟った。怖くはなかった。ただ、ほかの人が死ななくてよかったと思った。
「僕は……なんのために……生きて……」
まず音が消えた。それから体の感覚が消えた。そして、何も見えなくなった。
ピ、ピ、ピ、ピ……。
無機質な機械音が聞こえる。母さんが入院してた時は、病室でずっとこんな音がしてたんだっけ。すごく耳障りで、僕はこの音が本当に嫌いだった。
指先の感覚が戻ってきたのがわかった。手を握ったり、開いたりする。少し違和感がある。なんだか……、手が少し小さいような。
というか、ここはどこなんだろうか。てっきり僕は死んだのだと思ったのだが。
眼を開けてみた。まず目に入ったのは透明なガラスだった。次に辺りを見回すと、目と鼻の先を壁に囲まれている。僕はどうやらカプセルのようなものに入れられているようだった。最近の天国ってこんな感じなの?僕の脳裏に死者の魂をカプセルに入れてコレクションする神様の図が浮かぶ。
次に自分の体を見てみる、と。
「なんじゃこりゃ……」
僕の体は……ずいぶんと幼くなっていた。まるで5歳のころに戻ったようだ。しかも元の体とはこれまたかなり違っているように見える。自分の体とはいろんなところが違うのに、自分の体だと認識できる。なんとも不思議な気分だ。
僕が自分の体らしい体をじろじろと観察していると、
ブーーーー、と。
何やらブザーのようなものが鳴り響き、僕が入れられているカプセルのガラス部分がゆっくりとスライドして開いた。
「今度は何なんだ?」
僕が恐る恐るカプセルから顔を出すと、そこはまるで研究室のような様子だった。白を基調とした壁に大小さまざまな機械が並べられている。奥の方にはスライド式らしいドアがあった。何かを計測しているのだろうか、モニターの類がたくさんあったけれど、僕にはさっぱりわからない。だがそれらよりも僕の目を引いたのは、僕の左右にずらりと並んだカプセルたちだった。大体10台くらいはあるだろうそれらにも様々なモニターが取り付けられていた。
それらを半ば呆然としながら眺めていると、カプセルのガラス部分が僕のものと同じようにスライドして開き、それぞれのカプセルから子供が顔を出し始めた。
男の子も女の子もいるけれど、それぞれの顔がとても良く似ている。赤色の髪に青い瞳。男の子の髪は短く整えられていて、対して女の子の髪は肩にかかるほど長い。顔立ちが幼く整っているため、髪型の違いがなければ男女の見分けはできなかったかもしれない。
もう一つ子供たちに共通するのがその表情だ。みんなして完全なる無表情なのだ。目にハイライトがないってこういう事だったのか。人形さんの方がまだ感情が宿っているように見える。
僕が子供たちにビビっていると、部屋のスライド式ドアがぷしゅー、と音を立てて開いた。
「実験の時間です。行きましょう。」
白衣の男だった。40代くらいで、やや髪が薄くなっているが、その男自体にそれ以上の特徴はない。だが、彼が身につけているゴーグルの形はかなり特徴的だった。まるでVRゴーグルのように目全体を覆っているうえ、レンズの部分が緑やら黄色やら様々な色で発光している。
『はい』
男の言葉に、子供たちみんなが口をそろえて返事をし、カプセルを出ていく。その動きに一切の乱れはない。
「何これ……こわ……」
なんだか僕は、死んだと思ったらとんでもないところに来てしまったようである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます