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生まれて初めて入ったVTuberの部屋は、イメージしてたよりもずっと掃除されてて、汚部屋で知られる(※22)他の事務所メンバーとはだいぶ違う。
机にはデスクトップPCと配信用の機材が丁寧に並べられてて、几帳面な性格がここを見ただけでぎゅいんぎゅいん伝わってくる。
「紅茶です。ミルクとか砂糖とかはそっちに」
「あ、お構いなく」
家に入れてくれた上にお茶まで出してもらって、他のファンに知られたらぶっ殺されるよなって思った直後に、そんなガチなファンは僕くらいしかいないのを思い出した。
「……」
こうして彼女の顔を間近で見ると、サロルのアバターって本人にかなり寄せて作ってたんだなあ。
「で、今日はどんなご用で」
さっきまでの情緒がぶっ壊れた状態からどうにか落ち着いたところで、サロルが尋ねてきた。
「え、えっと」
もちろん殺しに来たなんて言えるはずがない。それに僕も、もう彼女を殺せる心境じゃない。
「そもそも私、家バレされたの初めてですし」
「あ、あのっ」
このままだと通報されかねない。今となっては逮捕されるのもイヤだけど、それ以上に彼女に嫌われるのがツラい。
このまま沈黙を続けて不審者ゲージを増やしていくよりはマシだと腹をくくって、僕は前からずっと思ってたことを直でぶつけてみた。
「サロルちゃんって、歌ってる時楽しそうじゃないよね」
「……」
「違ってたら謝るけど、歌ってる内容を、サロルちゃん自身が信じてないんじゃないかなって」
「……!」
彼女の目と口が、僕の言葉を肯定するように大きく見開かれる。普段は見られる表情差分のパターンが限られてるから、こういう表情は新鮮だなあ。
そして僕がサロルにガチ恋するきっかけになったのも、彼女が歌ってる動画からマイナスイオンみたいにドバドバ溢れ出てくる絶望感だった。
†
遠い昔、昭和の人たちが信じてきた「今日を懸命に生きたら、明日は今日よりいい日になる」って理念は、もう全部ウソだって完全にバレてる。
なのに世間は今も昭和の頃から同じ理念に基づいた、夢とか希望の大切さを訴えかけるような歌に満ち溢れてる。
僕みたいなブラック企業で体力と精神を大根みたいにゴリゴリ擦りおろされてた当時の限界社畜には、そんなポジティブな歌なんてアンデッドに回復魔法かけるようなもんで、むしろダメージにしかならない。
そんな中で「ポジティブな歌詞を一切信じてないのに歌わされてる」感をぐいぐい出してくるサロルを一目見たら、そりゃ惚れてまうやろ。
そんなワケで、歌ってる内容を彼女が信じてないのは僕にとってはむしろご褒美なんだけど、本人はどうやら気にしてたみたいで、自分で淹れた紅茶に手もつけないでずーんとヘコんでる。冷めるよ。
「そうなんです。デビューする前からなんですけど、そういうキラキラしたメッセージみたいなのって、どうしても響いてこなくって。でもこの仕事してると、そういうのって避けて通れないじゃないですか」
「ふむふむ」
「私、見た目もこんなちんちくりんだし、コミュ障でどんくさいから、今までどんな仕事も続かなくて。VTuberの仕事は初めて2年続いてるんですけど、なかなか人気も出なくて」
言ってる間も、彼女の表情は沈んでいく一方。
「半年前に兄が来た時、このまま芽が出ないようなら帯広に帰ってこいって言われてて」
どうやら半年前の件は、本当にお兄さんだったようだ。疑ってごめんね。
「でも、帰っても向こうに私ができる仕事なんてないし、帰ったらもう自立できる機会なんかなくて。だから、私っ」
彼女は今にも泣きだしそうだけど、1番肝心なことをまだ聞いてない。
「それで、サロルちゃんはどうなの。他の仕事じゃなくて、VTuberを続けたいのかな」
「……」
僕の問いに、彼女はキッと顔を上げる。
「続けたいです。歌うこと自体は好きだし、まだ鶴リストの皆さんと一緒に見たい景色があるから」
「うん」
期待した通りの答えが返ってきて安心した。そして答えを聞かせてもらった以上、ここからは僕が動くターンだ。
†††
※22:掃除ができなくて、汚い部屋に住んでることが視聴者にバレてるVTuberは少なくない。部屋の様子は画面に映らないけど、床に落ちたゴミを踏んだり机に積み上がった本やゲームをひっくり返したりしてバレる。
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