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 丹頂サロル、深夜の彼氏降臨事件から半年が過ぎた。


 事件の直後はネットが軽く炎上したけど、そもそも知名度がなくてアンチ(※15)も少なかったのが幸いして、大きな騒ぎにも発展せずすぐに鎮火した。


 その半年の間に、僕は会社を辞めてコンビニで深夜のバイトを始めた。


 時間を確保するためだけど、収入がほとんど減らなかったのはかなりショックだった。それなら大学を出た後、最初からコンビニでバイトしてればよかった。


 空いた時間に僕はサロルの配信やアーカイブを漁って、彼女の個人情報を洗い出した。


 ゴミを出す曜日や最寄りのコンビニ、近所で開催される地域のイベントなど、住所を特定できそうなヒントの断片は、最初からそのつもりで聞いてたらいくつも見つかる。あとはその断片をつなぎ合わせて、条件に合う場所を探し出せばいいだけだ。そのために必要な時間が、今の僕にはある。


 夜働いて朝眠り、昼過ぎに起きてアーカイブを見る。怪しい場所が見つかれば、実際に行って検証してみる。その繰り返し。


 働いてるコンビニに、偶然サロルが客として訪れる、なんて都合のいい展開は現実にはありえない。地べたを這い回るような調査を6ヵ月の間続けて、ついに彼女の住所を特定するに至った。


   †


 調査と並行して、僕は犯行の準備を進めてた。


 包丁は何ヵ月も前にホームセンターで買ってある。他に縛るためのロープとか痴漢撃退用の催涙スプレーとかでかい金槌とかも、同じホームセンターで何回かに分けて買った。ホームセンターって凶器がいっぱいあってマジ便利(※16)。


 それから怪しまれずに家に近づくルートや部屋まで行く方法は何度もシミュレーションしたけど、逃走経路や潜伏する方法は何も考えてない。だってサロルさえ殺してしまえば僕の目的は達成されるから、後は捕まろうがどうなろうが構わない。


 いっそ彼女と一緒に死んじゃってもいいかもしれない。僕の未来に希望なんて残されちゃいないし、たったひとつの心の支えだったサロルもこれからいなくなるんだから。


   †


 何度も何度も予行練習を重ねて、ついに計画を実行に移す時が来た。僕はあらかじめ食事を済ませてシャワーも浴び、昼過ぎに家を出た。


 VTuberはみんな深夜から朝方まで配信をして夕方まで寝てるので(※17)、部屋に着く頃はちょうど起きたばかり。頭が回らなくて抵抗もできないって寸法だ。


 よく晴れた日差しの下で私鉄を乗り継いで、最寄りの駅で降りる。物価も家賃も安い学生街で、VTuberの華やかなイメージからはほど遠い。


 マンションもオートロックがない古めの物件だし、事務所はもうちょっと気を遣った方がいいんじゃないかって思った。まあ今回はむしろ好都合だけど。


 エレベーターもあるけど2階だから階段で行く。ブザーを押してドアが開いたら、本人を確認してグサッてやる算段。


 いつもの配信からサロルが独り暮らしなのは知ってるけど、今日に限って誰か、それこそ彼氏とか来てる可能性もある。チャンスは1回しかないんだから、引くほど慎重にならなきゃいけない。


 右手にトートバッグを提げて、左手でブザーを押す。


 バッグの中にはいつでも取り出せるように、いろんな凶器が入ってる。今の段階で誰かに中を見られたら即アウト。それだけは絶対避けなきゃいけないので、一刻も早くドアが開くように祈るしかない。


   †


 何十秒か祈り続けた後、チェーンを外す音がしてドアが開いた。


「……はい」


 出てきたのは成人女性にしてはだいぶ小柄な、少女ってくらいの女の子。


 サロルは晩酌配信(※18)を何度かしてるから、20歳過ぎなのは確定してる。なのでこれ本人か? って動揺してたら、彼女の方から尋ねてきた。


「あの、もしかして鶴リスト(※19)の方ですか」


「えっ」


「だってそのTシャツ」


 言われて自分の格好を見れば、事務所の通販サイトで売ってるサロルの顔がでっかくプリントされたTシャツなんか着てやがった。しかもデビュー1周年記念で作られた限定品。かなりガチのファンしか持ってないやつだ。


「えっと、漆黒エンジニア1号です」


「わっ、漆黒さん。お久しぶりです」


 動揺のあまりアカウント名で名乗ってしまうという、史上最悪にキモいムーブをカマして自己嫌悪に陥る僕に、彼女はなぜかホッとした様子。


「よかった、最近チャットでお名前見ないから、心配してたんです」


「え、チャットの名前なんか覚えてるんですか」


「常連さんは。最初の頃は、人数も少なかったですから」


 目の前でボソボソとしゃべる彼女の口調と声は、配信の途中なんかでびっくりした時に漏れるサロルの地声(※20)と完全に一致してる。


 そんな彼女に直でこんな対応をされて、僕は。


「――ううううあああああああ!」


 気がつけばドアの前に手を突いてた。声が漏れてた。視界がぐちゃぐちゃに滲んでた。


 サロルにこんな対応をされたら、彼女を憎めないじゃないか。彼女を殺せないじゃないか。


 だって好きなんだから。今でも。


「あ、あの」


 突然泣きだした30過ぎのイタいファンに、サロルは慌てつつも申し出てくれた。


「そこで泣かれると近所迷惑になりますから、とりあえず、中入りません? 防音(※21)ありますし」



  †††



※15:ファンとは反対に、対象になる人物やグループ、企業などを極端に嫌ってる人。SNSで叩いたり、誹謗中傷のデマを流したりする。


※16:個人の感想です。


※17:ただの偏見。朝から配信するVTuberだっているわい。


※18:配信者が酒を飲みながらする配信。酔った勢いで普段と違う姿や、思わぬ失言を聞けることもある。


※19:サロルのファンにつけられた愛称。VTuberにはだいたいある。


※20:配信の時に普段の地声と声色を変えたり、ボイスチェンジャーを使ったりするVTuberは多い。1番の理由は身バレを避けるため。あとは性別を偽ってる場合もある。


※21:日常的に歌ったり叫んだりするので、自宅で配信をする場合は部屋の防音加工が必須。

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