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 これはVtuberに限ったことじゃないけど、推し活にはとにかくお金がかかる。


 スパチャやメンバーシップ(※10)は有料だし、公式からグッズが出たら自分の分に加えて布教(※11)用も買わなきゃいけない。


 それに加えて平日は深夜の配信をリアタイして、たまの休みは見逃した分を切り抜きやアーカイブ(※12)で補完するのに忙しいもんだから、時間がいくらあっても足りないくらい。


 つまり拘束時間が長くて給料の安い今の会社は、サロルを推すためには最悪の環境ってことになる。


 僕がこういうことを言うと、じゃあ転職すればいいじゃんって言う人もいるんだけど、今より条件のいい会社に転職できるなら、最初からそっちに入ってるよ。


 いろんな会社を何社も受けて、玉砕に玉砕を重ねて、何十通ものお祈りメールをもらった果てにやっと辿り着いたのが今の会社なんだから、ここを辞めてよそに移るとしたら今以上にブラックな、もうダークマターみたいな企業しかありえない。


 そんなワケで、僕は今日もブラック企業にしがみついて、戦争が起きたらまっ先に切り捨てられるであろう生産性のない仕事に従事してる。毎晩の配信でサロルに癒されながら。


   †


 そして今夜も、僕は例によってギュウギュウの終電でサロルの雑談配信をリアタイして、家に帰ってからは缶チューハイ片手にPCで続きを見てるところ。


 毎度のことながら盛り上がりもオチもない話をダラダラ聞いてたら、そこにサロルとは明らかに違う声が聞こえてきた。


『何してんの?』


 明らかに女性の声じゃない。


『ちょっと、入ってこないでって!』


 叫んだサロルがマイクから離れて、遠くで言い合う声が聞こえる。画面にはアバターしか映ってないから状況はわからないけど、彼女にとって何か想定外の事態が起きたのは間違いなさそう。この状況にチャットもザワつく。


「男おったw」


「スキャンダルはっけーん」


 そして僕は、後頭部をヒザで蹴られたみたいな衝撃でその場に固まってた。サロルに彼氏がいるって可能性を、自分が想像もしてなかったことに気付いて動揺が止まらない。


 もちろん丹頂サロルっていうキャラクターの設定上で彼氏がいないとしても、中身(※13)は生身の人間なんだから、誰かと付き合ってたって不思議はない。むしろその方が自然だろう。


 そんなことを考えもしないで、ガチ恋だとかほざいてた僕は、なんてマヌケな運営のカモなんだろう。


   †


 空白の時間は10分近く続いて、サロルはバタバタと戻ってきた。


『いやーゴメンなさいね、ちょっとバタバタしちゃって』


 すかさず本人にチャットが飛ぶ。


「彼氏ですか」


『彼氏じゃねーよ。今実家から、えっと、釧路湿原から(※14)お兄ちゃんが来てて、うちに泊まってるんですよ』


「彼氏ですねわかります」


『だから違うんだってー!』


 視聴者のチャットとそれを読むサロルのやり取りはまだ続いてるけど、それは僕にとってはどうでもいいし、泊まりに来てる男が兄か彼氏かも関係ない。


 ただ僕はサロルに彼氏が今いるか、これからできるとしても、その関係に関与はできないし、僕が取って代わることも絶対にないって気付いちゃったのだ。


「――」


 僕はブラウザを閉じた。例えサロルが人気のないマイナーVTuberでも、僕にとっては永久に手の届かない存在だった。


 そして実在するかもわからない彼氏とサロルがイチャイチャする様を妄想して悶々とする僕は、恋愛ヒエラルキーの最下層だ。ピラミッドの地下室だ。食物連鎖の藻とかその辺だ。


「――」


 そして考えて考えて考えて、ようやく結論を出した。視界に絶望しか映らないこの底辺世界から抜け出すには。丹頂サロルを、殺すしかない。



  †††


※10:YouTubeのチャンネルに、毎月定額を払ってメンバーになる制度。メンバー限定の配信や動画を見られたり、チャットでオリジナルの絵文字が使えたりといった特典がある。


※11:自分の好きなものを他の人に知ってもらって、ファンを増やす行為。


※12:終わった配信は、アーカイブとして保存されるので、リアタイできなくても後から見られる。ただし12時間を超える配信は残らないので注意。


※13:VTuberのキャラクターを演じている配信者自身。


※14:サロルは北海道の釧路湿原出身という設定。VTuberにはこういう設定を律儀に守る人もいれば、大胆に無視する人もいる。

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