第11話『共存』

 ヒューゲン・ダイクに合わせて鼠白く丸いものがとりあえず小刻みに揺れている。少しずつ膨らんでいるようにも感じる。小刻みに揺れながら。向かって右側の手がさらに膨らんでゆく。胴体と同じくらいにまで膨らむ。顔に位置する部分のおよそ真ん中に何かが在ることに気がつく。紅く丸いもの。顔が白いだけによく映える。次に両方肢と左手。最期に胴。本当に見えている。いや本当は見えていない。やはり私はいちから世界をとらえなおさねばならないのだ。長い時間をかけて、紅く大きな鼻がモノ悲しい、白くテカテカの顔をしたピエロ男になる。


「この世でもっとも恐ろしいものを知っていますか?」


 私は答える。


「経験でしょう。人類は余計なものしか見ていない。それも見えているつもりで、実は何も見えていない。なぜなら、世界がどこにあるのかさえ誰もしらない」


 ピエロ男はカウンタに私の愛している料理をおく。はじめて見る料理で、勿論、これも余計なものだ。


「お腹がすいているでしょう。たべてみてください。何事も経験です」


 確かに腹がへっている。そういえば最近、酒しか飲んでいない。この記憶も嘘だろうか。ピエロ男は酒もすすめるが、私は無視して料理を手でつかんで口にはこぶ。砂花とは違って、噛んだ感じがほのかにやわらかく、内からあたたかい液体が口の中にあふれてくる。どこか懐かしい味。そう感じる。いつどこで食べたのかは思いだせない。カウンタ席に鏡がおいてある。私の口からは緑色の液体がこぼれている。手でぬぐうと、黄色い肌が黄緑色の肌にかわる。私は手で長い髪をたくしあげ、緑色の液体で髪を頭の上部で塗り固める。細い首には太い血管が浮きでている。笑いがとまらない。赤目が細められ、金歯が光る。愛している料理を貪り食う。醜くても構わない。そう最期だからだ。


 そして私は目玉をとりだす。無表情。皮、筋肉、脊髄がよじれる。猛烈に体が熱い。ピエロ男はじっと見ている。私は笑いがとまらない。目玉には皮がついてくる。なるほど、お前も経験の産物なのかい。皮に何かがひっかかって、めくりきれない。首元の太い血管。解明されないまま森羅万象の経験則として、単調な現実として人類に受けいれられてしまった、つまり、殺された想像力のキレ端。フォークが動き出し、四角い六面体にかわってゆく。六面体は色をうしない、何の気なしに机のうえを転がりはじめる。あきらかに生きている。ふと転がるのをやめ、机のうえに静止する。目の前にいるピエロ男の服が立体的に起きあがってゆく。顔が網目状に分割され、所々が盛りあがり陰となる。まるで光と闇だ。立体裁断の男はたずねる。


「この世でもっとも恐ろしいものを知っていますか?それはこれ、想像力です。彼らは容赦しないですからね」


 私は両手で首ねっこから二本の太い想像力をひきちぎる。緑の液体がはじからこぼれる。皮が力なく、のっぺりと床におちる。


「あらゆる経験やそれらが生みだす現実を捨て、自分のインスピレーションが生む想像力にのみ従って生きてゆくことを、私はここに宣言する」


 私の内側からバッコスがチャキチャキしながら飛び出す。私の体には肉がない。内臓が露わ。もはや怪物だ。


 立体裁断の男は続ける。


「工場は永遠の無を目指しています。まずは時間を止めるようです」


 ドシンドシンと激しく揺れる。心臓に穴があき血が吹き出してくる。非常に心地よい。腸の底から笑いがこみ上げてくる。


「大蟹です」


 カリスマは肩をゆらしている。笑っているのか。膨らんでゆく。チャックがはちきれてパチンと割れる。私は周りを見まわす。


「なるほど、此処がエーテルかい」


 カリスマの中から、大量の砂と永遠の無がひろがる。


「いえ、もはや現実とエーテルの境界はなくなりました。困りましたね。我々が共存できるとでも、工場は考えているのでしょうか」


 バッコスがチャキチャキしながら飛び出す。私は心の目を見開き、全てを受けいれ続ける。


そう、永遠に。

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裸のサイコロ 裸のプラントエンジニア @Stone1ove

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