第36話

 月明かりに夜空が青く輝く。


 ズズズズズ


 魔術学園がある都市、”フラワーポット”の城壁の一部が左右に開いた。

 ここは、マジワリ《瘴気》の森で定期的に起こる魔獣の大暴走スタンピードを食い止めるため、城塞都市となっているのだ。

 城壁が開いた中は屋根付きの飛行艦ドッグ。

 防空壕シェルター付きのドッグには、槍の穂先のような流麗な飛行艦が、今まさに発進しようとしていた。

 曲面を主とした艦体で、平らな部分は艦橋下の板張りの茶色い甲板だけである。

 そこに二連装の砲台が二器、設置されている。

 艦の色は灰色。

 飛行艦の名を、”アッシュ・オブ・イグドラシル”と言った。



「ヘリウムガス充填」

 華やかな女性の声が艦橋に響いた。

「ヘリウムガス充填」

 艦橋の真ん中にしつらえられた操舵輪。

 片目に眼帯。

 その前に立つむくつけきセーラー服の漢が重低音の声で答える。

「重量軽減術式発動」

「発動させます」


◆ 


 ”アッシュ・オブ・イグドラシル”は、気嚢風船だけでは浮いていられない、”重飛行艦”だ。

 竜骨に刻まれた、”重量軽減術式”で足りない浮力分を補う必要がある。

 移動の際は、今は収納されている、デルタ翼と可変翼で(飛行機のように)揚力を得る。  

 他にシルルートの、”重飛行艦”には、小型の飛行艦、”エクセリオン”がある。

 この艦は、足りない揚力を、リフティング(翼状の)ボディーである艦体自体と四方に垂直につけられた魔術式ジェットで補う。

 エクセリオンの所有者であるハーフエルフの王女とレンマ王国の元第三王子の出会いが、世界初の飛行艇、”水無月みなづき”の開発につながったのである。

 ちなみにこの世界にゴムは無い。

 故にゴムタイヤは存在せず、飛行機は水面に降りるか垂直に降りるかしか着陸の手段は無い。それとずっと浮いているか。

 飛行艇が飛行船から発達した所以ゆえんである。



「艦底の離床を確認」


 ”ギシリ”、と艦を固定しているもやい《ロープ》が引っ張られ音を立てた。


「メインジェット始動」

 艦長席に座るハーフエルフの女性が機関室につながる伝声管に向けて言った。

『メインジェット始動』

 伝声管からくぐもった声が聞こえて来た。


 ヒュ、ヒュヒュ

 ゴゴゴゴ

 後ろの方から響いてくる振動と音。


 ハーフエルフの女性が無線のマイクを取った。

「こちら、”アッシュ・オブ・イグドラシル”艦長キャプテン、”シャラフィファン・カイラギ”だ」

「フラワーポット管制へ、もやいを外してくれ」


「こちら管制、了解した」

 管制からの答えが艦内無線から流れてくる。

 ドッグに艦を固定していた太いもやい《ロープ》が外された。


「フラワーポット管制へ発進の許可を求む」


「こちら管制、了解した、固定アームを解除する」

 艦をドッグの固定していた三本のアーム。

 艦底に伸びていたアームが左右に開いて離れていく。


 フワリとほんの少しの浮遊感。


 艦が完全にドッグから離れた

「オールフリー、出港してください」


 その時、若い女性の声が割って入ってきた。

「ローズだ、貴艦の航海に幸あらんことを、……我が国民を頼む」

 この期に及んで飛行艦の一隻も救援に出せないローズが忸怩じくじたる思いで言う。

 魔族は敵という貴族と西方の貴族、その背後にいる竜教会原理派。

 魔薬の密売と奴隷売買で得た資金で影響力は強い。

「はは、なあに、シルルートの東の貴族も奴らとつるんでるんだ」

 ハナゾノとシルルートの国境に広がる、”シェルダ”の森。

 そこにあると言われる、竜教会原理派の隠し神殿。

 そこでは連日、魔薬の密売や奴隷売買が行われているという。

「他人事じゃあないよ」

 シャラフィファンが自嘲するように言った。


 「……そう言ってくれると助かる」

 ローズ皇帝が答えた


「ふふ、じゃあ、行ってくる」

 シャラフィファンが無線から口を離した。

「微速前進」


『アイアイ、キャプテン』

 機関室からの返事が伝声管から聞こえた。


 コオオオ


 高鳴るエンジン音。

 丸みを帯びた艦橋の横の窓からは、マッドな赤い色をした飛行艦が停泊しているのが見える。 

 前部の突き出るマッコウクジラのような艦橋。

 左右の翼には二重反転プロペラ。

 中央の流線型の気嚢。

 後ろには帆船の艦長室キャプテンルーム


 艦体にローズ皇帝とハナゾノ帝国の紋章。


 その横をゆっくりと艦が前進し始めた。

 翼やマストの先につけられた、ピカピカと点滅する赤と緑の識別灯。

 月明かりの夜に点滅だけが浮かび上がる。


「ヨーソロー」

「ドッグから完全に出ました」

 躁舵輪を左右に少しまわしながら操舵手が言う。


「翼を展開、エンジン出力上昇、巡航高度まで上昇」


 ゴオオオオ


 収納されていたデルタ翼と可変翼が開いた。

 デルタ翼と可変翼のエルロンが上に向く。

 結果、艦首が上に向き艦が上昇し始めた。

 巡航高度まで上がる。


「針路、マジワリの森、巡航速度で航行せよ」

 シャラフィファンが命令を出す。

「アイアイキャプテン」

 各部所のクルーから答えが返って来た。

 

 蒼い月明かりの下ハーフエルフの国の海賊船が、他国の空を闇にまぎれて飛行する。

 目的地は、魔族の領域。



 艦の前方には黒々とした大森林が広がっている。

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