第88話 つかえる君と、つかえない君

 漠然としたものを胸にしながらも、俺は続けて茎と花の実食を進め、目に見えたものを書き写していった。

 残るは根っこなんだけど、さすがに食べる気はしない。洗って土を落とし、切り刻んで火にかけて粉末化させれば……ってところだけど、根の特性について気になる記載はない。あえて手間かけてまでやることでもないかな。

 いずれそういう調査も必要になるかと思いつつ、俺はガイド本に印をつけた。ひとまず、これで一種類。


 メモ帳をたたむと、諸工程の一段落と見受けられたようで、見計らったようにリーネリアさまが口を開かれた。

「あの……」と、あまりいい感じではない切り出され方に、なんともいえない緊張を覚えてしまうところだけど。


「どうされましたか?」


「いえ……なんといいますか、その……」


 どうも、お言葉に迷っていらっしゃるご様子だけど、少し待つと腹を括られたように、決然となさったお顔を向けてこられた。それでも、良い予感はしなくて――

 不幸なことに予感は当たっていた。


「先に申し上げておかなければと思うのですが、私に植物の助言を求められても、大して有益な情報は提供できないものと思います……」


 と仰るにも、もちろん理由がある。

 どうも、リーネリアさまがご活躍された御代と現在とで、世の中の植物もだいぶ変わってしまったように映るとのことだ。

 だから、リーネリアさまがご存じの植物について、その知識をそっくりそのまま現世に流用できるわけじゃない。


「ですが、似通った植物に対してであれば、リーネリアさまのご経験を生かすこともできるのでは?」


 と指摘を入れるも、リーネリアさまは残念そうに首を横に振られた。


「見た目が似たような植物でも、性質はまるで異なるという実体験が数多くありましたので……」


 なるほど……俺なんかよりもずっと、冒険や探検の経験が豊富だからこそ、慎重にならざるを得ない部分もあるってことか。


「ハルべールさんの健康や名誉に関わる事項ですので、私の時代の知識で適当なことを言うわけには……」


「そういうことでしたら、納得です」


「ですから、私よりも現代の先人の知識を頼っていただくのが、安全で妥当かと思います」


 その後、リーネリアさまは心底気落ちした様子で、「役に立たない神で申し訳ありません」と仰った。


「俺としては、誠実にお話ししていただけただけでも、十分ありがたいくらいなんですが」


 心からの本音をそのまま口にすると、リーネリアさまは力なく微笑んでくださった。

 ただ、お話にはまだ続きがある。

 だいぶ重い雰囲気のヤツが。


「ハルベールさんが授かった加護は、【植物のことがよくわかる能力】というもののはずですが……きちんと働いていますか?」


「はい」


「実際には、どのように?」


――あっ、そうか。

 これまでにも使徒は何人かいらっしゃったという話だけど、そこまで使われた実績はなさそうだし……

 何より、こうして直接お話しできるのは、俺が初めてだ。人に授けたご加護の実際がどういったものか、耳になさるのも初めてだろう。


「賜った能力ですが……植物を口に含むと、何か星座みたいなものが見えます」


 これは想定通りの機能のようで、リーネリアさまは今も少し沈んだ感はあるものの、静かにうなずいてくださった。


「それで、見えているものは、錬金術業界でいうところの『成分」ってモノじゃないかと。錬金術の先輩と、そういう話をしたんですけど……どうでしょうか?」


 すると、リーネリアさまはだいぶ逡巡しゅんじゅんなさった。俺も俺で気を揉み、ハラハラしながらお言葉を待つと……


「実を言うと、ハルべールさんが目にしているものについても、確かなことは言えません」


 そう仰って、リーネリアさまが頭を下げてこられた。

 もちろん、そのように仰るのにも理由ってものがある。

 まず、リーネリアさまのような神さまと人間とでは、体のつくりが違い過ぎる。

 加えて言えば、リーネリアさまが実体として存在しておられた当時と現代とで、人類の体の作りが若干変わってしまっている可能性もあるそうだ。

 だから、リーネリアさまの基準や感覚で「成分」を語ろうものなら、それは現代人にとっては不適切な物言いになってしまうだろうとのこと。

 さらに、もっと根本の問題があった。


「錬金術という技術・知識体系自体が、私たちの御代には存在しませんでした。それがどういったものか、おぼろげながらに認識はしているのですが……そういった点でも、私の知識や認識は、時代遅れのものではないかと思います」


 そして、再び頭を下げてこられる。

「本当に役立たずで、申し訳ありません」と。


 さすがにこうまでされると、不憫でいたたまれなくなってくる。

 ご自身の限界について、あまりにも率直で誠実すぎるというか……良い意味での「いい加減さ」がないというか。


 でも、ご自身の能力に対し、こうまでシリアスに考えておられる理由は、なんとなくわかる。


「リーネリアさまにとっての植物って、食べ物だとか……あるいは何かの薬にできるとか、そういう利用価値があるものですよね?」


「……はい」


「それで、人の健康に関わるものだからこそ、適当なことは言えない。そういうわけですよね?」


「はい」


 ああ、やっぱり。そりゃ、無責任で適当な事なんて言えないわけだ。そういったお心構えは、とても尊敬できる。

 こういうことで適当なことは言えないっていうスタンスは、曲がりなりにも錬金術に触れた駆け出しの身としても、大いに賛同できるものだ。


 それで……どうしたものかと、俺は腕を組んだ。

 考え込む俺を前に、リーネリアさまは変わらず沈んだ感じでおられる。俺が何を言おうとしているのか、それを心配なさっているようにも見えて――

 俺は意を決した。


「リーネリアさま」


 呼びかけると、かすかな身震いの後、リーネリアさまがお顔を上げられた。


「な、なんでしょうか?」


 やっぱ、こういうの・・・・・ってよくないよなあ。俺は努めて明るい口調で――

 口調に似合わない提案を切り出した。


「戒律でも作りましょう!」

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