第77話 神さまと囲む食卓

 家に帰り、ちょうどいい時間だからと、俺たちは夕食の席に着いた。

 いつもと違うのは、お客様が一柱おられるってことだ。

 普段はあまり物事に動じない母さんも、今回ばかりは少し戸惑いを見せている。


「リーネリアさまのお食事は、いかがいたしましょうか?」


「いえ、お気遣いなく」


 お返事を耳にした時は遠慮か何かかと思ったけど、実際にはこの体では食事できないというだけの話だった。


「では、御前にお供えというのは……」


 最近になって神話や伝承に興味を持ち始めた母さんだけど、ごく一般的な信心ってものは普通にある。

 実際に、神さまがそこにおられるってこともあるし。

 ただ、リーネリアさまは少し困ったような微笑で、首を横に振られた。


「お気持ちだけ、ありがたくいただきます。お料理は冷めない間に、皆さんで味わっていただければ」


 一度言葉を切られたリーネリアさまは、はにかみながら続けられた。


「私は、他の方がおいしそうに食事をしているのを眺めるのが好きなので」


 こう言われては、普通に食事するのが礼儀ってもんだろう。母さんは俺と親父に「行儀よくね」とだけ言って、料理を置いていった。

 夕食はパンとサラダ、それと鶏肉の香草焼き。どうも、神さまにもお召し上がりいただく予定だったのかもしれない。いつもよりは少し多めに作ってあるように見える。

 まあ、三人で食えない量ではないか。


 いざ食事が始まると、食卓から会話の音が消えた。積もる話はあるし、それは二人もわかっていることだろうけど……

 誰も話を切り出すことはない。リーネリアさまも、だ。

 ただ黙々と口を動かしながら、俺は横に座っておられる女神さまに、それとなく視線を向けてみた。

 先ほどのお言葉通り、おいしく食事をいただいている俺たちに一家に向け、嬉しさと慈愛を感じさせる目を向けておられる。

 たかだか食事中の一幕ではあるんだけど、このたたずまいだけで、神性みたいなものを感じさせるには充分だった。


 あまりジロジロと見ては失礼と思い、料理の方に視線を戻してみるも、頭の中では疑問が生じてくる。

 他人の食事を眺めるのが好きっていうのは、ちょっと引っかかるものがある。自分が作った料理を、おいしそうに食べてもらえるのが嬉しい――というのなら、俺にもわかる。母さんもそういうタイプだからだ。

 もちろん、この夕食はリーネリアさまが料理したわけじゃない。

 でも、考え方としてはこの延長にあるような気がする。


 俺に授けられたご加護――【植物のことがよくわかる能力】から考えて、農耕に関わるお立場なんだろうか?

 だとしたら、天地の恵みをありがたくいただく俺たちに、優しい目を向けてくださるのも納得というものだけど……


 それはそれで、別の疑問が生じる。

 神々の間に、本来は・・・序列なんてものはない。唯一の例外として天頂神ユーベリアさまがただ一柱、てっぺんにおられる。

 でも、それは建前だ。それぞれの神さまに対する、人間社会の捉え方扱い方には、やっぱり違いがある。いずれの神さまにも礼が払われるとしても。

 で、農業だとか畜産、あるいは天候を司る神様というのは……人間社会から見ると、とても格が高い。そもそも、ユーベリアさまも天を司る神とされているし。


 仮に、リーネリアさまがそういった、農業に関わる神の一柱だとすれば――

 俺たち人間は、お恵みの事も忘れ、リーネリアさまの事を失伝したってことになる。

 そんなこと、ありえるんだろうか?


 相変わらずうまい料理に食が進みながらも、頭の中ではそんなことを考えていた。

 もちろん、聞けば一発なんだろうけど、さすがに聞くのははばかられる。

 どれだけ言葉を取り繕ったとしても、結局は『どうしてそんなにも知られてないんですか』って尋ねるようなもんだからだ。


 やがて食事が終わり、軽く茶で一服して……真面目な話をする時間がやってきた。

 そういう雰囲気を感じ取っておいでか、リーネリアさまが少し縮こまっておられるように映る。

 一方、対面に座る親父と母さんも、どうしたものかと考え込んでいる感じだけど……

 先に親父が口を開いた。


「ハル、お前が仕切るんだ」


「……やっぱ?」


 まあ、いくら親だからって、俺を差し置いてこの場を取り仕切るのは筋違いだろう。

 俺がどうにかすべきだ。

 とはいえ……「どうしたもんか」と悩みながら、まずは一つお尋ねすることに。

 一番重要なことだ。


「今回の儀式で、俺がリーネリアさまの使徒から勇者に格上げされたわけですけど、その点に関しては特に問題がご不満があるってわけでは……ないですよね?」


「それは……」


 さすがに、リーネリア様ご自身がこのことに対して――つまり、俺に対してご不満があるというなら、色々と困ったことになるんだけど、即答はされなかった。

 おそらく、リーネリアさまとしては、手放しでは受け入れられない状況ってことだろう。

 緊張で気を揉むばかりの俺の前で、リーネリアさまも相当に逡巡しゅんじゅんなされた。やがて、ためらいがちに口を開かれる。


「私にも、ついに勇者の方が……と思うと、本当に嬉しくて、感慨深いものはあります」


 お言葉が素直なものに聞こえる。まるで、あの儀式を俺よりも心待ちになさっていたような。このお言葉自体は、俺としてもとても喜ばしく、誇らしくさえあるのだけど――


「ですが……いざその時を迎えてみれば、ハルべールさんは私なんかにはあまりに勿体ないように思えて……『あなたさえよければ』という言葉も、卑怯な逃げ文句に思えてしまいます……」


 なんというか……俺がものすごく持ち上げられているというより、ご自身をものすごく卑下なさっているような。

 正直、リーネリアさまのことはよくわかっていない。この、度を越えたとしか思えない謙譲のなさりようが、実は正当なのか、それとも俺が感じた通りでしかないのか。

 結局のところ、もっと言葉を交わさないと。


「リーネリアさまが俺についておられることで、何かこう……呪われたり困ることになったり、そういうことがあるわけではないですよね?」


「それは……そういった明確な実害はありませんが……しかし、やはりもっとふさわしい神が他にいるように思えてなりませんし、私に付き合わせるわけにも……」


「そうは仰っても、まさか別の神さまに乗り換えられるわけでもないですし……」


 少し困った苦笑いで応じるも……リーネリアさまからの短い返事、「えっ?」という一言で、俺は不意に全身が固まった。

「えっ」って、何だろう。話が妙な方向へ進むんじゃないかと、漠然とした不安を覚えた。胸の奥から鼓動が徐々にせり上がってくる。

 片や、リーネリアさまは意外そうな真顔で少し目を見開かれた後、ややあって思いつめたようなお顔になられた。


「もしかして……『再抽選』の事を、ご存じではないのですか?」

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