第2章
第76話 今日のところは、このへんで……
リーネリアさまのご様子とお言葉は、誰にとっても思いがけないものだったに違いない。ごく短いご挨拶が終わってからの静寂は、誰にも破られることがなかった。
ざわつくことすら
虚を突かれ、それでもどうにかまともに思考が巡り出した俺もまた、場の空気に呑まれて何もできないでいた。
何か口にすべき――それはわかっていても、その中身がわからないままに口を動かすわけにも。
焦れる迷いの中で、どれだけ時間が過ぎただろう?
たぶん、客観的に見れば数秒程度だったんじゃないかと思う。
いずれの当事者にとっても、長すぎる数秒でもあったのだけど。
誰も口を利けないでいる静けさを破ったのは、この場を取り仕切られる司祭様だった。
「ハルベール君」
「は、はいっ!?」
急に呼びかけられ、変に上ずった声が出てしまう。静まり返っていた参列者の間からは、少し息を吹き返したかのような含み笑いが漏れ聞こえてきた。
いくらか恥ずかしさを覚えつつ、取り繕うように軽く咳払いしてみせたけど……内心では、これでちょうど良かったのかも、なんて思った。
何やら深刻さを感じてしまうこの空気を、少しでも和らげることができるなら。
続いて、司祭様が俺に問いかけてこられた。
「リーネリア様をお招きするという光栄な機会です。せっかくですので、君にも何か話してもらえればと思うのですが、どうでしょう?」
実際、俺の方からも何か言うべきなんだろうなあ~とは、最初っから思っていた。
もっとも、思っていたのとはまったく違う方向へ、事態が動いてしまっている。今となっては、何を言おうと考えていたのかすら、頭からすっぽり抜け落ちてしまったけど……
傍らにいる女神さまが、今は上半身を起こし、こちらにお顔を向けておられる。不安と緊張、そして……ご自身の事を不甲斐なく思っていそうなお顔だ。
この女神さまのためにできることはと、俺は普段よりもずっと必死に思考を巡らせ、一応の段取りをつけた。後頭部を軽く掻きながら、みんなに向かって口を開く。
「実は、この日のために色々と考えてたんですけど、すっかり忘れちゃいまして」
「ふむ、なるほど……緊張していますか?」
「こう見えて、結構……ホントは、カッコよく決めるつもりだったんですけど」
すると、主に幼馴染の友人たちから、軽い含み笑いの声が聞こえた。
よし、この調子。今のところは雰囲気を軽いものにして、まずはお開きまで持っていきたい。
さて、打ち合わせのない即興の中、果たして司祭様のお考えはどうだろう?
俺は、ちょっとやらかした感じの苦笑いで取り繕った。それは表面上だけの話で、内心ではかなり緊張しながら構えいたんだけど……司祭様はにこやかに仰った。
「儀式としては、これで終了です。ご覧の通り、ハルベール君の手で女神リーネリア様の顕現に成功していますしね。ですが……彼からのご挨拶も聞きたいところです。それは日を改めてということで、この場はお開きとしましょうか。
「ハルが何を話すつもりだったのか、気になるところですしな。日を改め、ぞんぶんにカッコつけてもらいましょうか」
ああ、さすがは島の名士のお二方だ。
実のところ、リーネリアさまご自身の了承を得ず、勝手に話を進めてしまったわけだけど、この場で再び口を開いていただくのも――って思いはある。
ただ、このままで終わらせるわけにもいかないとも思う。リーネリア様の名誉というか、印象のためにも、この場はいったん退いて、日を改めて再戦を……
俺たちの、無言の同意にリーネリアさまがお気づきかはわからない。
ともあれ、これでお開きという段になり、リーネリアさまは聴衆のみんなに向かって恭しくお辞儀なさった。
なんていうか……人前へお呼びしたのが申し訳なくなってくる。
暇つぶしにやってきたような聴衆のみんなも、こういう状況での心得みたいなものはあるようだ。いつまでも残るようなことはせず、そそくさと退散していく。
最後に残ったのは、俺と両親、教会の方々、島長と幼馴染たち。
残ってでも言いたいことがあるらしく、島長と友人たちが互いに顔を見合わせ……先に島長が動いた。
「リーネリア様」
「は、はい!」
明らかに緊張しておいでの女神さまを前に、島長は……いつになく優しい笑みを浮かべている。
「あまり身構えず、気楽になさってくだされ。あなた様に頭を垂れられるほど、我々はご大層なものでもありません」
それから、島長は俺をチラリと
「ハルの事を高く買っておいでのようで、それは素直に嬉しいですな」
「ですが……」
何か言いたげなリーネリアさまを前にして、島長はにこやかに微笑みながら首を横に振った。
「大変に失礼ながら……その先にお言葉が続くとすれば、それは改まった場で島民に向けられるべきもののように思われますな。どうか、ハルとも存分に話し合われた上で、改めてお言葉を頂戴したく存じます」
黙って様子をうかがっていた俺は、島長が本当にその地位にふさわしい人物なんだと認識し、今までに感じた事のない敬意を覚えた。
普段は全く、それっぽい威厳はなくて、たまにわざとらしく"偉そうにしてみせる"だけだってのに。
この島長の言葉に感じ入るものがあったのか、はたまた地位を尊重なされたのか、リーネリアさまはうなだれたまま小さな声で「はい」と返された。
もう少し元気になっていただきたいものだけど……とりあえず、俺と何かしら話して、次に備えてくださるご意向の様子。
大任を承ったような気がするけど、不思議と重荷には感じない。
話は終わったようで、島長は俺にニヤリと笑みを向け、肩を軽く叩いて去っていった。
続いて、俺の友人たちがリーネリアさまを囲むように動いた。最初に口を開いたのは、女友達のイリア。いつもはあまり物怖じしない子で、それは今回も同じだ。
「リーネリアさま。よろしければ、お顔をあげていただけませんか?」
「は、はい……」
人間相手に言われるがまま、なすがままの女神さまに、何とも言えない気持ちを
それはさておき……リーネリアさまのご尊顔を近くで拝見し、イリアは目を輝かせた。その横にいる、イリアよりは控えめな女友達のシェリーが、ポツリと言葉を漏らす。
「キレイなお顔……」
今まで誰も言わなかったけど、そういう感想は持っていたことだろう。
この場で直接言われたことで、リーネリアさまは……だいぶ照れくさそうになさった。両手で
奥ゆかしいというか、なんていうか。
こうしたご反応を前にして、イリアは俺に視線を送ってきた。
「ハル、失礼のないようにね!」
「あのなあ……」
まあ、俺に対してはともかく、イリアは礼儀正しい方ではあった。「不躾なことを申しました」と深く頭を下げ、「行こっか」と言ってシェリーと一緒に去っていく。
その背を見送りつつ、今度はお調子者のマーカスが、俺に近寄って一言。
「リーネリアさまが、この島で一番かわいいんじゃね?」
「そうかも」
「……聞こえてんだけど!?」
耳のよろしい幼馴染に噛みつかれ、「お後がよろしいようで」とまた一人退散していく。
残ったのは、何やら考え込む様子を見せていたライナス。俺たちのリーダーであり、一番の親友でもある彼は、俺とリーネリアさまを交互に見回した後、ニヤッと笑みを浮かべてきた。
「リーネリアさま。《選徒の儀》に際し、神々のご意志があって、ハルを選ばれたのですよね?」
「……はい」
「そいつ、大当たりですよ。たいていの無茶はどうにかしてしまうので」
「ま~た、そーやって逃げ場を塞いでくる」
「退路をチラ見でもしてから言えっての」
見透かしたようなことを言ってくる。
あるいは、付き合いの長いこいつらにはバレバレでしかないのかも、だけど。
言うだけ言って、親友が去っていく。最後に教会の方々と俺の家族、そしてリーネリアさまが残った。
「次は……明日にしましょうか?」と司祭様。リーネリアさまのお体に、若干の
「ご都合がつくのなら、ぜひとも」と応じると、司祭様は満足そうに微笑まれた。
とりあえず、後の話は帰ってからだな。
……で、どうしよう。俺も勇者になったからには、自分の意志でリーネリアさまのお姿を出したり消したりできるはずだけど。
「歩いて帰られますか?」と問うと、リーネリアさまは「えっ?」と心底意外そうにお声を返してこられた。
あ~、つまり俺にこう――
「せっかく顕現していただけたわけですし、俺の故郷でも見ていただければ……みんな家に帰って、特に人目もないと思いますし」
本音を言うと、あまりコソコソされるのもなあ……っていう思いがあった。そういうのが当たり前になると、余計に一歩踏み出しづらくなるだろうし。
やっぱり、堂々とするのは難しいだろう。でも、人目には慣れていただきたくある。故郷のみんなは……癖のある奴もいるかもだけど、みんないい奴だし。
俺の提案に、リーネリアさまは結局、折れてくださった。
「そこまで仰るなら」と、神さまにはあるまじきお言葉を賜ってしまったけど。
口元を隠すように、両手で持っておられた帽子を被り直される。装いだけ見ると、完全に冒険・探検用で、活動的なイメージなんだけど……
立ち居振る舞いは、なんとも控えめで慎ましいというか、かわいらしくさえある。
さすがに、慣れたら変わっていかれることだろうけど。
うん、慣れていただけたらいいな。
というか、慣れていただけるように頑張らないと。
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