第69話 特権

 二人でアシュレイ様の元へ戻ると、「お済みですか」との短いお言葉。


「ああ、済まなかったな」


「いえ、構いませんよ」


 お互い、話題には一切触れること無く、短いお言葉だけを交わされる。そうしたアッサリしたやり取りの後、カルヴェーナさまのお体が魔力へと還元されていった。

「何か頼み事だったかな?」と軽く探りを入れてこられるアシュレイ様に、俺は「そんなとこです」と応じた。嘘つくのもなぁ、って感じだ。

 幸いにして、深く追及なさるようなお方ではなく、アシュレイ様は最後に「また会おう」とだけ仰った。差し出された手に応じ、二人で固い握手を交わす。


 やがて、最後のお見送りの方と別れ、一人になった俺は港湾の管理事務所へと足を向けた。

 こっから船に乗るには、そのための手続きが必要になる。

 人生二度目になる事務所は、やっぱりなんだか緊張する。そういう緊張を引き起こさせるほど、厳粛な場所じゃないんだけど。

 ただ、緊張してしまうのには、ちょっとした理由があった。


 にこやかな受付の方に前に出た俺は、少しためらう気持ちを覚えた後、意を決して手持ちのカバンに手を突っ込んだ。


「身分証と言いますか、ちょっと見ていただきたいものが」


「はい」


 あくまで落ち着きと親しみある感じを崩さない受付のお姉さんだけど、俺が取り出した物体には少しばかり目を見開き、戸惑いを示した。

 その物体というのは、片手に収まる程度の大きさの金属板だ。そこに刻まれた文言を目で追う内に、受付さんの身が強張こわばっていくように見える。


 山神様討伐でいただいた報酬はいくつかある。まず、腕時計と懐中時計。腕時計は普段遣い用に、懐中時計は腕に余計なものを付けたくない仕事・・用に。

 それからもう一つ。物質的な報酬というより、実際には不定形の特権というべきものだけど――

 実は、俺がこの港町アゼットに滞在するにあたっての諸費用は、行政からの支出で賄うことが認められるようになっている。

 それでもまぁ、俺の個人的な買い物とかは、さすがに自分で払うべきだろうとは思うけど……

 次の滞在においては、滞在費の中でも大きなウェイトを占める宿泊費を、行政の経費扱いとすることを、市長様を始めとするご一同から打診されてもいる。

 そうした方が、俺を泊める側にとっても名誉になるだろうから、ということで。


 で、乗船に際しての費用も、街の側で負担しますってわけで……

 それを証する俺だけの身分証を、この受付のお姉さんが目にしているわけだ。

 実際に提示するのは初めてで、こちらもかなり緊張してくる。


 事前に話が行っている様子ではあり、偽造とか悪いジョークとして片付けられることはなかった。

 ただ、思っていたよりも大事おおごとになったけども。

 結局、受付のお姉さんが別の職員を遣わし、ややあって上席者と思しき中年の男性がやってきた。開口一番「話は伺っております」と、とても腰の低い対応で、こっちもなんだか畏まってしまう。


 こういう特権を得たっていうのは、街の上層部のみならず、アシュレイ様と、ご一家のコードウェル伯爵家が認めたのに等しい。

 つまり、それだけの一廉ひとかどの人物扱いってわけだ。

 冒険者の皆さんとはまるで違う俺の扱いは、たぶん、こちらの方々がお役人だからってのも理由の一つだろうと思う。


 とはいえ、所定通りの身分照会はやるようだ。これで、俺が話に聞いていたのとは別人ってなったら大問題だから、当然の措置だとは思う。

 一方、職員の方々からは、俺を疑うようで申し訳なく思っているのがひしひしと伝わってくる。「規則ですので、何卒」と、現場責任者の方が深く頭を下げてこられた。

 なんだか、こっちも申し訳なくなってくる。皆さんにしてみれば敬うべき賓客なんだろうけど、面倒な仕事に巻き込んでしまったみたいで。


「規則は規則ですもんね」と笑って返すと、皆さんには表情を少し柔らかくされた。

 身分照会も、何の問題もなかった。俺がリーネリアさまの使徒という事実が再確認され、それで終わり。

 よくよく考えてみれば、リーネリアさまの使徒は俺だけなわけで、なりすましも入れ替わりも不可能。ある意味、最強の身分照会ではある。

 果たすべき手続きも終わって、どことなく安堵した雰囲気の中、所定の流れで乗船券が発行された。

 俺が持ってる特権の身分証は、この管理所においては、あくまでタダで乗船券を出してもらうためのものだ。これを見せただけで船に乗れるわけじゃない。

 大事な身分証と乗船券を受け取り、俺はカバンにしまい込んだ。一通りの流れが済み、すっかり和らいだ雰囲気の中、俺はにこやかに告げた。


「またお世話になると思います。その時はよろしくお願いします」


「はい。いつでもお待ちしております」


――で、ここでもまさかのお見送りを受け、少し照れくさくなりながらも、視線を背に船の方へ。


 故郷のファーランド島と、この港町アゼットをつなぐ定期船は、おおむね同じ船が運行しているって話だった。

 つまり、乗ってきたときと同じ船の可能性が高く、もしかすると乗組員の方々も同じかもってことだ。

 さすがに、向こうは俺のことなんて覚えてないだろうけど。

 と、思っていたものの――


 桟橋からタラップを通り、船の甲板へ。すると、俺に若い男性が声をかけてきた。


「おっ、久しぶりだな!」


 どうやら、皆さん俺を覚えていらっしゃるらしい。

「よく覚えてましたね」と素直な感想を口にすると、船員さんたちが苦笑いし始めた。


「だってよ、この船の客って珍しいしな」


「珍しいつーか、ほとんどいねえ。そりゃ覚えるわなって話よ」


 なるほど、そういうもんか。

 ともあれ、覚えてもらえているってのは、なんだか嬉しくはあった。

 と、そこへニヤニヤ顔の船員さんが声をかけてくる。


「事前に、今回の乗船予定者みたいなのは聞いててよ」


「そうだったんですか」


「ま、定期船なんでな。乗り遅れちゃ困るってんで、念のために情報が回ってくることも、ままある」


 たぶん、街の行政か、あるいはギルドあたりから伝わっていたんだろう。

 それはそれとして、船員さんが話を続けてくる。


「で、今日の客は、いつぞやのハルベールくんだっていうんで、ちょっと賭けをやってた」


「賭け?」


「帰りの運賃で困ってるかどうか、ってな」


 思わず苦笑いする俺を見て、皆さんが笑い出す。この話題を切り出した船員さんは、「わりーわりー」と悪びれなく笑った。


「ま、ちゃんと来るだろうなってんで、賭けにはならなかったぜ。良かったな!」


「何がいいんやら……っていうか、俺が実際に運賃どうしたかって聞いたら、皆さんぶったまけますよ?」


 管理所での緊張や、客ながらの畏まり具合はどこへやらで、俺は得意げにふんぞり返ってみせた。


「おいおい、密航じゃねえだろうな」


「まさか~」


 そこで俺は、皆さんに見せるべき乗船券に加え、例の身分証も取り出した。「何だ何だ」と顔を寄せ合う皆さんに、俺は山神様やら何やらの件も絡め、事の次第を告げていく。


「実はですね――」


 この武勇伝を疑う船員さんは、意外にも皆無だった。正規の乗船券を持っている物証が、逆に特権の身分証の確かさを示したのかもしれない。

 で、俺が特権階級みたいなものと知れるや否や――皆さん、お互いに顔を見合わせ始めた。


「これはこれは」


「へへ~」


 と、芝居っぽくひざまづいてくる。

 まぁ、冗談なのはお互いにわかりきっている話で、こらえきれなくなったひとりが吹き出し笑いを始めた。

 さっきの職員さんたちとはえらい違いだけど……船旅の同行者としては、こっちの方が気楽かな。


 と、そこへ、「おいお前ら、そろそろ出るぞ」と太い声。がっしりした体躯の船長さんだ。


「船長、上客のハルベール・マッキノン氏ですよ!」


「笑いながら言ってんじゃねえよ」


 苦笑いの船長さんが、上客に指差す船員さんのケツを力強くぶっ叩いた。

 これが一つの合図になって、船員さん一同が仕事モードに。

 一方、船長さんは――こう言うとあれだけど、ちゃんとした・・・・・・オトナの人ではあった。


「なんというか、調子者ばっかで済みませんな」


 あまり堅苦しくはないものの、こちらへの敬意は感じられる態度に、俺はちょっと居住まいを正して改まった。


「身に余る扱いを受けるよりは、こちらの方が気楽というか……似つかわしく感じて落ち着きます」


 これを、俺なりの気遣いと取ったのかもしれない。船長さんは安堵も感じられる苦笑いを返してきた。


「まったく、奴らに見習わせたいですな」

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