第70話 根無し草メンタル

 船が港から離れ、次第に船速が増していく。風に運ばれ、どんどん沖合へ。あんなに広く感じられた港町も、今では視界の中のごく一部分でしかない。

 遠ざかって小さくなる港町に代わり、周囲の自然が光景の大部分を占めるようになって、今度は街の外での諸々が脳裏に浮かんでくる。

 今更引き返そうだなんて思わないけど、やっぱり名残惜しくはある。

 しばらくの間、俺はじっとして離れ行く景色を見つめ続けた。


 船がさらに遠ざかると、目に映るのは知らない土地ばかりに。あの港町はほとんど見えなくなってしまっている。

 この距離感に物寂しさを覚える一方で、なんだか胸躍る感じもあった。

 大陸ってものが、文字通りの雄大さを持っている事。それを取り囲む大海の広大さ。船の上では、そうした世界の広さをありありと感じられる。

 お世話になった土地を離れるなり、我ながら薄情に感じないでもないけど、まだ見ぬ土地へさっそく膨らませてしまう思いもあった。

 いや、ホント。我ながら移り気というか。


 実のところ、そこまで名残惜しさや惜別の情が強くないのは、故郷への帰還に色々と期待する部分もあるからだと思う。久しぶりに会うみんながどんな感じなのかも気になるし……

 久しぶりに帰ってくる俺が、みんなにどう見られるのかも、やっぱり気になる。

 そして――故郷でついに執り行う、《昇進の儀》。俺の女神さまは、果たしてどんな感じのお方なんだろう。

 あのカルヴェーナさまから言葉を重ねて「よろしく」とお願いされた辺り、なんだか身が引き締まるものもあるけど……素直なドキドキの方がずっと大きい。

 だから、今の俺の中に湿っぽい感情は、我ながら意外なほどに薄いものだった。

 とはいえ、船乗りさんたちにどう映ったかは定かじゃないけど。


 やがて陸地全体からもかなり遠ざかり、見るものに困るようになって、俺は甲板の縁から身を離した。

 振り向いてみると、一仕事落ち着いたらしい船員さんが何人か、なんだか優しい目を向けてきている。中には「うんうん」といった感じでうなずく方も。

 気を利かせて、そっとしておいたってところなのかもしれない。逆の立場なら、俺だって声はかけないし。

 もっとも、いちいちこちらからそういうことを口にするのは、なんだかナマイキで野暮ったく思えるけども。


 すると、船員さんの一人が声をかけてきた。


「初めての遠出は、大成功だったみたいだな」


「そーですね。良い方ばっかでしたし」


「あんだけ栄えてる港町だとなぁ。町全体が開放的で明るくなるよなー」


 俺よりもずっと、世界やモノを知っているであろう船員さんたちにとっても、あの港町やその一帯は居心地が良いところらしい。


「ま、世の中には他にもイイトコがたくさんあるしな。気が向いたら、そっちへも足を延ばしてみなよ」


「そのつもりです」


「そりゃ結構……ま、親御さんは心配させちまうかもだけどな」


 この話題は、皆さんにとっても他人事ではないようだ。船乗りさんたちからは「耳が痛い」という声も。故郷から離れるのが当たり前になるし、危険な目に遭う可能性も無視できない。

 そういう仕事に子どもが就いているとなると、やっぱり親御さんとしては不安になるというものだろう。たとえそれが、いくら意義のある仕事だとしても。


「……ま、ハルがやってる冒険者みたいなもんだな」


「確かに、言われてみればそうですね」


 親を不安にさせるという意味では、船乗りも冒険者も大差ないように思える。

 俺の両親はというと……世間一般の親御さんたちよりかは、もう少しどっしり構えてそうな気もするけど。


 さて、こちらの船乗りさんたちはいずれも親孝行な方のようで、定期的に故郷へ手紙を出しているらしい。船便での郵便について、仕事柄熟知しているからこそ、習慣として根付いている部分も大きい様子だ。


「ハルは、親御さんに手紙とか出したか?」


「はい」


「お~、感心感心。で、何書いたんだ? 仕事とか冒険の話か?」


 どうも、俺が手紙に書いたであろう、向こうでの生活に興味がある様子だ。割と皆さんが、この話題に食いついてくる。


「『向こうで気になる人ができました』とか?」


「『今度紹介します』」


「――っていねえし!」


 ノリのいい船員さんたちのコントで、場がわっと盛り上がる。もしかすると、そういう話題も期待していたのかもしれない。

 しっかしなぁ……実際に両親へ送った手紙の内容は、皆さんの期待に沿えるものではないと思う。

 なんというか、味気なさ過ぎて。

 とはいえ、これはこれで話題になる気はする。「実はですね」と前置きすると、皆さんが息を潜めて耳を傾けてきた。


「……毎日の家計簿を写して、両親に送ってました」


「か、家計簿ぉ?」


 ものすごく意外に思われたらしい。ある意味、今日一番のサプライズかも。


 でも、両親に家計簿を送るにあって、俺なりに相応の考えはあった。

 まず、俺が伝承や神話とかの勇者に憧れていることについて。両親は認識していたけど、そんなに乗り気というか、肯定的なスタンスではなかったように思う。

 で、冒険者稼業についての日記を手紙にしたとしても……なんというか、ついていけないんじゃないかと思った。そこまで興味を持たれないかもしれないし。

 そこで考えたのが、帳簿に記した数字に、俺の生活ぶりを語ってもらうってことだった。

 出ていく金に気を遣い、節制して出費を管理して……

 その一方、よそ様からお金をいただけることの仕事もできている。

 そうした事実を示すのに、帳簿が一番簡潔で伝わりやすいだろう……ってわけだ。


「母さんは、実家の工房の会計担当ですから、金の動きを見れば俺の生活ぶりも想像できると思いますし……」


「ふ~ん、そういうもんかねえ」


「で、親御さんから返信は?」


「『見ててあげるから、このまま送り続けなさい』と」


 実際、離れていても見られているっていう認識と、ちょっとした安心があったからこそ、あまり気を緩めてハメを外さずに済んだとも思う。

 その点について触れると、「しっかりもんの家族だねえ」と、感心したように言われた。

 ぶっちゃけ、家族三人、割りと雑なところもあると思うけど……まぁいいか。



 故郷までの船旅は、そこまで長く感じるものじゃなかった。話がうまくて物知りな船員さんたのおかげってこともある。

 ただ、今回の船旅においては、俺の方から話題を提供することが多かった。冒険者としての仕事から、雪山での活動等々……

 それと、偏った食生活について。


 せっかくなので、俺がリーネリアさまの使徒だということも明かしてみた。当然のように、みなさんご存じではなかったけども。

 船乗りの皆さんとしては、特に強烈な信心があるわけではないけど、個人的に海の神さまや商売の神さまを信仰している方が多い様子。

 あと、出会いの神さま。

「行く先々で、キレイなコに逢えたらってさあ」と。なんとも正直な欲望を口走られた。

 ぶっちゃけ、そういう気持ちはよくわかる。で、信仰のご利益があったかどうかというと――

 聞かない方がいいんだろうなって感じだった。


 リーネリアさまの紹介からの流れで、俺が植物に興味があるということも明かした。

 これは、行きの時点で口にしておくべきだったかもしれない。

 さすがに世界の広さを知っている皆さんだけあって、珍しい植物についても話がどんどん出てくる。肉や魚の方が好きというのは大前提としつつ、地元のフルーツを探求するのは、停泊先での楽しみの一つなんだとか。

 それに、地元でありふれた香辛料が、よそでは高く売れるということは多いそうだ。職業柄、そういう情報や商品に出会う機会は多く、自然と珍しい植物へ興味を持つようになるのだとか。

 おかげで、皆さんの話を聞いている間、俺の筆が休まることはなかった。


 夢が広がるなぁ。

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