第67話 ひとまずのお別れの日

 セシルさんたちへのご挨拶回りを済ませた翌日。

 出発の日だ。


 まず、今日のご挨拶は宿の女将さんから。荷物一式を携えた格好で、俺は改まって頭を下げた。


「今までお世話になりました」


「いえいえ、こちらこそ。また、こちらへ来るんでしょう?」


「たぶん、年内には、また来ると思います。そう長くは留まらないと思いますけど」


 なんとなく、おぼろげにではあるものの、今後どうしようかという考えはある。こちらへの再訪は当然としても、今回の滞在よりは短くなるんじゃないかと思う。

 そうした「次」について、女将さんはにっこりと笑みを浮かべた。


「この街には、他にも色々と宿があるけど、次も選んでもらえたら嬉しいわね」


「余程のことがない限り、きっとそうしますよ」


「余程のこと?」


「満室だったら、さすがに……」


 すると、「それもそうね。さすがにねぇ」と苦笑いの女将さん。

 最後に、「向こうでも頑張ってね」と声をかけられ、俺は宿を出た。


 いずれまたやってくるつもりとはいえ、これで一旦見納めかと思うと、何気ない日常の光景も名残惜しさを感じてしまう。

 最初はどうなるものかと身構える部分もあったけど、すごく住みやすい街だった。


 これから向かう冒険者ギルドも、思っていたよりはずっと親しみやすいところだった。正確には、みなさんが親しみやすい方だったというか、とても良くしてくれたというか。

 現在の時間帯は、朝方と昼の中間ぐらい。冒険者的には出払っている人も多く、ギルドは空いているだろう。

――なんて思ってたんだけど。


 俺がファーランド島からやってきたことと、滞在が一時的なものってことは知れていて、いつ出発するかも一部の冒険者や受付の方には伝えてあった。

 どうやら、そういう情報が出回っていたらしい。

 冒険者ギルドが視界に入ると、この時間帯にしては珍しく人が集まっているのが見えた。

 自意識過剰……と思わないでもないけど、やっぱり送別とか、そういうやつだろう。たぶん。


 実際、ギルドに足を踏み入れると、口々に声がかかってきた。「よう!」「今日だったよな?」「また来いよ!」「なぁ、ハル。金貸してくれ……」「おいおい、いつ返すんだ?」「また来るんだろ?」等々。

 なんというか、本当に思い思いに声をかけてくるって感じで、あまり収拾がつかない。そういう統率のなさが、逆に親しみを感じさせてもくれるんだけど。

 とはいえ、今みたいなグダグダで終わらせるわけにもいかず、きちんとした挨拶のためにと受付へ向かった。


 受付にいるのは、いつものメリルさん。にこやかではあるんだけど、少し寂しそうでもある。「ひとまずのお別れ、というところですね」と、声をかけられた。

「はい」と応じると、それまでざわついていた同僚や先輩方が、空気を読んだように口を閉ざしていく。

 これはこれで、緊張するな。


「では、お別れ前に、最後の一仕事と行きましょう。何かご挨拶をどうぞ」


 促されて、俺は受付の方から向き直り、今まで仕事を一緒にしてきた皆さんに向き直った。その中には、最初に仕事をして以来の中であるアランとエルザ、ハーシェルさん。そしてアシュレイ様のお姿も。

 何を言おうか迷ったけど……くだけた感じのある皆さんとの雰囲気が好きだったし、ここで改まってうまいことを言おうって気は、なんとなく起きなかった。

 少し間をおいた後、俺は素直な気持ちを口にしていった。


「故郷を離れて仕事をするのは初めてでしたけど、皆さんのおかげで色々と楽しくやっていけました。また来ると思いますけど、そのときも仲良くしてもらえると嬉しいです」


 そう言ってペコリと頭を下げると、人にとって強弱にえらいバラつきのある、それでいてなんだか温かみのある拍手に包み込まれた。

 頭を上げると、後ろのメリルさんから問いかけが。


「船のお時間、まだ大丈夫でしたよね?」


「はい。ある程度、余裕を持って動いてます」


「じゃあさ、今のうちに一仕事行こうぜ!」


 先輩のひとりが朗らかにくだらない冗談を飛ばし、それに他の先輩方からツッコミが入る。

 こういう空気ともひとまずお別れと思うと、やっぱり寂しくなるな。

 とはいえ――こちらで色々と経験したからこそ、故郷のみんなに顔を合わせたい。色々と話をしたい、そういう気持ちがあるのも確かだった。

 俺の中で、どっちの方が大切とか、そういうことじゃなくて。


 なんとも締まりのない、だけどここの皆さんらしい送別の集まりの後、俺は今一度頭を下げてギルドを後にした。

 すると、中から動き出す姿がチラホラと。エルザと、手を引かれて小走りになるアラン。その後ろに続くハーシェルさんとアシュレイ様。次いで、他の先輩方もぞろぞろと。

「な~んだ、結局みんなでお見送りする感じじゃん」とエルザ。


「そうは言っても、港の入り口までだけどな」


 さすがに、港湾まで大勢引き連れてってわけにはいかない。港の方は人や荷物でごった返している。用もない人間が立ち入れば迷惑になるし、ことによれば不要な疑いを持たれかねない。

 そういった分別は、冒険者としていずれもが当然のように持ち合わせている。

 だから、ルール的に許される範囲までは一緒に、というわけだ。


 ひとりでスタスタ歩いていくのもさすがに申し訳なく、俺は一度歩を緩めてみんなに合流した。さっそく、「次はいつ頃?」と質問が。


「ぶっちゃけ、どうなるかわからなくてさ。春先は農作業で忙しいから、夏前までは手伝うと思うけど……」


「けど?」


 次がなかなか続かない俺に、エルザが首を傾げて促してくる。

 実のところ、こちらで得た諸々の経験から、故郷でもモノの見方が変わっている可能性はある。そういうのを期待しての帰郷という面も。

 そもそも、故郷を離れた理由のひとつとして、せっかく賜ったご加護が冬期は使わずじまいに終わりそうで、それじゃもったいないからというのがあった。

 一方、故郷が春や夏、秋を迎えたのなら、このご加護で見るべきものはきっとあるはず。

 結局、次をどうするか明確な答えはないままに、俺は待たれている言葉を続けた。


「秋の終わり頃、つまり今回と同じ頃には来れると思う。それより早くなるかどうかは、ちょっとわかんないかな」


「そっか~……なんか、山神様対策の援軍みたいだね」


 何の気無しに言うエルザに、アシュレイ様が笑顔で続けられた。


「私としては、そういうツテがあると助かるけどね。もちろん、ハル君がいなくとも、うまくやっていくつもりではあるけども」


 居たら居たで助かるというぐらいの感じだ。他の皆さんも同様ってところか。

 それから、故郷のみんなに話してやる土産話をどうしようか、皆さんと振り返るように言葉を交わしていって……

 気づけば港の入り口についていた。


「ついてくる人~」と冗談半分で尋ねてみるも、さすがに挙がる手はない。

「ハイハイ、一人寂しく行きますよ~」と再び冗談を入れると、今度は「スネるなって~」と先輩方が小突いてくる。


「ひとりじゃなくって、船員もいるだろ?」


「そーゆーハナシじゃねえよ」


 と、またも少し賑やかしくなる。放っておけばすぐに場がくだけて明るくなる。

 おかげで、別れの湿っぽさはまるでなかった。

 最後の別れの言葉にと、俺は少し考えた後、ちょうどいい話題に思い至った。


「じゃ、次会うときは、俺の女神さまをお連れします。皆さん、お楽しみに」


「おう、超楽しみ!」


「何? 今のうちから鼻の下伸ばしちゃって~」


「いやさ、カルヴェーナ様みたいな美貌の女神様かもしれないだろ?」


 と、リーネリアさまを見せびらかす約束をしたところで、俺は軽く手を振って皆さんと分かれた。

 ただ……俺の後にお一人、ついてこられる方が。


――より正確には、お二方というべきだったのかも。


「アシュレイ様?」


 振り向いた先におられる方に声をかけると、苦笑いで言葉を返された。


「まだ時間はあるかな?」


「はい、少しぐらいは」


 乗るべき船はすでに港についているけど、まだ出発までは時間がある。

 それで、アシュレイ様の用件は、実のところご本人のものというわけではなかった。


「カルヴェーナ様から、君にお話があるそうで」


「カルヴェーナさまが?」


「構わないかな?」


 特に断る理由もなく、俺はうなずいた。すぐ、アシュレイ様の魔力から顕現が始まり、俺たちの前にカルヴェーナさまのお姿が。

 港湾にいる他の方々も、カルヴェーナさまには気づいたらしいけど、ものすごいどよめきほどの驚きには至っていない。たぶん、何かしらの機会に見かける事はある、それぐらいの立ち位置にあらせられるようだ。

 それでも大勢の視線を引き付ける中、凛と澄ました美貌の女神さまが、海をチラリと一瞥いちべつなさった。


「ひとまず、二人で話せるところまで行こうか」

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