第66話 次までの宿題

 冬になったら外出の機会が減るものと最初は思っていたけど、実際には思っていたほどではなかった。雪が降れば、それはそれでやることが増える。おかげで、慌ただしくも充実感のある日々を過ごしていった。

 断続的に表れる山神様も……確かに畏敬の対象ではあるのだろうけど、討伐者的には、どうにも憎み切れない腐れ縁の厄介者って位置づけらしい。

「仕方ねえな」と、冒険者の先輩方が苦笑いで発した短い言葉が、山神様との関わり方を代表しているように思う。

 そうした言葉で片付けられる、困り者の大物相手に、俺も何度か参戦し……

 シーズン終わりごろには、他の皆さんと同じように、ちょっとした感傷めいたものを覚えるまでになっていた。

 冬の最盛期に比べれば、春の兆しを前にした頃の山神様は、その威容も雪の勢いも衰えたもので、「ああ、これでお別れなんだ」と。


 今シーズン、特に大きな被害を出すことなくやり切れた。そういう達成感と満足感は、皆さんと共有できた。

 地域一帯を覆う雪について言えば、山神様は確かに往来を妨げうる厄介者ではあった。だからこそ、「ヤレヤレ」的な感慨もある。

 一方で、俺たち冒険者にしてみれば仕事の種でもあった。

 それに、時にはスキーという形で雪を楽しむことも。


 雪に苦しめられるだけでなく、遊び道具にしてしまおうというしたたか遊び心は、この地域一帯における、冬への前向きな気構えの表れのようにも思える。

 こうした心の持ちようと、冬に向けて鍛えられた備えあってこそ、山神様が完全な敵にはならない――客観視すると、きっと奇妙な関係になっているんだろう。


 こうした充実した日々は、俺にとってはあくまで一時的なものでしかない。

 いよいよ、その時が近づこうとしいた。



 雪が降らない日が数日続いて、もう春に入ったという雰囲気が街に漂ってきている。

 ここへ来た当初は、春になるまでのごく短期間の滞在予定で、そう深くは考えていなかった。実際、予定していた通りに帰郷する考えでいるんだけど……

 一時的な滞在地とはいえ、ここまで名残惜しく感じるものとは思ってもみなかった。


 なんとなく、気が進まない想いを胸にしつつ、「それでも」と意を新たに俺は宿を出た。

 街を包み込むようだった雪の覆いは、今ではほとんど残っていない。通行の邪魔にならないようにと広場へかき集められた残骸が、うららかな春の日差しを浴びながら、最後の時を過ごしているところだ。

 そうした冬の名残を惜しむように、小さな子たちが残った小山をベタベタ触っている。


 辺りをそれとなく見回しながら歩いていると、空から春風が舞い降りて、街路の木々や花壇を少し力強くなでていった。

 まだまだ肌寒くはあるのだけど、体の芯まで震えさせるほどの寒々しいものは、すでにない。涼風が去った後の日差しが、これまた心地いい。もう春なんだと改めて思わされる。


 で、今日のご挨拶回りは、主に商店だ。リーネリア様のご加護の件もあり、植物を取り扱う店には足繁あししげく通い、色々とお話を伺うことも。

 皆さん方に快く応じていただけたのは、とてもありがたいことだった。短い間の滞在ではあったけど、顔まで覚えられるほどの仲にはなっている。

 売る側としても、商売や商品の事に興味を持ってくれて――その上、わりと気前よく色々と買っていく客は、好ましい上客だったとのことだ。


 店主さんたちとのご挨拶を済ませた後、今日の本命である先生の元へ足を向けた。

 錬金術の先生、セシルさんだ。


 何度も足を運んだ店ではあるけど、さすがに別れのご挨拶をするとなると、特別な緊張がある。何度も訪れた店を前に、一度立ち止まって深呼吸。

 そこで俺は、左腕の袖を軽くめくった。そこにあるのは腕時計、山神様討伐の報奨としていただいた品だ。

 内部に仕込まれた魔導石とやらの振動を動力にして、これを歯車に伝達し、文字盤の上で針を動かしているとかなんとか。魔道具の技術ばかりでなく、機械工学的な技術も合わさった、まさに職人芸の品だ。

 もともとお高い品だし、その上これは街から贈呈された記念品ということもあり、俺にとっては実用品以上のお宝でもある。

 ただ単に、時間を確認するというだけの行為でも、どこか誇らしくなる。


 さて、今の時刻は昼の2時。錬金屋的には暇な時間帯だ。話が長くなるかどうかわからないけど、他のお客さんに悪いし、ちょうどいい時間を選んだ方がいい。

 つまり、今しかない。

 時計から視線を上げ、店の方へ。厚いカーテンに遮られた窓の奥から、何か別のお客さんがいる気配はない。

 それでも中々足が進まないのは、やっぱり気持ちの問題なんだけど……

 お世話になった相手だからこそ、きちんとお礼を口にすべきだろう。


 意を決し、俺はいつもよりも少し力を込めて、ドアに手をかけた。

 ドアを開けて少しすると「あら」という声。俺の入店に気づいたセシルさんの方へ、無言で歩を進めていく。

 船便の都合で、帰郷する日は前々からわかっていた。その日取りはすでに伝えてあったから、セシルさんも俺が来店した理由はお察しだろう。

「寂しくなりますね」と、言葉通りに少し寂しそうな微笑を向けてくる。「でも、少しすればまた来るんですよね」とも。


「まあ、あっちでの農作業次第ですね。他にもなんかやんやあるかもですけど……いつになるか、正確なことは言えませんけど、きっと来ますよ」


「ふふ、その時が楽しみですね」


 色々な含みを持たせ、にこやかに笑うセシルさん。


「リーネリア様の勇者さんになれたら、私にも拝見させてくださいね」


「もっちろんですよ」


 残念ながら、一般的には全くと言っていいほど知られていないリーネリアさまだけど、ご加護を錬金術に応用したということもあって、セシルさんは人一倍の興味を持ってくれている。

 それがなんだか嬉しかった。

 まぁ、冒険者の友人や先輩方も、俺の女神様がどんな感じか気になるらしいけど……興味本位とはまた違う関心を寄せてくださる方もいくらかいる。

 セシルさんは、そうした中のひとりってわけだ。


 リーネリアさまの件は、次の訪問での土産になるだろうけど、それだけで終わらせる考えはない。もう少し別のことも、期待されているんじゃないかと思う。


「故郷でもう少し、新しい調合を覚えてきますね」


「では……持ってきてもらえたら、また検査しましょうか」


 と、先生が朗らかにニコリと笑う。

 結局、《テンパレーゼ》以外にも簡単な薬の調合を覚えることはできた。錬金術に「おいては初歩の中の初歩の薬だ。

 錬金術以外にも色々とやることがある中、片手間みたいに覚えた薬だけど、店にお出しできる水準にまでは、きちんと習熟できている。

 習得ペースで言うと、そう早いものでもないだろうけど……それでも、一歩一歩の進歩を喜んでもらえるのは、生徒としてもやりがいのあることだった。

 だから、故郷でも何かしら覚えるものがあれば、と思う。


――というか、薬に限らず、故郷で何かしらの発見、あるいは再発見があればと思う。

 リーネリアさまから賜ったご加護のこともそうだけど、ここ数ヶ月の間に、色々とモノの見方が変わった経験があった。

 周りが変わっていなくても、自分の中にある何かが変わったことで、見慣れた中に新しいものを見出すことができる――


 そういうのも、成長なんじゃないかと思う。

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