第4話 浅すぎる谷底、見つめてみれば

 俺は島民の中でも、結構本を読む方だと思ってる。

 それでも俺は、自分にお導きを与えてくださるという、リーネリアさまの名前を知らなかった。

 たぶん、他のみんなも知らないだろう。

 それに……親友たちに与えられた加護が、いかにも強そうな、あるいは強くなれそうな加護だったのに比べると、俺のは――


【植物のことがよくわかる能力】ってのは、耳を疑いたくなるくらい、メチャクチャ地味に思える。


 植物のことはさておいて、俺以外のみんなも戸惑ってるのはよくわかる。

 なんていうか、観客の方も祝福しようって空気じゃない。どう反応したものか、誰もわからない。ものすごくいたたまれない感じの、イヤな静けさが流れていく。

 そんな中で最初に動いたのは、一番の親友とも言えるライナスだった。彼は立ち上がると、静まり返った中、なんだか場違いな笑みを浮かべて俺に近づいてきた。


「ハル、お前とは競い合う仲だったけど……これでますます、俺の方がモテちゃいそうだなぁ、ハハハ!」


 そう言って朗らかに笑い始めるライナスだけど、こいつの魂胆はなんとなく読めた。この、すっごく居心地悪い感じを、笑い話で片付けようっていうんだろう。それとな~く気を遣われているのがわかる。

 表向きはイケイケで調子の良いところもあるライナスだけど、実際にはこういうところもある。本当にいいヤツだ。


 まぁ、悔しいのは……ついに俺まで、気を遣われる側になっちまったってことだけど。


 ただ、この状況で俺がずっと黙ってると、なんか深刻なムードが後にまで響きそうだなぁ……ってのは、なんとなく感じている。

 だから、ノらないって選択肢は、俺にはなかった。


「まったく……今まで以上にモテてどうすんだよ」


「そうだぜ、俺らも困るんだからな!」


 ついでに乗っかってきたのは、仲間内でも一番のお調子者マーカス。一気に空気が砕けたところへ、女の子から鋭い指摘がチクリ。


「マーカスってさ~、そういうのやめて、も~少し大人しくしたらマシになるんじゃない?」


「でも、マーカス君が静かにしてると、何か心配になるし……」


「それはそう」


 すると、そこらじゅうから含み笑いの声が漏れてくる。お葬式みたいになりかけた祝福の儀式も、どうにか持ち直したってカンジだ。


……こうなると後は、俺の気持ちの整理だけかぁ……


 とりあえず、俺たち5人への儀式は終わった。司祭様が緩んだ空気を引き締め、この集まりのシメに入られる。


「これからも研鑽を積み、皆の規範となるように」


「はい」


 声を揃えて応えた俺たちだけど……自分でもそんなに声を出せていないのを後で自覚して、少しイヤな気分になった。


 それからすぐ、教会の中は解散ムードに。日が傾いて、もう夕食って時間だ。それぞれがそそくさと、自分の家へと足を向けていく。

 中には、儀式の興奮がまだ冷めないみたいで、話が盛り上がっている様子の連中もいるけど……

 俺は誰にも目を合わせないようにして、足早にその場から離れていった。


 外の空気はいつもよりも冷たくて、風もなんだかアタリがキツかった。

 単に俺が弱ってるってだけなんだろうけど。そう思うと余計にため息が出る。


 そうしてウツクツとしたまま、俺は自分の家へ向かった。

 俺の家は、鍛冶場や各種工房が一緒くたになった、でっかい工房の中にある。親父は全体をまとめる親方ってやつだ。

 日が暮れるとさすがに迷惑だっていうんで、この時間には誰も、やかましい作業はしていない。街路から工房の敷地へ入ると、職人さんたちが後片付けをしているところだった。


「お、坊っちゃん! おかえり!」


「おかえり、若!」


「はいはい、ただいま~」


 職人さんたちは――ハンマーとかを握っていない限りは、本当に気さくというか、なんというか……結構軽い人が多い。

 別に、ここの親方は血筋で継ぐもんじゃない。俺にその気がないのも知ってるのに、みんなして「坊っちゃん」だの「若」だの、そんな風に呼んでくる。

 俺が継がないことについて、何か含んでるわけじゃなく、単に親しみを込めてそう呼んでる感じだけども。


 それで、いつもは普通に作業場を通り抜けて自宅へ向かうところだけど……なんとなく、今日は気分が違った。


「片付け、手伝うよ」


「おっ? いや、そりゃちょっと悪ぃなぁ……坊っちゃん、今日は大仕事だったでしょ」


「確か、翼竜ワイバーン狩りでしたっけ?」


 あの狩りに参加していなくても、狩りがあったこと自体は、たぶん島民のほとんど全員が知ってるんじゃないかな。

 俺の申し出に遠慮する職人さんたちだけど、俺はにこやかに言った。


「ま……余裕だったね。俺たちには物足りないヤツだったよ」


 すると、口笛の嵐。本当に、ノリがよろしくていらっしゃる。

 で、職人さんたちはあまり遠慮しすぎない人たちだった。「そういうことなら」と、俺も後片付けに混ざる流れに。


 体を動かしている方が、色々と気楽だった。


 工房の後始末も終わり、職人さんたちと別れ、俺は改めて自宅へ向かった。

 いつもは何も感じずに出入りする玄関だけど、今日は微妙に気が重い。誰にも聞かれない内に大きなため息をついてから、俺はドアを開けた。


「ただいま~」


「ん、おかえり」


「おかえりなさい」


 どうも、親父は仕事が終わるのが早かったようだ。もう食卓についている。


 さて……俺の両親は、あの儀式の場に顔を出していない。あまり興味がなかったからだ。

 というより、俺が剣や弓を握ることについて、そこまで良く思っていないような――そういうフシを前々から、うっすら感じている。

 でも、この二人は、俺が今日のこの日を心待ちにしていたことを知っている。だから……


「どうだった?」


 なんて聞かれるのは、自然すぎて避けられない流れだった。


 尋ねてきた母さんが、テーブルに野菜山盛りの皿を置いた。

――あ~、野菜か。あの地味なご加護のことを思い出して、思わず顔が渋くなる。親父は無言の真顔でこっちを見たまま、母さんは普通に配膳を進めている。

 言わないわけにもいかず、俺は……言葉を選びながら答えた。


「ちょっと、こう……名前を知らない神さまから、ご加護をいただいて」


「へぇ~! ハルでも知らない神さまがいらっしゃるのね」


「また一つ、勉強できたな」


 両親は事をまったく深刻に考えていない。すっごく軽い感じだ。まるで、俺ひとりが無駄にシリアスになっている感じで――


 実際、そのとおりなんだろう。


 俺は大きく息を吸い込んだ後、ほとんど無意識に頬杖をついて、大きくため息をついた。

 親父も母さんも、食卓で頬杖をつくと「行儀が悪い」と言って、すぐにたしなめてくる。

 でも、今日はそういうことは言わなかった。


「思ってたのとは違ったか?」


「まぁ……そーだね」


「人生、そういうこともあるわ」


「あまりため息ついてばかりだと、ツキが逃げるぞ」


「ツキ、ねぇ」


 それを言うなら、もうツキに逃げられてんだよなぁ。

……なんて思ったけど、すぐに別の考えが頭に湧いてきた。


――神さまから授かるご加護に、運もヘッタクレもないよな?


 だって、これまでの戦いぶり……魔獣退治という献身への姿勢を、神々がご覧になられた上で、それぞれの使徒に相応しい神さまが選ばれるんだ。

 だから……名前も知らなかったリーネリアさまは、他のどんな神さまよりも俺向きってハズだ。

 授かった【植物のことがよくわかる能力】ってのも。


 マジかよ。


 俺はため息が出そうになるのを抑え込んだ。


「母さん、おしぼりない?」


「湯は湧いてるけど。適当に温めて」


「うい」


 イスから腰を上げると、親父が自分のおしぼりを差し出してきた。


「いや、いらんって」


 親父からのサービスを断り、俺はおしぼりを温めた。再び席に戻り、イスの背に体重を思いっきり預け、おしぼりを顔に。


「おっさん臭いわねぇ……」


「親父たちのが伝染うつったんだよ」


「気持ちいいもんなぁ!」


 ほっとけば気分が沈みそうになる俺はさておいて、両親は本当にいつも通りだ。


 まぁ、いつまでもガッカリしていられないってのはわかってる。

 このままだと、俺に目をかけてくださってるはずのリーネリアさまに悪いし。

 だから、俺は自分の悩みをどうにか自分で解消することにした。


 どうしてこうも気落ちしているのかって言うと、やっぱり何か期待していたからだ。


――あ~、そうだ。期待していたのは、本当に"何か"としか言いようがない。

「これこれこーいう神さまのご加護が欲しい」とか、そういう具体性がある期待じゃなかった。

 入れ込んでいる特定の神さまがいるような、深い信心とかはどこにもなくて。


 つまり俺は……単に、なんかスゴイご加護が欲しかっただけだ。


 もっと言えば、みんなの期待に応えられるご加護が欲しかった。

 島のみんなから一目置かれている、そういう自負があるから、それに相応しいご加護を期待していた。


……チヤホヤされて、女の子にモテたかった。


 もちろん、良いご加護を授かって、伝記ものに出るような勇者みたいに大活躍して、良いことをしたいっていう願望もある。

 でも……やっぱり、あの場に臨むまでに抱えていた期待や願いは、だいぶ浅いものだったと思う。

 それこそ、他のみんなには言えないくらいに。


 結果として、そういう浅い望みはかなわなかったわけだけど……

 そもそも、あの儀式を受けられる人間の方が、ごく少数派だ。この島だけじゃなくって、外の世界でもそうらしい。魔獣を倒して儀式を受けるだけの《源素プリマス》を貯めて、実際にご加護を授かって――

 そういうことができている時点で、俺は他の人にはないものがあって、きっと恵まれている。

 授かったのが、【植物のことがよくわかる能力】という、なんだかよくわからない地味なものだとしても。


 顔に乗せたおしぼりに手を伸ばし、俺はゴシゴシやった。おしぼりをどかすと、天井の明かりが少し眩しく目に刺さってくる。

 ため息は……とりあえず、出なくなった。


 視線を移すと、テーブルの上には今日の夕食が並んでいる。サラダ、パン、シチュー。狩りの日のご褒美ってことかもしれない。シチューは具だくさんでゴロゴロしている。


「元気出た?」


「まあね」


 ネガティブになったって、結局は自分で色々とつまらなくしてるだけで、良いことなんてない。

 こういう切り替えのいいところは、たぶん両親に似たんじゃないかと思う。どっちも、細かいことをあまり気にしないし。

 気を取り直した俺は、シチューにスプーンを滑らせて、すくったイモに軽く息を吹きかけた。アツアツでホクホクのイモが、なめらかなシチューとともに口へ入り込み――


 どういうわけか、視界に火花が散った。

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