第4話 好きな人の心を射止めたのはいいが
中庭の一角。
バスケットボールがゴールをくぐる。
乾いた音が響き渡る。
簡易なコートの敷かれたここには、息抜きにバスケに興じる人がちらほらいた。もちろんあの山本和樹も。爽やかな顔立ちの彼は瑞々しい汗を振りまきながら1on1を繰り広げていた。相変わらずの身のこなしの山本は攻守ともに圧倒的で、オフェンスに回れば立ちはだかる相手を軽々と抜き、ディフェンスに回れば相手の自由を奪う。
さすがの一言だった、男の瑛太でさえも彼の才能はまぶしく映る。
(そんな優れた男を攻略するのか。はたしてどうなる?)
ついにこの日が来た。
化粧、髪形のセット、話し方、立ち居振る舞い、内面、小野のこれまでの努力はこの時のためにあったのだ。その努力の実が結ばれるかは良くも悪くも今日の結果次第。小野が山本と接触するのはこれが初めてだ。山本を攻略するためにも小野の第一印象は良いものにしないといけない。不可能とは言わないが悪い第一印象を覆すのは至難の業だ。今後のためにも山本への第一印象は加点しておきたいところだ。どうなるかは分からない、すべては小野の対応力によるところである。だからこそ無意識のレベルで役を演じられるようになるまで瑛太は彼女の特訓につき合ったのだ。後は小野が本番に弱くないことを祈るばかり。
育てた子供を送り出す親というものはこんな気持ちなのだろうか、心臓が小気味よくドキドキしながらも、彼女は何を見せてくれるのだろうと期待する気持ちもあった。
「うぅ……先輩相変わらずかっこいい。私じゃ役不足じゃないかな……」
「練習通りにやれば何も問題はない。山本先輩に対する、小野の真摯な想いを見てきた俺が保証する」
「だといいけどね」
「暗い未来ばかりを思い描くと現実もそれに引っ張られる。成功するビジョンを思い描くんだ、小野ならできる!」
「古川君が言うと説得力があるんだよね。分かった、やってみる」
小野はコートに足を踏み入れた。瑛太もその後に続く。まずは手はず通りにバスケをやる姿を山本に見せる。小野がある程度バスケが出来るのを分かってもらうためにだ。今回の作戦は小野に興味を持ってもらわないことには始まらない。
瑛太と小野の1on1。
至ってシンプルな対戦。瑛太は小野と楽しそうに向かい合った。チラッと横目で周囲の様子を窺う。いつの間にか山本は仲間との遊びを止め、こちらを興味深そうに見ていた。内心で小野を見ろと念じながらもそれをおくびにも出さず、今は目の前の作戦に集中する。
雑念は払う、瑛太のミスで小野の足を引っ張ってはいけない。
小野はボールを持ってドリブルをすると、フェイントをかけて瑛太を抜き去った。そのまま飛んでボールをゴールに放り投げる。良い感じだった。練習の成果が出ていて、とても数カ月前までは素人だったとは思えない。小野は元の運動神経も悪くないのだろう。
先のフェイント自体は瑛太も見切っていたが、今日の主賓は小野だ、彼女に花を持たせてなんぼだろう。脇役は静かに場の空気を譲らなければならない。そうして瑛太と小野はハイタッチを交わした。
「へぇ」
山本が小さく感心する。
(どうだ?)
瑛太の感触としては決して悪くない。小野は良い感じに目立ってくれた。多少は小野がバスケを嗜んでいると伝わってくれたはずだ。後は神のみぞが知るところだ。緊張に心臓が痛々しく高鳴っている。
「……あっ」
小野が左手に抱えていたボールを転がす。ボールは山本のところにまで流れた。
もちろんこれはわざとだ。小野の印象が好感触であれば、山本も何らかの反応を返してくれるだろう。小野と瑛太の視線が交差する。瑛太は迷わず行くんだと頷いた。小野はためらいながらも練習通りに余裕のある女を演じて山本に近づいて行った。瑛太は平静を貫きつつ頑張れと応援する。
「これ、どうぞ」
山本がボールを小野に優しく手渡す。小野は笑顔を浮かべて、感謝の言葉をささやいた。彼女のにっこりと細められた目が見る者を癒し、山本から緊張感を奪っていった。
「いいね、君もバスケやるんだ」
山本は爽やかな笑顔を浮かべた。それを受けた小野は憧れの人を前にして委縮せず、堂に入った様子で涼し気に返した。
「そうなの。今日は良い天気だったからついね」
今の小野にかつてのようなおどおどとした態度はなかった。あれはあれで眺めていて飽きないが、これは素晴らしい成長だ。近くで彼女の努力を見てきたものとしてはなおさら。山本への感触も悪くはない。山本とのやり取りにはハラハラしたが、同時にこれが小野だ、たくさん魅了されてしまえと誇らしくさえある。
「気が合うね、俺もこういう日は外で暴れたくなるんだよ」
「そうなんだ」
「はははっ。おっと自己紹介が遅れたね。俺は山本和樹。三年だ」
「わー、先輩さんなんですね。私は小野小春。二年生です」
「小野小春ちゃんか。いい名前だね」
小野と山本が談笑を繰り広げる。
それはまるで旧知の仲のような態度だ。山本の趣向、日常会話だって初めて尽くしだろうに、小野は見事について行けてる。
清楚な空気を匂わせ、顔の表情を愛嬌よく駆使し、声のトーンを意識して。
初対面の相手と会話が弾む方法を教えてはいるが、彼女の学習能力には目を見張るものがある。安心感があった。山本も満更ではなさそうな雰囲気だった。あのモテ男の心を開くとは。深い仲になれるかは今後の小野次第だが、ひとまず第一印象に限ってはクリアと言ったところだろう。
付き物が落ちた気分だった。これなら大丈夫、瑛太は小野を信用してお邪魔虫は退散とばかりにその場から離れることにした。
「じゃあ、俺はこの辺で」
「あっ、古川君」
「また教室でな」
瑛太は小野に背中を向けて右手をひらひらと振り、彼女達から距離を取る。勝って気を引き締める。
本番はこれからだ。
小野と山本が恋人になるまで面倒を見ると約束したのだ。
心が燃える展開だった。
「彼には気を遣わせたね」
「先輩」
「どうだろう、一緒にバスケしない。悪いようにはしないからさ」
「はい……」
気のせいか、背後から聞こえる小野の声がいくらかトーンを落としていたのだった。
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