第8話 職員室

「あっ佑磨どこ行くの?」 


次の休み時間も玲那に絡まれるという事は無かった。無かったというより回避できたというのが正しいだろう。玲那の呼びかけも聞こえてないふりで足早に教室の戸口を抜ける。


戸口を抜ける間際視界の端に映る玲那はさらに大きく呼びかけたりはせず、ただ不思議そうに首を傾げ柔らかな髪を木漏れ日のように揺らすのだった。


目的地前に到着した俺は自分の意思で来たにも関わらず足は竦み、冷や汗が首筋を撫でる。


扉をノックしようとした手を降ろし深く息を吐くと一度呼吸を整える。何も扉の先がこの世の終わりって訳でもないが、それでもこうして心を落ち着かせなくては決してこれ以上一歩たりとも前に進むことなど出来ないだろう。この先に待ち構えるのはゲームで言えば間違いなくラスボス戦。しかし俺には信頼できるパーティがいないばかりか自分の武器も無い。


緊張を払うように軽く咳払いし伝説の剣など持ってない俺は軽く握っただけの拳で恐る恐る扉を三回ノックする。


「し、失礼します」


やけに重く感じる扉を開けるとラスボスという表現があまりに似合う担任、二階堂先生が鎮座する。そうここは所謂、職員室だ。


先生の机には山のように積まれた資料が都会のビル群のように立ち並びその内の一枚を手に持ちもう片方の手にはコーヒーカップを持っていた。


「どうした、何か用か?」


先生は手元のプリントをビル群の頂上に戻すと目線をこちらに移動させる。


「あの、先生にお願いがあって来ました」

「お願い?」


先生はどこか悦に浸る様に口角を緩める。

コーヒーのおかげでその身に纏った氷は解け、柔らかな印象にでもなったのだろうか。


「はい、実は席替えをして欲しいんです」

「席替えか。面白い提案だがそれは無理な相談だな。そもそも君の願いを聞く義理など私にはないよ」


こうなる事は分かっていた。分かっていながらもここしかないと足を運んだのだ、それなのに俺は反論の一つも出なかった。


「……泉の隣はそんなに嫌か?」


数秒の沈黙は二階堂先生によって打ち破られた。先生は俺がここに来た理由など最初から見通していたかのように問う。


「な、なんでそれを」

「いいから答えてみろ」

「……まぁ、そうですね。俺は誰とも関わらず静かに過ごしたいんですよ。なのにあいつはそんなのお構いなしに話しかけてきて困るんです」

「そんなの対処は簡単だろ。無視すればいい、そうすれば君の望み通り静かに過ごせる」


先生は口角を緩め、難題な計算式をらくらくと解いてみせたかのように笑みを浮かべる。


「それは、その……」


言い詰まると続きの言葉は二階堂先生の口から述べられた。


「仲良くはしたくないが敵対もしたくない。だから無視もできないって訳か」

「……わがままに聞こえるかも知れませんがようはそんな感じです」

「時に君は人が一人で生きる事は可能だと思うか?」


先生は俺の心の奥まで見透かすような笑みをぱっと止めると今までしていた世間話を続行するように、突然脈絡のない質問を投げる。


「どういう事ですか、いきなり」

「いいから」

「まぁ先生みたいな人なら可能だと思えてしまいますけど、僕にはきっと無理ですね。運動でも勉強でも一番になった事はないですし。きっと何かしらの才能に恵まれた人だけだと思います、それを可能にするのは」


意図は理解できないが別に答えてやれない質問でもなく、俺は思った通りを答える。この先生なら無人島に一人で漂流しようとも食べられるきのこと猛毒のきのこを見分け、夜間を襲ってくる獰猛な猛獣さえも手懐け数か月は不自由なく生きていけそうだ。


「そうか。それじゃあ残念ながら私も才能には恵まれなかったのだな。私も一人で生きていけるとは思ってないよ。人は一人じゃ生きていけないから人と触れ合い、馴れ合い、寄り添って生きるんだ。君は泉と距離を取ろうとするように誰かと関わる事を極端に拒絶するがそれは簡単に切り捨てて良いものじゃないんだよ」


俺の考えに反して以外にも弱気な先生の回答に拍子抜けしそうだが、それよりも驚くのはまともに会話が成立し、さらには生徒思いな担任のような事を口にした事だ。


だが、それでも俺は自然と会話を続けた。


「そうかも知れませんが、それでも俺は一人で生きていくしかないんです。俺にだって昔は普通に友達がいました。でも全て失ってもう他に道はないんです」

「私から言わせてもらえば君はその答えを出すにはあまりに若すぎるよ。若く、未熟で弱い。だから答えを急がない事だ。君はもう分かってるじゃないか、人が一人では生きていけない事を」


俺を真っ直ぐ見つめる瞳はガラス細工のように透き通り、そして限りない優しさを帯びているように感じた。俺がそう感じただけなのかもしれないが、あの鮮烈な入学初日、俺達に死を宣告した鋭利な刃物のような視線の持ち主とはまるで別人の印象だった。


だから俺は答えを求めてしまったのだろう。


「じゃあ俺は一体どうしたら……」

「それは私が教える事じゃない。自分の力で答えは探すんだ。しかし、一人では困難な事もあるだろう、だから友人を作り友を頼れ。そうしたら自分一人じゃ見つけられなかった答えも見えてくるはずだ」


先生の言葉が終わると同時にチャイムが鳴る。


「ちょっと喋りすぎたな。まぁ君なら大丈夫か」


一度下を向き、俺の顔に視線を戻すと優しく微笑む。この人はいったい……。聞きたい事は山のようにあったがチャイムが鳴り時間が無い今俺は一番の疑問を問う。


「先生、最後に一つ教えてください」

「なんだ?」

「泉は本当に不登校だったんですか?とてもそんな風には見えなくて」

「この学校において不登校であった事は絶対の条件だ。そこに例外はないよ」


そう口にする先生の表情はまるで泉の過去を知っているかのように寂しげに見えた。

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