第7話 危険
寮に帰った俺は着替える事も無く制服のネクタイだけを緩め窓を開ける。
「はぁ……」
だが、外に打ち付けられたコンクリートの外壁を見て思わず溜め息を溢す。そうだった、綺麗な景色なんかここにはないのだ。
加えてこの学校には部活動などあるはずも無く、放課後の窓からは時折寂しげに吹く風の音が聞こえて来るばかりだ。しかし、外界との繋がりを唯一感じさせてくれるそんな音も窓を閉め切ってしまえば無音な孤独の世界が完成する。
そんな孤独な世界で俺はベッドに倒れ込んだ。体が海の底にゆっくりと沈んでいくような感覚を感じながら体を脱力させ今日ばかりは孤独な世界に自ら身を委ねる。こうすると落ち着ける気がした。落ち着く時間が俺には必要だった。
落ち着いて頭をリラックスさせながらどうしても考えたい事があったのだ。だから寮に帰っても息抜きの読書なんかをする気持ちにはなれなかった。
泉玲那という存在がどうしても気になってしまう。一度見たら忘れられない細部まで整った顔立ちの彼女は、ドラマや映画のような華やかで煌びやかな誰もが羨む高校生活を送っていて当然のような存在だと思う。もし、そうなら違和感も無いのだろうがこの不登校ばかりを集めた教室では玲那の存在はあまりに不自然でしかない。
その明るい立ち振る舞いからは過去のトラウマなど微塵も感じさせないし、もはや何かの手違いでここに来てしまったとしか思えない。
もしかしたら本当にトラウマなんてもの玲那には無いのかもしれないと考えてしまう。だとしたら、悩みなどとは無縁で人間関係に困る事も無さそう玲那は何故こんな所に……。
頭を巡る思考は答えが出るまで止まりそうになかったが、目を瞑り肺一杯に息を吸い深呼吸する。
「まぁ、俺には関係ないか……」
無理やり思考を止めるために呟いた言葉は自分自身に言い聞かせるための言葉だった。
翌日、また始まった一日に特に嫌気も無くむしろ、家に居た頃よりメリハリが出て楽に感じる部分もあった。
授業は驚くほど分かりやすく淡々と進み、休み時間には自分の好きな読書の世界に没頭できる。学校に行っても誰ともかかわらなくて良いのだからそんな楽なことは無い。
しかし、あぁなんという事だ……。そんな俺の平和で孤独な世界に素知らぬ顔で悠然と入り込んでくる奴が今日もまた一人。
「ねぇねぇ、昨日のテレビ見た?あのリアクション芸人が激辛料理食べるやつ」
話しかけてきたそいつは顔良し、スタイル良し、性格は……難ありだな。うん。
俺は開いている本の文字列から隣の性格に難あり美少女へと目線を移す。いや、性格が悪い訳ではないのだ、きっと。ただ、美少女というのはどこへ行っても歓迎されてしまうせいか空気を読む力が欠如しているのだろう。だから、難ありなのだ。ちなみにうざいとも言う。
「いいや」
確かに各部屋には贅沢にも52インチの最新テレビが壁掛けで設置されているが見たことはない。
全身に構うなオーラを普段の三割マシマシにんにくマシマシで纏っているにもかかわらず玲那は全く気にしない様子。というか気付いてないだけかもしれない。
「そっか、まぁ見てなくても全然問題ないのよ。激辛系のテレビ番組ってさリアクションがわざとらしいって思わない?」
「どうだろうな、見たことないからな」
「あっそれもそうね。でね、私気になったのよ」
「……何をだ?」
完全に会話を切るタイミングを逃してしまった。なにか面倒なことになる前に会話を終わらせなくてはいけないのにと俺の本能が知らせている。
「本当に激辛料理を食べた時どんなリアクションになるのかってね」
あぁそうですか。なんて返して完全に会話を終わらせられるタイミング!ここしかない!しかし玲那はそんな隙を与えることなく「でね」とさらに言葉を継ぐ。
「でね、作ってみました!激辛料理!!私が昨日テレビで見た料理を再現するべく材料は食堂のおばちゃんからもらったわ」
じゃーんと最後にアホっぽい効果音を付けて鞄から取り出した弁当箱の蓋を開ける。
「「うっ――」」
っと上がる悲鳴はしっかり二人分。
蓋が開いた途端に涙で目がうるうると揺れる。辛いとかではなく痛い、目が鼻が体の五感が危険信号をビービーと大音量でがなり立てているのだ。目の痛みは今まで感じたことのないもので今すぐ眼球を取り出しオキシドールでごしごしと洗浄してやりたいくらいだ。
「やばっ!!」
玲那も流石に危険を感じたようで第一種危険物の弁当箱に慌てて蓋をすると、すぐ近くの窓を開けて手で大きく周辺を扇ぎ換気を試みる。
「……おいっ、なんてもんを持ってきてんだよ」
視界が霞み目の前の玲那の姿でさえ霧の中にいるようにはっきりとは見えずゆらゆらと揺れる輪郭に対し、涙を流しながら睨みつける。
「いやーごめん、ごめん。まさか弁当箱で熟成されてここまでの危険物になっているとは思わなくてさ」
しかし玲那はどこか楽しそうに後頭部をくしゃくしゃと掻きながら笑みを浮かべる。
「危うく死にかけた……ほとんど臨死体験だったぞ」
「まぁでもこれではっきりしたわね。テレビの激辛料理を食べた時のリアクションは本物ね」
「テレビのはこんなんじゃなくてちゃんと食べられるレベルのだろうけどな。これはそもそも料理と定義して良いのかも判断しかねる代物だぞ」
「なっ、こんな可愛い女の子の料理にそんな事言ったら嫌われちゃうぞ?」
玲那はばーん!と軟弱な発砲音を最後に付けてアホらしく手で銃を作る。
あっ自分で自分の事可愛いって自覚してるタイプの女の子ね、やっぱこいつうぜー。
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