第6話 泉玲那

これほどまでに怪しげな名前も無いと思う。不登校リセットプロジェクトとやらはその奇奇怪怪、一種異様な名前に見事に合ったものでここに来て二日間だが体にはもう何日分もの疲労感が詰まっているように感じる。


氷の女王、はたまた冷酷な指導者としか言いようがない一見モデル級に美人な担任の二階堂先生はたったの二日で潜在的な恐怖を心に植え付けてくるし、外界との境界線である冷たいコンクリートの外壁は見るたびに俺達が外の世界には不要なのだと言われているような気分になる。

だが、俺の持つ危険物質探知機は今、すぐ隣の本来なら無害無益な不登校の女子高生にビープ音をがなり立てているのだった。


きっかけは昨日の俺が情けない事に筆箱を忘れてしまった事に他ならない……。そんな訳で翌日から一層話しかけてくるようになったそいつを本来なら低く唸り声をあげて、歯を剥き出しにした威嚇の末追っ払ってやるのだがそういう訳にもいかず狼狽していた。


いや、本当はそんな事出来もしないのだが……。だいたい、不登校たる俺は誰かと喧嘩がしたい訳ではないのだ。平穏に穏便に静粛にひっそりと生きていたいのだ。

しかし相手方にはあちらはあちらの都合でもあるのか、無視をしても永遠と壊れたカセットかとツッコミを危うく入れてしまいそうになるくらい会話の第一節を恐らく俺が反応するまで繰り返すのだった。


「てかさ、まだ私の名前知らないよね?」


もう何回目だろうか。途中から数える事もしなくなった俺は読んでいた本をぱたんと閉じ仕方なく返事をする。


「知らなくても問題ないだろ」

「あっやっと返事した!……じゃなくて、人間性に問題大ありよ!だいたい、これからずっと隣同士で顔を合わせるのに話しかけ方が毎回ねぇとかおいとかだったら不便じゃない」

「話しかけないんだから不便じゃないだろ」

「いーや、不便よ!というか、話しかけなさいよ!」


細く鼻筋の通った鼻から力強くふんっと鼻息を漏らし、不服そうに眉に皺を寄せる。


「分かったよ。じゃあ名前は?」


観念して名前を聞くとそいつは夜空に大輪を咲かせる花火のようにぱぁっと表情を明

るくする。


「私は泉玲那いずみれなよ。気軽に玲那って呼んでくれていいからね、改めてよろしく」


笑顔満開で握手を求める玲那を無視して俺は暇つぶしの読書を再開する。


「えっ!?ちょっと何会話終わったみたいにしてんのよ!」

「終わっただろ、名前聞いたんだし」

「あっそうよね!私ったらついうっかり、ごめんごめん」

「あぁ、分かってくれれば――」

「ってそんな訳ないでしょ!何で私が謝らなきゃいけないのよ、このバカ!」

「なっバカ!?」


突然の罵声に思わず俺の声も大きくなる。


「そうよ、おバカさん。私はあなたの名前を知らないんだからそう呼ばせてもらうわ」


そして続きの言葉は声をより一層響かせ


「ねぇバカ!趣味とかあるの?あっバカ特技とかもあったら教えてくれる?ところでバカ――」

「分かった、分かったから!」


全くなんてやつの隣になってしまったんだ……。俺は肩をすくめ深い溜め息を吐く。


「俺は佐々木佑真だ」

「そう、佑真ね!ようやく名前を知れたことだし休み時間の残りも仲良く会話を楽しみましょ!私たちに許された時間は有限で貴重な物だからテンポ重視に会話をするわよ!」

「……」


しかし俺は無視して読書を再開した。視界の端では玲那が不満そうに白い肌に桃色がかった頬を膨らませていたが望み通り名前はお互い知れたし今度は何も言えずにそうするのみだった。


クラス内の雰囲気は全く持ってミジンコの体重程も楽しそうではないのだが、俺としては嫌いじゃない昼食の時間にまた面倒事が降り注ぐ。


「ねぇ、お昼一緒に食べない?」

「一緒にっていつも隣で食べてるだろ」


玲那に対しては無視する方が面倒なのだと学び呆れつつ返答する。


「隣でじゃなくてさ、机をこうがしゃーん!とくっ付けてさ」


両手を大きく広げ机を動かすジェスチャーは能天気な女子高生が宇宙との交信をしているようにしか見えない。というかいっそ宇宙との交信であって俺に話しかけているんじゃなければいいのに。おい、どこかの暇な宇宙人、早くこいつをキャトルミューティレーションしてやってくれ!


「それは遠慮しとく」


俺はこれ以上アプローチのしようがないようきっぱりと断り、昨日同様に無言で一人ご飯を食べるのだった。


なぜ、こいつはこんなにも俺に話しかけてくるのだろうか。どうして今まで何の苦労も無かったような顔をして笑えるのだろうか。


「そんなぁ……げっ、今日のお昼ご飯野菜ばっかりじゃーん」


などと一人で呟く能天気な美少女を横目に少し興味は湧いていたんだと思う。しかし俺から話しかける事など無かった。


諦めが悪いバカってのは漫画なんかではかなり胸熱キャラなのがお約束である。

諦めずに己が信念を貫き、強大な敵を打ち破るってのが定石で、人気キャラランキングも上位をキープするものだ。しかし、俺の隣にいる美少女の姿をした諦めの悪いバカは全く持ってそんな胸熱なキャラでは無かった。


「今日一緒に帰らない?」


鞄を男らしく肩に回した手に提げ俺の机の間に立ちはだかる。


「そんな距離じゃないだろ」


寮は走って三分、徒歩でも十分あればどんな亀の歩みだって帰宅できてしまう。


「まぁ、いいじゃない。学生時代の楽しい思い出でも語りながら帰ったら案外楽しいはずよ!」


玲那の淡い色の目は透き通っていて綺麗な髪はダメージなど無縁な髪質、人形のように整った顔立ちは可愛らしく俺に笑顔を向けていた。ここが普通の高校で、俺が普通の男子高校生なら断る訳も無い展開なのだろうと自分でも思う。しかし、


「……そんなのある訳ないだろう」


俺は抑揚の無い声で短く、しかししっかりと聞こえるようにそう返して教室を出た。仕方がないのだ、俺は誰かと仲良くなりたい訳ではないし、それに誰かに話せるような楽しい思い出なんか存在しないのだから……。


流石の玲那も今回ばかりは立ち去る俺の背中に引き留める声を掛けてはこなかった。

俺は俺で己が信念を貫く諦めの悪いバカなんだろうか……。

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