第2話 登校初日

 飽きることなく四季というのは巡るもので、今年も律儀にさらには誰に呼ばれたわけでもないのに張り切って駆け足気味にやって来た夏という季節は初夏と言うにはあまりに蒸し暑く、果たして環境保全団体らは地球温暖化を止める気はあるのだろうかと行き場の無い苛立ちをクレームに変換して押しつけてやろうかという気分にさえなってしまうとある日。


そんな暑さに拍車をかけるかの如く俺達は一つの教室に集められていた。

新学期定番の四月を二月も過ぎているというのに右も左もさらには前も後ろも知らない顔揃い。というのも当たり前な話でここに集められたやつらは全員が漏れなく初対面だからだ。せいぜい予想できるのは教壇に立つ長身の女性が担任教師であるという事くらいなもんだった。


女性教諭の綺麗な顔立ちは暑さという言葉さえ知らないかのように冷たく、その視線も同様、言い知れぬ恐怖すら感じさせるものだった。嫌悪や唾棄といった感情を混ぜ合わせたように黒々とした瞳を素早く動かし生徒を見渡すと表情を変えることなく問いかける。


「君たちは何故学校があるのか分かるか?」


突然の質問に教室内は沈黙。誰一人としてその質問に答えられるものなどいなかった。今までそんな事を考えたことは無かったし、学校の事なんか出来るだけ考えないように意識して逃げてきたからだ。俺達は下を向くわけでもなくその迫力に気圧され蛇に睨まれた蛙のようにただただ固まって息を呑んだ。


「どうした?君ら不登校の集まりはこんな簡単な質問に答える事も出来んのか?」


そこまで言われても誰も言葉を返せなかった。女性教諭は短く息を吐き軽蔑或いは嘲弄したような表情で


「学生の中には学校は自分たちのより良い将来のためにあると考えているものも多い。だがそれは大きな間違いだ。学校はより優秀な人間を選別するために存在する。つまり高校にも行かない不登校の君たちは国が抱える負債でしかないのだよ」


乾いた唇を噛みしめ、口の中に広がる鉄の味を感じる。教師ってのはいつもそうだ。俺たち自身を見る事なんか無く、立場や評価、そんな曖昧な物で俺達を判断しやがる。だが、俺は反論などしなかった。凝り固まった思考や固定概念が俺の言葉如きでは微塵も動かない事を過去に学んでいたから。


「お、お前なんかに俺の何が分かるんだよ!何も知らないくせに勝手言ってんじゃねぇ!」


それでもクラスの誰かが震える声で叫ぶ。緊張と怒りが混ざり合ったようなそんな声。しかし、それすらも一蹴。


「分からんな、分かりたくもない。君たちみたいなやつらは生きてる価値も無いんだ」

「なんだよそれ!俺達に死ねって言いたいのかよ!」

「そう言ったんだよ。君たちには全員いずれこの場所で死んでもらう」


絶句。クラス内の連中は震える声すらも失った。その女性教諭のあまりに現実離れした言葉が、冗談ではないと仕草、表情、声色その全てからあっさりと理解できてしまったからだ。


「……どういう事だよ!ここは不登校更生施設じゃねぇのかよ!」


またクラス内の誰かが叫ぶ。


「あぁ、確かそんな名目で君たちを集めたな。だが、今更事実がどうであろうとどうでも良いじゃないか。どうせここからは出られないんだからな」


口の端でニヤリと笑う。しかし、その瞳はまたしても嘲弄に揺れていた。


「ここには広大な土地にこの教室や君たちの寮、その他にも教育関連施設などが多数存在するがその全てを取り囲むように外周を高い外壁が覆っている」

「な、何が言いたいんだよ……」

「ここからは逃げる事など出来ないという事だ。だが、安心しろ。君たちはすぐに死ぬわけじゃ無い。それまで何不自由なく暮らせる環境は整えてある」


静かだった教室は時が止まったかと思うほどより一層の静けさを纏う。


「……くそっ、騙されたんだ。だから俺はこんな所に来たくなんか無かったんだ」


静寂の中で誰かが呟く。ここには俺のように自分の意思で足を運んだものもいるだろうが恐らくほとんどは親が知らずのうちにこの不登校リセットプロジェクトに参加承諾しこいつらに強制的に連れてこられたんだろう。


「まぁ、そんな辛気臭い顔をするな。これからなんだかんだ長い付き合いになるはずだ。最後にここから出られる唯一の方法も教えてやる」


その言葉に生徒たちの目には、はっと微かな光が戻る。


「死ぬことだ。君たちが全員死んだらここから出してやる。頑張って死んでここを卒業しような」


そう言って男らしく笑ってみせた。


「ふざけんなぁ!!」


突然教室内に響く怒号。叫びながら一人の男が走り、女性教諭に殴りかかる。拳を力いっぱい握り目は怒りに震え、全力で殴りかかる。体格差で言えばまともに喰らっては女性教諭は怪我では済まないだろう。しかし、その拳が顔面に直撃する寸前、女性教諭は余裕の笑みさえ溢しながら片手で軽々といなす。さらに体勢が崩れた男の腕を掴み背中に回すと涼しい顔のまま無駄の無い動作で関節を極めて取り押さえてみせた。


「……くっ、くそが!!」


男は押さえられた腕を振り払う、がこれも恐らく女性教諭がわざと解いてみせたのだろう。再び殴りかかろうと腕を大きく振りかぶったが、素人離れした空さえ切るようなスピードで飛んできた女性教諭の拳が男の顔面に直撃するわずか数ミリで寸止め。その拳は当たってなどいなかったが当たれば男の体ごと後ろに大きく吹っ飛んでいただろう。男はその迫力に気圧され、わなわなと力が抜けていきその場に腰を落とした。


力の差を教えるには、恐怖を植え付けるには、これ以上ない程に分かりやすかった。こいつは一体何者なんだ?本当に教師なのか?そんな疑問を言葉にする余裕もないほどに俺の頭は冷静ではなくなっていた。


「今日はこの辺りで解散としよう。明日からサボらず登校してくれよ」


そう言い残し女性教諭は去って行った。


取り残された俺達は誰も口を開くことは無かった。次第に辺りが暗くなる。全員がもう痛いほどに理解していた、ここからは出られない。従うしかないと。そうして一人、また一人と寮へと帰って行く。それが俺たちの新たな学生生活の初日だった。

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