8

 異形人らを主とした国家連合体はその力関係を露骨に示すように、盟主国ポーレをそのまま条約の名として冠した。

 そのポーレ本国の首都『ボゼリア』は週末を迎え、郊外の住宅地では、汗水垂らすような労働からは疎遠な筈の上流階級がそれぞれに暇を謳歌している。セオドアもまた彼らと同じように広場のベンチを一つ占拠して、収穫祭前の穏やかな風が吹くこの地での休暇を味わっていた。

 紙巻き煙草をふかして時間を潰す。ようやく帰れた自室で髪と髭を小綺麗に整え、外行きの服装を繕えばそれなりに見栄えするようになった。しかしそれでもこの場所では異物である事には違いない。

 汚れを知らぬ人々は煙とその風貌から意識的に遠ざかり、彼の周囲では鳩たちが小石をつついているだけとなった。気に留めず煙を肺に溜め、上空に吐き出す。いやらしいほどに真っ青な空は、化学物質の塊を優しく飲み込んだ。

 程無く、そばにある時計台が正午の鐘を鳴らした。セオドアは名残を惜しみつつ最後の一息を吸い切って立ち上がる。

 束の間の安らぎではあったものの、雇用主は容赦無い。今朝方急遽、電話で呼び出しを受けて屋敷へ出向かねばならなくなった。

 吸い殻を足元に投げて踏み潰す。その横を金細工が施された馬車が通りがかり、侮蔑の目さえ向けずに走り抜けた。

 そこからしばらく、自らの足で大地を踏み締める。久々の感覚を楽しみながら、道中の区画を見渡す。そこかしこに豪邸が立ち並んでおり、至る所に植物の曲線を模るポーレ様式の意匠か見える。雑多で華美、手の込んだ複雑な彫刻群は、この街が随分昔から戦火に晒されていないことを示している。

 川を渡ると家の数は更に減り、いくつかの名家が敷地の広い居城カントリー・ハウスを構えるのみ。そのうち一つである屋敷にたどり着き、門衛に用向きを伝える。門衛の男には狼のような耳と揺れる尻尾があり、この家の縁者であることが伺える。

 最低限のやり取りを終えて、華奢な門をくぐる。敷地に入ってから屋敷までの道のりはまだ長く、絵に描いたような庭園が広がる。迷路のような通路に沿って設けられた花壇では、採集家達が異国から引き抜いて来たであろう名も知らぬ花々が誇らしく根付いている。

 噴水や東家、およそ実生活に必要のない施設の横を通り過ぎる。その行く先に、青々と茂る生垣を剪定している庭師を見つけた。向こうがこちらに気付き、手を止めて一礼する。セオドアも手を上げて応じようとするが、庭師はそれを待たずに作業に戻った。

 およそ二分ほど歩き、見えてきた母家の眩しさにセオドアは目を細めた。白亜の外壁と夥しい数のガラス窓が日光を反射させている。そのうち右翼部一階にある一室をセオドアは恨めしげに睨め付ける。

 どこかよそよそしい、居心地の悪い楽園。それを外界との緩衝地帯として、目的地である邸宅は鎮座していた。

 エントランスの先の静かな大広間ホールを抜け、主人が待つ部屋まで歩く。その間の通路で見かけるのは、煌びやかな照明、繊細な微笑を湛えた胸像、ギャラリーに飾りきれなかった絵画、その他諸々の調度品。

 かつてセオドアが過ごした一時期と比べれば外観上こそ変わり無い。しかしそれらは少なからぬ埃を被り、邸内の従者の数は目に見えて減っている。

 華やかな記憶は極力振り返らないようにして進み、ある扉の前で立ち止まる。先程外から見ていた部屋だ。

 首を鳴らして大きく息を吐く。覚悟を決めて扉を叩くと、高い音が無人の廊下に響いた。

「セオドアです。お呼びに預かり参上しました」

 名乗りをあげて返答を待つ。すると無音だった室内から男の声が聞こえた。

「入ってくれ」

 激しくはなくとも厚い扉を平気で突き抜けて来る声。しかし今更気圧される事もない。扉に手をつき、体重を掛ける。

 中に入って扉を閉め、よそ見をせず執務机の向こうに居る人物を視界に捉える。ばらつく太く白い髪と頭頂に突き出る犬のような耳が特徴の、人狼種の老人だ。

 セオドアは彼に恭しく辞儀をする。

「ご無沙汰しております。ラムスドルフ公爵」

 銀狼公ローレンツ・『フォン』・ラムスドルフ。騎兵術の名門の現当主にして、生まれついてのエリート。かつてメイディオスの戦いに騎兵隊を率いて馳せ参じ、シラクスの猛攻を跳ね返すに一役買った人物である。

 精悍な顔には戦いで負った火傷が残っており、かえって彼の無表情を際立たせている。

「よく帰った。息子よ」

 老人が応え、白銀の尾を揺らした。言葉とは裏腹に『息子』に会えた喜びは微塵も感じられない。その程度には他人行儀な親子関係に落ち着いて久しい。

 ラムスドルフが来客用のローテーブルとソファを示し、席に着くようこちらに促す。セオドアが従って座ると、彼は執務机の向こうに居るままで話し始めた。

「悪いな。休暇中に呼び立ててしまった」

「お気になさらず。どうせ詮無い日々を送っているだけなので」

 ただの雑談であっても緊張が解けない。肉体は全盛を過ぎはしたが今だ頑健そのものだ。

 彼はこちらが座ったのを確認し、自らも席に着く。前方を見据える凄味はむしろ、歳を重ねる事に鋭さを増している気がする。

 セオドアは先に、もう一人の貴族について尋ねてみる。

「サンジア公の容体は?」

「まだ食事は摂れるそうだが、もう遠くないだろう。予定通り、全ての責任は彼が負って地獄に落ちてくれるはずだ」

 有鰭人達に居住地を提供したかつての好戦派も、今や見る影はない。そして、病床の戦友すら政治の道具として扱うこの男にセオドアは薄寒さを覚える。

 ラムスドルフは、本題を切り出した。

「先日あった有鰭人達がいる居住区での一件、侵入者の死体から現状分かっている事を話す」

「腐敗し始めた死体を一人で運んでくるのも難儀しましたからね。何か少しでも分かっていればいいんですが」

 セオドアのちょっとした嫌味にラムスドルフは目を瞑った。雲行きは怪しい。

「シラクス人にやや南方系が入っていると推測された。純血に拘るシラクスの手の者だとすると珍しい存在だな。それに対して小型法典以外の持ち物。衣類、水筒、携帯食料。その殆どメイディオスで調達されたと思われる。しかしそれも必要最低限しか無い」

「向こうも馬鹿じゃない。足がつく状態で自殺なんかしないか」

「毒は検出出来た。青酸化合物系で、お前の言っていた通りの症状が出るものだ。彼奴は死ぬ前に何か喋らなかったか」

「残念ながら、一言も喋らず死にましたよ」

 自分が手を下した訳でも無い、見ず知らずの敵。それでも眼前で人間が死んだのは気分が悪かった。どんなに経験を積んでもそれは変わらないらしい。

 ラムスドルフは変わらず無表情に問う。

「……手掛かりがまだ足りん。お前の話によれば、『突然現れたようだった』と?」

「ああ。何の前触れもなく、熱源がいきなり現れたんだ。自分達、『監視者』の存在を示すためだけに現れ、死んだ印象は受けた。お粗末、とは言わないが炎術師の熱感知を知らない訳でもあるまいに」

 セオドアは当時の状況を顧みて語る。

 あの奥地まで即けてきた人間が肝心な場所でうっかり気配を悟られるものなのか、その疑問は未だ燻り続けている。

 供述を聞いたラムスドルフは暫し考え込み、正解を探る。

「最近、『透明人間』の活動らしき報告が複数上がっている。トラックを追えたのはそれかも知れんが、心当たりは無かったか?」

「ほう?」

 突然、出来の悪い映画のような言葉が出た。

 だがそこにいるのは実直が鎧を着て歩いているような男であり、顔を見るまでもなく冗談の類でないのは分かる。理外の理が蔓延したこの世界では最早それも与太話ではないのだろう。

 そして確かに、その仮定を踏まえれば状況に説明はつく。

「あの時は樹上人たちをいくつか運んでいた。気配を掻き消しての無賃乗車も不可能ではないか……」

 腹は立つが、死人を鞭打つ術は無い。セオドアはうんざりしたように首を振る。

 その後、ラムスドルフが頷いた。

「なるほど、分かった」

 彼は椅子から立ち上がり、一つの冊子を手に取った。軍の資料ではない、色使いが鮮やかな俗っぽい雑誌だ。

「透明人間はあくまで仮説に過ぎん。もし本当にそうなら乗り込んだのはポーレ本都か中継地点のどこかになるだろうから、絞り込むのにも時間がかかる。要はあの死体については現状、身元不明に毛が生えたものと考えてくれ」

「自分の失態です。なんであれ処罰は受け入れるつもりですよ」

 特に言い訳も無い。任務から外されて彼らと縁が切れてしまえば、わずかに燃え残った復讐の念に焦がれる事も無くなる。それならそれで構わないのだが。

「責める道理は無い。今は便宜上、透明化と呼んでいる新しい魔術に対してボゼリア軍、いやポーレ全体としても効果的な対応が取れずにいる」

 やはり『息子』の失敗はまるで気にしていないような口振りをする。この『父親』は、昔からそうだったのを思い出す。

「死体の話はここまでにしよう。それとは別口で、良くない情報がまだある」

 深刻さを感じさせない淡白な口調と共に、公爵はローテーブル歩んできて雑誌を投げた。表紙には人を載せた機械の一枚絵が描かれている。

 セオドアはそれを掴み、ページをめくる。最初の記事は表紙の機械について。

「なるほど、炎術機関で空を飛ぶか。そんな馬鹿がまだ生きているとは」

 どうやらメイディオスからボゼリア間の往復を四日で成し遂げた機械があり、それはセオドアの愛車と同じく炎を動力に使ったものらしい。

 顔を上げてラムスドルフを見ると、首を振っていた。

「そちらではない」

 ラムスドルフが手を伸ばし、ページをめくる。見えてきた情報群にセオドアは一瞬目を疑った。

「これは、ちょっとまずいな」

 そこには飛行機の影に隠れるように、テレゴノス保有の見出しがあった。表舞台から消えた有鰭人達の現存、海岸の位置と、テレゴノスの大きさ、およそ戦争を始めるに必要な情報全てが正しく書き記されている。

 しばらく読み込み、顔を上げる。

「誌面での扱いはまだ小さい。よくある新聞屋たちの妄言として無視される可能性は」

「これはマルティロ社の月刊誌だ。国際社会が寄せる信頼は頭ひとつ抜け出ていると言っていい」

「じゃあ、あの死体はマルティロの密偵か?」

「分からん。が、可能性は高い」

 ラムスドルフが頷き、補足する。

「マルティロは自らを、どこの援助も受けていない新興の独立系としている。それ故に、出所不明の資金流入が噂もある。あの規模の組織が後ろ盾にも頼らず、かと言って懐に不自由もせずに成り立っているのはおかしい」

 諜報の最前線たるメイディオスに本籍を置く出版社は数多い。その業界の中でもマルティロは二位、三位で中道を煽る居心地の良い位置に居る。

 もし彼らが何処かにパトロンを持っているのなら、これは誰にとって都合の良い情報となるのだろうか。

「どこから情報と金を得ているのかを調べる必要があるため、調査班をメイディオスに送った。マルティロが山のどちら側についているのか、誰が我々の邪魔をしようとしているのか、まずはそこを明らかにする。状況次第ではテレゴノスの浮上が早まる。お前の休暇も先延ばしになるかもしれん」

「……承知しました」

 また上の我儘でスケジュールが狂う。ため息の一つくらいは出かかるが、そういう仕事なのだから仕方が無い。 

「有鰭人らの居住地に忍び込んできた男、そして同じ雑誌に『二つ』の空の情報。どこの誰が何を意図しているのかは知らんが、まあ、好きにはさせんよ」

 淡白な言いように頼もしさは感じない。その代わりと言わんばかりに、二つ名通りの色をした尻尾が陽の光を反射しながら揺れた。

 そんなラムスドルフを尻目にセオドアは雑誌をめくり、呟く。

「少なくとも僕らにとっては、無関係な情報の羅列じゃない」

 ページをすすめ、やがて視線は一つの記事に至った。見出しは『若き炎術師、空を飛ぶ』。飛行機とやらの搭乗者が写った白黒写真と共にインタビューが載っている。

 その名前には聞き覚えが無い。だがこのどこか気の抜けた顔を、セオドアはまだ忘れていなかった。

「トーレス・フォルツ。そうか、あんたはそういう名前だったのか」

 誌面を大きく開いてテーブルに置き、ラムスドルフに見せてやる。

「あれから三十年。義父上にとっても、懐かしい顔でしょう」

 戦争が起こした始まりの炎。その渦中に居たセオドアへと手を差し伸べてきた青年が、今もそっくりそのままの姿で生きている。

 そしてそれは同時に、ラムスドルフにとっても忘れ難い存在のはず。彼は鉄面皮を覆う火傷に手を当て、やはり起伏無く呟く。

「そうだな」

 奥にある感情は隠しているつもりなのだろう。だがセオドアには、その鼓動が揺らいだのが手に取るように分かった。



 同刻、メイディオスのベイロンワーカーズにて。食卓についた老社長、ベイロンが広げるマルティロの今月号を複数の従業員がぎゅう詰めになって覗き込み、それぞれが不安の表情を浮かべていた。

「サンジアか、近いな」

 ベイロンがぼそりと呟く。サンシアはメイディオスから北西に位置する侯爵領だ。同盟諸国から見ると山脈と海に行手を阻まれた北端の行き止まりであり、湖から飛び立てばすぐに領地の過半を占める広大な原生林を眺める事が出来る。

「なんでこんなもんと一緒に載せるかねえ」

 ぼやくベイロンを、隣席のトーレスはちらりと見てパンを千切る。食卓の周りが職人だらけになって暑苦しい。

「どうする?」

 パンを頬張りながらトーレスは尋ねる。渋面の彫りを更に深めた老人は立ち上がり、寄って集った従業員達を手で追い払う。

「今日の分が落ち着いてから先方マルティロに文句を言ってくる。信頼だか実績だかなんだか知らんが所詮は新参者だ。この街の道理は理解しちゃいなかったな」

 言うまでもなくマルティロの方が契約上も、社会的地位もベイロン・ワーカーズより上にある。文句を言ってどうなるものでもないが、そうしないと気が済まないのだろう。

 ベイロンがトーレスの方を向く。そのまるっきり緊張感のない顔に頭を抱えた。

「お前は引き続き、新設計のテストに向かってくれ。向こうさんからの援助が無くなる前に、使える金は使うぞ」

「うん」

 指示にトーレスが応じたのを見て、ベイロンは作業場へ向かう。職人達も雑誌への興味を失い、方々へ散ってゆく。

 それらを眺めたのち、トーレスはマルティロ誌を手に取った。

 何の気なくページをめくり、アンブロシアの取材を思い出す。当たり障りのない部分が切り貼りされて情報を読み取りやすい。報道屋の手腕に舌を巻くほかない。

 食事をとりながら黙々と読み進めていると、対面に居たメイアンが立ち上がった。

「じゃあ、私はまず洗い物かな」

「メイアン待って」

 トレーを持ち上げたメイアンを呼び止めたトーレスは手元を指差す。

「見て見て」

「なに?」

 面倒臭そうに歩いてきたメイアンと二人で顔を寄せ、並んで誌面を見る。

 パイロットの肖像として載せられていたのは、糊の効いたスーツを来て座り、少し照れてこちらを向くトーレスの姿だった。

「どう?」

 トーレスは尋ねて反応を待ち、最後に残ったスープを飲み干す。

 メイアンは少し考えたのち、

「やっぱり似合ってなかったね」

 と、面と向かって言い捨てた。彼女の言葉は相変わらず、溢れんばかりの親愛を含みながらどこまでも辛辣だった。

 案の定の素っ気ない反応でトーレスの顔に自嘲の笑いが浮かぶ。その拍子にスープが気管に入り、むせ込んでしまった。



 トーレスが自室に戻ると、開け放たれた窓から陽が降り注いでいた。起き抜けに開けた覚えは無いため、首を傾げながらそれを閉じる。

 そして、もう一眠りしたいという欲がちらついてベッドの上を見る。そこに一枚の封筒が鎮座していたのを確認して視線を外し、もう一度それに向き直った。全く見ず知らずの品だ。

「何これ?」

 思わず声が出て後ずさると、ガラクタに足を取られて転ぶ。巻き込まれた諸々が埃を舞い上げた。

 軽く打った腰を抑え、考えを巡らせる。個人宛の手紙でもわざわざ自室に運ばれることはない。

 考えられるのはメイアンからのラブ・コール、である訳が無い。

 おっかなびっくり、その封筒を手に取る。宛名は無く、感触を探ると薄い紙が入っているのが分かった。

 思い切って糊付けされた封を破り、中身を引っ張り出す。そこにあったのは二枚の紙切れだった。

 一つはどこかの映画のチケット。

 もう一つは、一文だけの手紙。内容は、『親愛なる若鳥へ』と。

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