7

 メイディオス市街を囲うアルバトロス山脈。その霞掛かった尾根から伸びる枯れた沢を登る二つの人影があった。

 前後の一列編隊、ザックを担ぎストックを突く彼らの肩には麦を象ったシラクス国旗が貼られている。

 足元は広いガレ場で、勾配もややきつい。視界の悪さも相まって状況は良いものではない。

 うち先頭の男が足元を指差し、声をあげた。

「トーレス。そこの岩、少し浮いてるから踏まない方がいいぞ」

 山の空気は音を吸う。最後尾にいるトーレスはかろうじて指示を聞き取った。

「そっちはどうだアーヴ。尾根は見えるか?」

 先が見えない。トーレスは息を切らしながら声うを張る。それに対し先導する男、アーヴが返す。

「何も見えん! ヤバいかもな!」

 トーレスに負けじと声を張り、冗談めかして笑う。

 黙々と地面を踏み締めるトーレスには友人の景気付けに付き合える余力がない。

 霞は晴れる気配を見せない。湿気を払うような山風も無く、寒気のする静寂が辺りを包む。

 振り返った先、山地の遥か向こうに広がるはずの故国の景色は霧と峰に阻まれて見えず、トーレスはやや気落ちした。

 目印となる水門を見つけ、水路沿いの砂利道の跡を頼りに廃村を目指す。

 石垣や木材の残骸のそばを通り過ぎる。この状況でなければ丘の上に村が見えているはずだが、今は少し前を歩くアーヴの姿を追うのがやっとだ。

 まだ歩く。足元の砂利道から雑草が無くなって進行方向がはっきりし始めた事に気付く。廃村に入りつつあるのを感じるが、今でも誰かが手入れに来ているのだろうか。

 ここで徐々にアーヴの速度が落ちて、完全に止まる。何らかの異変に気付いたのだろうか。彼は辺りを見回してしきりに匂いを嗅いだのち、呟く。

「火薬の臭いがする。俺たちの他に誰かが村に来てるのか?」

「何もない廃村のはずじゃなかったっけ。狩人とか?」

 おっかなびっくりにトーレスは声を出す。本来誰も立ち入ってはいけない緩衝地帯だ。丸腰とはいえシラクスの人間が山に入っていると知れたら大事になり得る。

 アーヴは少し考えるそぶりを見せ、結論を出した。

「見つかるのはまずいが、今更引き返せない。向こうさんがここいら一帯で何をしているか、情報が得られるならそれはそれで良しだ。見つからないよう、行けるだけ行ってみようか」

 何も得ずに帰れば、制服士官が無言で自分達に銃口を向ける。シラクスはそういう国であると分かっているから、二人は無謀であっても進むしかない。

 互いに距離と歩幅を詰めて不意の接敵に備える。とはいえ登山隊としての装備しかないため、攻撃されればひとたまりもない。

 村に近づくほど、ぼやけていた周囲の音は鮮明になってくる。断続的な破裂音。恐らくは銃声と、人の叫び声もする。

「戦闘中か? さっきまで人が居る気配は一切無かったが……」

 アーヴは周囲の様子を伺い、抑えた声で確認をする。トーレスは命の危険を感じ取り、慌てて彼に問う。

「誰と、誰が?」

「落ち着け。山賊なんかが居着いていてもおかしくはない」

 何かが焦げるような臭いが感じられるようになる。加えて生温い、鉄を含んだような空気が漂っている。

 また銃声。火薬量の多い特徴的な音だ。大型の獣や、重装甲の騎兵を相手取る時に用いた弾薬のそれに似ている。

「古い銃だし、軍じゃないと思う。今は山のどっち側でも使われてないから」

 分析しながら、嫌な予感を覚える。この奇妙な状況に説明がつく現象をトーレスは一つ知っている。考え過ぎであって欲しい。しかし、現実は徐々にその輪郭を見せ始める。

 晴れかける霧の合間から最初に見えたのは、石造りの古民家だった。開け放たれた木窓にはカーテンが揺れており、中からは『食事を作っている最中』の匂いがする。

 中を覗く。椅子が転げ、下ごしらえがされてカットされた野菜が煮汁と共に床にぶちまけられている。それが何処からか流れてくる黒い液体と混ぜ合わさる。更に奥へ、先を辿る。質素なチュニックを纏った婦人が仰向けに倒れており、額には穴が空いている。

 蔓延する悲鳴と銃声が大きくなる中、次の家屋へ向かう。

 白髪の老人が外壁を背にして両腕を垂れ、へたり込んでいる場に出くわす。道の真ん中では、育ち盛りだった子供が倒れ伏している。いずれにも、致命的な銃槍がある。

 それぞれが違う死を晒している。戦って死んだのではない。脅され、逃げ惑い、命乞いをし、それでも願いは届かなかった力無き住民達の死骸だ。

 ゆっくりと、息を飲む。状況をいち早く理解したトーレスの額からは、冷たい汗が滑り落ちる。

 また銃声がした。今度はかなり近い。二人はすぐそばの家に駆け込む。

 そこでアーヴが落ちていた薬莢を見つけ、手に取る。

「この弾が現役だったのって、三十年は前じゃないか」

 トーレスもそれを受け取って調べる。ブリーチブロック式の単発ライフルのものだ。まだ黒色火薬を使っていた時代の形式で、現行の軍用弾よりも遥かに古い。そして手元のこれと同じものらしき音が村の中心からひっきりなしに聞こえている。

 屈んで、ガラスの代わりに木の面格子が嵌まった窓から外を窺う。視界を覆う霧はいつの間にか、喉を燻す煙へとすり変わっていた。火薬だけではなく、村のあちこちの家に放たれた炎によるものだ。

「すぐそこで撃ち合ってる」

 二人が隠れる家の近く、村落を抜ける通りで数名の兵士達が密集している。黄色く塗られたシラクスの古い軍服だ。その全員が疲弊し、狂乱している様が見て取れる。

 村の北側、恐らくメイディオスへ通じる道からの攻撃を受けて一人が銃弾に倒れる。

 次に、警戒の緩んだ西の尾根から重装騎兵が馬上槍を携えて駆け降りてくる。

 陣地は土石流に流されるが如く蹂躙され、瞬く間に血で染まる。その一部始終をトーレス達は見届ける事しか出来なかった。

 憂慮は確信に変わった。

「四十年前。あの戦争の時代だ」 

 廃村と思われていた場所で『今』起きている、時代遅れの戦術と兵器による戦闘と虐殺。

 状況と記憶を整理したトーレスは結論をアーヴに共有する。

「……俺たちは、『時間溜まり』に嵌まった可能性が高い。この場所には、国境戦争の戦いが閉じ込められてたんだ」

 戦争は往々にして土地に深刻な魔法汚染を遺す。それは生態系の変化などの些細なものから始まり、果ては気候の劇的な変化が起こったり、死者が蘇る事すらあるという。

 そして、今ここで起きているのは時間のねじれ。魔法汚染の中では最も稀なものであり、その危険性も計り知れない。

「撤退するべきだな」

 普段は前のめりになりがちなアーヴがそう提案した。トーレスはそれに同調する。

「うん、その方がいい。死ななければたぶん元の時間に帰れる」

 他国の文献で時間溜まりから生還した者の証言は読んだ事がある。過去へ引き込まれるのは一時的なものらしく、下手に過去へ干渉しなければ帰れる希望はある。

 しかし、アーヴが後方の気配に気付いた。

「待て、後ろにも居るぞ。シラクス兵じゃない」

 馬が走る音と嘶き。退路を断ち、村を包囲する形で騎兵隊が展開されていたようだ。

「飛び出すよりは、ここに隠れてやり過ごす方がまだマシか。後は丸腰で無関係の人間に、迂闊に攻撃して来ないことを祈ろう」

「うん、この時代の人たちも時間溜まりぐらいは知ってる。落ち着いたら事情を話そう」

 初めて見る国外の異形人。恐ろしくはあるが、話が通じるのであれば希望はある。

 間も無く前方から、若い兵士が走って逃げてきた。顔面は蒼白で、既に泣き出している。

 トーレス達のものとは違う旧式制服、だが肩には見慣れた麦のワッペンがある。異国の他人ではない、過去に生きていた同胞だ。

 彼とトーレスの目が合う。同じような年齢と思われた。その直後、一陣の強い風が家の外を吹き抜けた。

 酷い風切り音と共に砂礫が木枠を叩き、室内にいるトーレスも思わず身を縮め、目を瞑った。

 轟音が収まったのちにそっと顔を出し、外を確認してみる。先程の若者が立っているのは変わらない。

 最初に変化が起きたのはその肩に掛かったライフルだった。

 スリングが裂け、銃口から鈍い音を立てて地面に落下する。

 次いで彼の胸から上が、巨大な肉切包丁で裁断されたかのようにずり落ちた。

 断面から中身がぶち撒けられる。転がる顔面は何が起こったのか理解する間も無く、動かなくなった。

「なんだあれ……あれが、『魔法』かよ」

 先程の突風があれを引き起こしたのだろうか。トーレスは膝をついた姿勢から、すぐに逃げ出せるように立ち上がる。途端に目の前にある石の内壁が砕け、テーブルの上の花瓶が両断されるのが見えた。

「アーヴ、まずい。まずいって!」

 横に立ち、同じように外を伺っていたアーヴに呼びかける。相棒は言葉を発してくれない。手を掴んで揺するも反応がない。

 バランスを崩した天井の梁が重さに耐えかねて破断を始める。避難しなくてはならない。

「おい、逃げるぞ!」

 彼の手を掴んで強引に動こうとする。

 しかしその二の腕の先に付いていたはずの身体は無く、彼は外の若者と同じように二分され、崩れ落ちていった。

 砕けた石壁がトーレスの頭を打ちのめす。鈍い痛みが彼の意識を現実へと引き戻し、行動を取る。

「ふざけるなよ!」

 行き場の分からない怒りが叫びとなった。

 出口を目指して走り、扉を開け放って飛び出す。

 石畳の上を転がり這いつくばる。息を整えて顔を上げると、先程まで居た家がべしゃりと潰れてゆく様子が見えた。

 切断の発生源へ目線を移す。

 倒れた兵士の向こう、血溜まりになったシラクス兵の陣地で一人の騎士が馬上から降り立っていた。銀のフルプレートに身を包み、狼のような耳飾りがこれ見よがしに設えられている。

 狼騎士が長槍を右手で掲げ、刃が煌めいた。それを見たトーレスは有無を言わずに立ち上がり、駆ける。

 向かいの家屋の影に隠れて伏せる背後では再びの突風ののちに、路面が大きく裂ける。

「あれが、『魔法』か」

 息も絶え絶えにトーレスは呟く。

 来た道へ顔を出すと、アーヴが察知していた通り騎兵隊が展開し終えて銃をこちらに構えている。

 産まれて初めて出会った魔法、異形人、戦場。自分を取り巻くあらゆるものが自分を殺そうとしている。そんな状況下で彼の頭はまだ、生き延びるための最善手を模索し続けていた。

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