5

 メイディオス東部、隣邦との境に程近い工業区では昨今の技術革新の核たる機械たちが日々生み出され続けている。

 そのとある一ブロックには古びた煉瓦造りの工場があり、大きな搬入口の反対側、従業員用通用口に設けられた外観に掲げられた看板には『ベイロン・ワーカーズ』と銘打たれている。

 インタビューを終えて仕事場兼自宅である工場に戻ってきたトーレスは中に入り、改めて中を見渡す。

 昼盛りが過ぎて食事休憩が終わっている多数の職人たちがそれぞれ自分の道具と材料に向き合っている。甲高い騒音が耳を突き抜け、鉄粉混じりの油の臭いが鼻腔に馴染む。便りない導線に結ばれた無数の電灯が室内を照らし、せせこましく置かれた機械類が揺れ動く。

 ようやく知っている世界に帰ってきた。その安堵がトーレスの胸中を支配して、膝から崩れ落ちそうになるのを堪えて先へ進む。

 すれ違う職人達と挨拶を交わしながら、建物の奥へと向かう。彼らは主に機械を作るための機械、例えば旋盤やボール盤などの製造を請けており、片手間にトーレス達の部門にも顔を出してくれている。

 その奥にある別の建屋には食堂と洗い場を備えた寄宿舎に加え、工場長自慢である飛行機の研究開発部がある。

 格納庫には二台の飛行機が並ぶ。赤と青という対照的なカラーリングのそれらは、それぞれの操縦士が持つ性格を表すようだ。

 うち片方である青いトーレスの機体の下でしゃがみ込み、バインダーを抱えて何かを書き込む少女の人影が見えた。

「メイアン、ただいま」

 トーレスが呼びかけると、しなだれている彼女の白い翼がぴくりと持ち上がった。次いで後頭部で括り上げた髪が揺れ、こちらへと振り返る。

 アデレードの孫娘、メイアンだ。

 トーレスはメイアンに駆け寄り、互いに拳を突き合わせる。

 彼女はトーレスの立ち姿を見て小さく鼻で笑い、労いをかける。

「お疲れ。セントラルタワーのスイートルーム、居心地はどうだった?」

「心細過ぎて死ぬかと思った」

 疲れ果てているのは自分でも分かる。そんなトーレスにメイアンは容赦なく耳の痛い小言を浴びせかけ、腰に手を当て胸を張る。

「そんなんだからおばあちゃんに怒られるんだよ。もっと堂々としてればいいのに」

 有翼人特有の健康的に肉付いた体と鼻筋の通った顔立ちはやはり、あの老婆を思い起こさせる。

 今はただその翼に包まれて眠ってしまいたい。そんな欲望がつい口からこぼれてしまう。

「抱きしめて欲しい、強めに」

「ひっぱたくよ。その服、汚れる前に洗わないといけないから着替えて来て」

「はい」

 軽くあしらわれた。その手が払った先にはトーレスの自室がある。彼女の言う通り、ひとまずはこの堅苦しい服を脱ぎ捨ててしまおう。



 自室に入り、締め切った窓を開け放つ。日光が室内を照らし、籠った埃臭さが秋風や都市の排気と混じって抜けてゆく。

 振り返った狭い空間には、ジャンクパーツ、試作模型、工具、イーゼルに乗せられた図面、かき集めた資料が所狭しと置かれている。

 この場所で唯一整えられているベッドの上に腰掛ける。メイアンの手を煩わせないために、ここだけは汚していない。

 ネクタイをほどき、妙にゴワつくシャツとビジネススーツを脱ぎ、丁寧に畳んで一旦横に置く。こんな動きにくい礼装めいた格好で丸一日働ける連中の気が知れない。

 嘆息していると、扉の向こうからメイアンの声がした。

「あなたが取材を受けてる間、ひっきりなしに連絡が入ってた。会って話をしたいって」

 彼女はトーレスより一歳下で学校の普通科に通いながら工場の女衆と共に切り盛りを手伝っている。学校が休みの今日は電話番もしていたのだろう。

 聞きながら、いつもの黄土色のつなぎに革ジャケットを羽織る。このスタイルこそ、トーレスにとっての正装だ。

「何処から?」

 尋ねて、脱いだスーツを小脇に抱えて扉へ向かい、そっと開ける。すぐそばにメイアンと目が合ったのでウィンクをしてみた。

 彼女は一切気に留めず、指折り数えて何かを思い出している。

「確か、記者が六人。投資家が八人。それから、策定衆の議員が一人」

「どう答えた?」

 スーツを手渡しながらトーレスが聞くと、メイアンは僅かに鼻で笑った。

「全部蹴った。今更来ないでよ、って」

 勢いよく受話器を置く手振りを見せる。それなりに腹に据えかねるものがあったのだろう。

「ずっとおじいちゃんやおばあちゃんの夢を笑ってた奴らが手の平返してさ。馬鹿にしないで欲しいよね」

「そうだね」

 伊達にアデレードと同じ血を引いていない。美しい翼だけでなく、苛烈な性分まで受け継いでいる。

 ふと、トーレスはある用事を思い出した。

「そういえば、アデルは何処に?」

「図書館に行ったよ。調べ物かお参りか、両方かな。もうすぐレオが迎えに行くって」

 レオは現在、他の部門の従業員である。しかし実質は飛行部の舎弟と化しているためにアデレードの送迎係にされる事がしばしばある。

 ただトーレスは一つ、先ほどの取材に対して思い立った事があった。そのためにアデレードの所に出向く必要がある。

「代わりに俺が行ってくるよ。ちょっとだけ話したい事が出来たから」

 些細な懸念でも共有は早い方がいい。誰にも邪魔されない場所ならなお良しだ。

「それに、たまにはレオにも楽させてやろう」

 喧しい老人に雑用を押し付けられながらも通常業務もこなすレオの健気さには、時折涙がこぼれそうになる。

「分かった。後であの子にも伝えておくけど、図書館の中では喋っちゃ駄目だからね」

「うん」

 ありがたい注意は聞き流す。社用車は本棟から出た中庭にあるため、先程通った道をまた引き返す事になる。その前に、彼女に一つ聞いておく事がある。

「なあ。今度さ、車を借りて湖に遊びに行こう。お弁当持って、ふた──」

「おばあちゃんかレオが一緒に来てくれるなら考えても良いよ」

 被せ気味に答えが返って来た。しかし遊ぶなら二人でないと意味がない。今日も誘いそびれた事にトーレスは肩を落とす。メイアンはそれを見て満足げに微笑み返した。

 この顔が見られたのならそれでいい。これが今の二人にとって一番心地良い距離感なのだろう。

「じゃ、また後で」

「待ってる。気をつけてね」

 待ってくれている人がいる。それだけで十分に、この世界は楽しいものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る