3

 大崩壊を経験して一度は後退した人々の社会は再び、大陸全土の地平を見渡し尽くした。とはいえ、人が殆ど住まない荒野というものもまだいくらでも残っている。

 秋に差し掛かった頭上の空は遠く、叢雲が織る鈍色に果ては無い。

 そしてその本来ならば人間の手は届かず、鳥たちのみが制する世界フロンティアを、鉄と木材で作られた蒼い工業製品が音を立てて飛んでいた。

 紡錘型の本体部の前面ではプロペラが回って推力を産み、その後ろでは上下二枚の固定翼が揚力を使って機体全体を空に浮かべる。また離着陸に水面を使うために下翼から二つのフロートが靴のように装備されている。

 自動車の製造で培った内燃機関の技術を空力に特化させ、燃費とメンテナンスコストを度外視する事で初めて己の意思に依って空を泳ぎ回るその機体は、見る者によっては貴婦人のような品格を漂わせる。

 新しい時代の訪れを告げるその乗り物は、人々からは畏敬と羨望を込めて『飛行機』と呼ばれているものだ。

 その機体中央の座席では一人の人間が操縦桿を握り、炎を機関部へと焚べている。

 直射日光から目を守るゴーグルと、高空の低音から身を守るヘッドギア、マフラー、ジャケット。そして、自身が生み出す高温の炎から左手を守るための手袋。

 炎術師、この世界の人々を機械の時代マシン・エイジへと導いた者たちの残り火たる青年は、遥か遠くの山脈を見つめて一直線に進む。

 山岳都市メイディオスから宮都ボゼリアまでの長距離往復飛行はおよそ四日。行程はようやく佳境に入り、機関部が回ることで起こる振動が彼の身体から強引に眠気を拭う。

 大陸横断鉄道に沿って後援者らが設けた中継点で休息を挟んで休み休みの飛行ではあったが、精神的、体力的限界は近いのを感じる。

 地平は陸に居る時よりもずっと丸い。二枚の主翼とそれを支える支柱のせいで下方向への見通しの悪い操縦席から身を乗り出すと、眼下には線路があり、遠く前方に黒煙も見えた。

 間も無く前を走る列車に追いつき、追い越す。人類最速の移動手段が塗り替えられつつあることをその乗員、乗客らに知らしめる。

 徒歩、列車、それから自動車。これまで人間が作り上げた旅よりも速い、無用な迂回は一切しない最短経路。空は今、彼一人の支配圏となった。

 それから更に二時間。山脈に抱かれるような盆地に、ようやく旅の終わりが見えて来る。

 学問の都、メイディオスの外縁部だ。道標だった線路はいつの間にか街並みに埋もれている。代わりに見えてきたドレープ川のほとりではトタン屋根が地面を埋め、無数の煙突が黒煙を立ち上らせている。

 工業地帯上空の空気は肺に悪い。咳き込みながら迂回して中央区へ。鉄筋コンクリートを用いた高層ビルが立ち並ぶ。金融、保険、出版、法務などの生産に直接関与しない会社の入った荘厳な建造物は、それぞれが互いの富を誇示するがために集まって天を目指そうとしている。

 それらを通り過ぎて目指すのは、市街地からかなり離れた山峡に設けられた治水・発電用のダム。それが蓄えた広い湖は彼にとって最も都合の良い空の港となる。

 ダム湖のほとりの一角には仮桟橋が浮き、その根本では彼の生還を喜ぶ見物人らが立ち並んでいる。

 達成感に浸るにはまだ早い。この乗り物が最も暴れるのは着水の瞬間だからだ。

 火を緩めてプロペラは慣性で回す。角度を整えフロートをゆっくりと沈めると、観衆の声が一際大きくなった。

 水面を切り、飛沫を上げながら緩やかに機体を減速させる。

 慣れた作業ではあるが、大勢を前にしてやるには嫌が応にも全身の筋肉が強張る。それでも、託されたからにはやり切らねばならない。

 操縦桿を握り、補助翼を動かして揺れた水面に弾かれる反動に耐える。

 衝撃から首と腰を守るため、座席で身を縮こめる。ここから徐々に機体を制御するための余裕が失われる。

 不安定な重力加速に冷や汗をかき、まずいなと内心考え始める。すると、湖畔の観衆達を押し退け、水音や駆動音にも負けない苛烈な叱咤が湖に響いた。

「トーレス! 機首上げな! プロペラがぶっ飛ぶよ!」

 よく見知った老婆の声だ。操縦手、トーレスは飛沫と振動でもみくちゃになりながらも素直に助言に従い、機首を持ち上げる。

 失速と共に機体は徐々に安定を取り戻し、数十秒後にはゆったりと湖面を泳ぐ。その様子を固唾を飲んで見守っていた人々の歓声は更に大きくなる。

 湖畔の停留所に機体を近づけながら、彼らの声に応じてトーレスは運転席から手を振った。



「お疲れ様です。トーレスさん」

 桟橋で待機していたスタッフの少年が駆け寄ってくる。機体を一時係留するため、彼と協力する必要がある。

「ただいま、レオ。後は任せていいかい?」

「勿論!」

 レオがトーレスから投げ渡されたロープを手際良く杭に結びつけてくれる。

 降車し、ようやく一息ついたところで挨拶代わりに彼と手の甲をぶつけ合う。

 湖畔の土地には水上機を湖面に下ろすためのコロのついたスロープがあり、その上にはトラックのウインチに繋がれたソリが敷かれている。

 停止させたからといって湖に放り出して街に戻る訳にはいかない。飛行の度、回収して街へ輸送する手間がかかる。レオだけでない。会社全体がトーレスのサポートとしてあれこれ手を焼いてくれることでようやく、この機体は空を泳ぐことが出来る。

「アデレードさんも迎えに来てくれてます。それから、街の人たちも」

 湖岸を振り返ったレオの顔から困惑が見て取れる。トーレスもそちらに視線を移すと、カメラやメモ帳を抱えた報道陣が壁を作っており、その波をせき止めるようにして翼の生えた老婆が立っていた。

「アデル、迎えに来てくれていたのか」

 トーレスが声を上げて手を振ると老婆は腕を組みながら応じた。

「そりゃあね。堕ちてるのが分かり次第すぐにでも、機体の回収を手配しなきゃならんから」

 師であり直属の上司でもあるアデレードはメイディオスの航空技術における立役者の一人だ。いつものように手厳しい口調ではあるものの、声色は比較的大人しい。

 アデレードはこちらへ歩みながら、翼を広げて記者達の視線を遮る。あまり表立って広告はしていない試験飛行であったが、どこからか情報が漏れたのだろう。

 特ダネを目の前にしてお預けを食らった記者達は一斉にブーイングを浴びせて来る。そんな彼らに向かって振り返り、アデレードは啖呵を切った。

「悪いけど前にも言った通り、今回の件は『マルティロ』の独占取材だよ。お呼びでない奴らは帰んな!」

 鬱陶しそうに手を払う。だがその程度で退くような者は記者とは言えない。マイクを手に一人が突撃すれば次は我がと、こぞって詰め寄ってくる。

 その様子を眺めながらトーレスはレオと顔を見合わせる。お互いに同じことを察したのを確認し、横目でアデルの様子を見る。怒るぞ、と。

 二人の想像通り、老婆の左腕は振り上げられて空を切る。

 直後、尋常ではない熱気を感じて頭上を見上げると、拳大より少し大きい火球がいくつも浮かんでいた。

 数える間もないが、少なくともこの場に居る取材屋達の人数分はある。

 老婆は穏やかに、しかしあからさまに虫の居所が悪そうにして観衆へと語りかける。

「もう一度だけ言うよ。その高そうな機械を一つ残らずぶっ壊されたくなかったら、さっさと帰りな」

 瞬きする間にあの数の火球を作り出し、消滅も暴発もさせずに制御する。同じく炎を操るトーレスだから分かる神技であり、自分にこの芸当はあと数十年出来そうにない。

 圧倒的な精度で魔法を操り、激情家としても有名なアデレードを怒らせるとどうなるか、この街の情報で飯を食う者なら一人残らず知っている。ここに来てようやく肝を冷やした彼らは蜘蛛の子を散らすように、だが機材はしっかりと抱えて逃げ去ってゆく。後には三脚一つ残らない。

 そんな様子を微笑ましそうに見届けて、老婆は左手を下ろす。呼応して、火球たちはまるで風船がしぼむように大気に溶けて消失した。

「さあ、帰るよ。レオも手伝っとくれ。この馬鹿の大事な女神様をさっさと車に積み込むんだ」

 顎でトーレスの機体を指し、口角だけを上げてけらけらと笑う。若者二人は黙ってそれに従う他なかった。



 停めていたトラックにレオが乗り込み、ワイヤーをウィンチで引っ張り上げる。

 飛行機は水を滴らせながら水揚げされ、ソリに乗ったままテールゲートの溝をガイドとしてゆっくりと荷台に積み込まれてゆく。

 その作業が完了するまで手持ち無沙汰になったトーレスは湖面を眺める。

 先の馬鹿騒ぎの後も残っていた野次馬達の大半は街へと帰っているが、積み込まれる飛行機を見物したり、湖畔を散策する者もいる。

 一つの風景を楽しむ穏やかな時間だ。流れてゆく景色を見ながらもあれこれと注意を払わねばならない運転中の暇とはまた違った趣がある。

 今更押し寄せて来た疲労に身を任せ、トーレスは厚い手袋を枕にして草原に寝そべる。冷えた草葉が心地良く、このまま眠ってしまいたい。

 すぐそばではアデレードが引き揚げられる機体から固定が外れないよう注意を払っている。張ったワイヤーがトラックの荷台に吸い込まれ、徐々に機体が持ち上がってゆく。

「なあ、アデル。峠道はさっきの新聞屋達でいっぱいだろうし、もう少しここでのんびりしていないか?」

 山道からはディーゼル機関のエンジン音がいくつも聞こえる。炎を操れない者でも自動車に乗れる、恵まれた現代文明の音だ。

 アデルはこちらを見る事なくつれない答えを返す。

「そんな時間は無い、帰ったら忘れる前に報告書を書いてもらうからね。あいつらが邪魔なら、崖下に突き落として帰りゃいい。アタシらの炎は道を拓くためのものなんだから」

 いつも通りに無茶苦茶な事を言う。昔は相当にやんちゃをしていたらしい彼女からは、本当にやるという気概を感じる。

「とはいえ暇なのは事実だし、忘れないうちに言っておこうか。今回は着陸体勢に入るスピードがちょいと早過ぎたから、それが分かった時点で高度を上げてやり直しをしなきゃあならなんだ。早く帰りたいのは分かるが横着しちゃいけない」

 いつものように、反省会がアデレードの主導で勝手に始まりそうだ。だが今回は叱るような口調ではない。鉄砲水のような言葉の波だったが、その勢いが徐々に落ち着き、口籠った。

「でも、まあ…… ああ、そうだね。良くやったよ、お前は」

 彼女が珍しく褒めてくれた。その事実に、トーレスは思わず目を丸くしてしまった。

 当人も他人を褒めるのは慣れないようで、妙な間を空けたのちに咳払いを一つする。

 褒めてもらったのに、どこか居心地が悪い。トーレスは会話を繋ぐ材料を頭の中で探し回る。

「……ありがとう。帰ったらメイアンも褒めてくれるかな」

 ふとよぎったのは、街に住む自身の想い人のことだった。

 可愛がっている孫娘、メイアンを渡したくないアデレードは彼女と親しくしている時のトーレスを酷く苦い顔で見てくることがある。だがもし、今回の仕事が達成出来た事を評価をしてくれるのなら。

「お前にあの子はやらんよ」

 ぴしゃりと言い放たれた。多少は認めてもらえたという幻想が早くも崩れ去る。

「そんな」

「未だに着陸一つであんなフラフラしよってからに。いつ落ちて死ぬかも分からんうちにあの子にツバ付けるような真似、許さんからね。分かったかい?」

「はい」

「それから、アタシが居なかったらどうやってあの記者どもを追い払ったって言うんだい? 拳の一つも入れずに後ろでボーッと突っ立っといてからに。何も言われなくてもそれくらいは自分で切り抜けな!」

「はい」

「そもそもね……」

 調子に乗った報いと言わんばかりに手のひらを返され、烈火の如き小言で叩きのめされる。やはりいつもの説教が始まる気配がする。トーレスは身を縮め、嵐が去るのを待つ姿勢を取ろうとする。

「っと、お客さんかい?」

 突然、アデレードが誰かの気配に気づいた。トーレスも周囲の温度変化に感覚を巡らせ、アデレードの後方にそれらしきものを感じた。

 そして、呼びかけに応えた見知らぬ声が湖畔に響いた。

「お見事でした。ミスター・トーレス。ミセス・アデレード」

 一人の少女が立っていた。

 背丈や顔立ちは確かに自分と同年代の十代後半の少女である。しかし煌びやかなドレスの上から黒のコートを羽織り、賞賛として手を叩く所作はあまりにも垢抜けし過ぎている。

 そんな奇妙な存在が、人もまばらな湖畔に『いつの間にか』立っていた。

 風にたなびく髪は長く黒く、端正な笑顔を浮かべる瞳は琥珀色。出自は窺い難い。

「貴女は……」

 トーレスは問いかけようとする。言い切る前に、彼女は自ら名乗り始めた。

「私、新聞誌『マルティロ』の記者、アンブロシア・アードベックと申します。よろしくお願いします」

 こちらの目をじっと見つめて歩み寄り、右手を差し出してくる。

 トーレスは一瞬躊躇ったのち、手袋を外してその手を握り返す。

「トーレス・フォルツです。こちらこそよろしく」

 忘れかけていたファミリーネームも付けて名乗る。白く華奢な彼女の手は滑らかで冷たく、高熱と鉄と油に苛め抜かれたトーレスの手が同種の生き物のものとは思えないほどに優美だ。

 肩書きの割に若過ぎる気もするが、有無を言わさぬ気品がその疑問を蒸散させる。自然と身構えていたトーレスに目を向け、アンブロシアはくすりと微笑んだ。

「どうかお気遣いなさらず、今日はご挨拶だけ。後日の取材の前に、この現場に居合わせない道理は無いと思って訪れたのです」

 そうは言うものの、懐から当たり前のようにペンとメモ帳を取り出す。

 そしてペンを持ったまま口元に手を当てて、困ったように表情を変えて首を傾ける。

「でもどこから情報が漏れたのか、他社の人たちで溢れかえっていて近寄れなかったんです」

 確かにあの人垣には少し面食らった。アデレードの言う通り、彼女が一喝してくれなかったら追い払えなかったかも知れない。

 そのアデレードの方はというと、アンブロシアの目的がトーレスである事を察して身を引き、レオのトラックへと向かっている。

 トーレスは、アンブロシアとの対話に意識を向ける事にした。

「告知はまともにしていなかったにしろ、大掛かりな試験飛行だったので。耳聡い連中は遅かれ早かれ嗅ぎつけていたんじゃないかと思います」

 ここ数十年で急速に発達した大衆文化、その中核を担うのは彼ら新聞屋と映画屋だ。どちらも職業倫理などあったものではない。

「それでも着水の瞬間は見る事が出来たし、あの曲芸のような炎の球もしっかりと目に焼き付けましたよ!」

 アンブロシアは視線は外さず、眼福にあずかった幸運を弾む声で表現してくる。感情の起伏に富む振る舞いをする。それが彼女本来の人格かは分からないが。

「さて『若鳥』のトーレスさん。今回の試験飛行、手ごたえはどうでしたか?」

 一旦話を区切った。トーレスは今回の飛行の目的を思い出しながら話す。

「定期航路の開拓のための初めての長距離飛行という事で、ここからボゼリア市内の河まで大体四千キロメートル弱。特にトラブルも無く終わる事が出来たかな」

 メイディオスとボゼリアという大都市間を四日足らずで往復してきたというのは、今の人類においては前人未到の偉業と言えるだろう。

「では、我々『下々の民』が空を飛べる日も近い?」

 妙にへり下った言い方をする。どこか厭世的な空気を漂わせる文章を書く人間であることは分かっていたが、そちらは本性と捉えて間違いないかも知れない。

「僕らの社長が空に見出した価値は、薬品や生鮮類など単価は高いが時間を掛けられない商品、あるいは墜落のリスクに目を瞑れば盗難や紛失が絶対に起きない宝石類、そういったものの輸送にあります。旅客の運送は……、まだ難しいでしょうね」

 無論、それだけではない。南方からもたらされた冶金術と独自の自社技術をふんだんに使った機体の心臓部を公開してしまうには、会社が抱えるリスクが大き過ぎる。

「なるほど、ではその辺りの話はまた追ってお願いしましょう。初めてのボゼリアはどうでしたか? 観光はされましたか?」

 次に提示された話題は取材というより雑談に近い。仕事相手であるアンブロシアを無下には出来ないアデレードも今は口を出さない。会話が続くことでここでの休憩時間が長引くのなら、トーレスとしても大歓迎だ。

「向こうでは今みたいに機体を陸に引き上げて回収出来ないし、かといって放って街へ繰り出す訳にもいかない。なので近くの支社で一晩寝て明け方すぐに発ったから、どこか見て回ったって感じでは無いかな」

 あの機体は全身がブラックボックスとも言える。それについて知りたいと思っている技術屋は星の数ほどいるだろう。

 今回の飛行でも停泊地には極力僻地や深夜を選ぶなど、人目を避ける苦労があった。

「支社までの道だったり、あるいは空から見た限りだと、なんというか豪華で、入り組んでいて、とにかく雑多な街でした。メイディオスって随分と整った街だったんですね」

 一度焼け落ち、合理性をもって再建された都市を見慣れていたからこそ感じた知らない街の野暮ったさを思い出す。アンブロシアはその感想に頷き、会話を続ける。

「歴史ある街では、住民達の暮らしの積み重ねが硬質化してかえって不便になってゆくという話があります。これは貴方の故郷でもそうだったのではないでしょうか?」

 笑顔は変わらない。しかし素知らぬ顔の言葉の中に、トーレスには無視出来ないものがあった。

「……どうだっただろう」

 動揺を抑え、曖昧に返す。

 彼にとって、過去は掘り返されたくないもの。そして必要以上には晒していないもの。この女はそれを調べ、理解して来た上で喋っている。

 今はこれ以上の情報は与えてはいけないという危機感だけははっきりと覚えた。話を切り上げよう。そしてせめてこのアンブロシアという記者とは、今のような寝ぼけ眼ではない状態で相対するべきだ。

「冷えてきた。一旦お話はここまでにして撤収しましょう。次に会う時の話題が無くなるから」

 トーレスは取って付けたように話を区切り、別れを促した。

 アンブロシアはそれまでのやり取りで何か得心したように微笑み、頷く。

「そうですね。何事も急いてはいけない。今日はこれにてお暇させていただきますね」

 立ち上がり、メモとペンをコートにしまい込む。そしてまるで役者のようにその場でくるりと一回転し、一礼する。

「じゃあ、また後日! お話色々聞かせてくださいね!」

 やはり快活な少女の声だ。だがその奥にあるものには触れられる気がしない。

 スキップ気味で去ってゆく彼女を見つめていると、後ろからアデレードが声を掛けてくる。

「メイアンほどじゃないが、良く出来た娘じゃないか。いいかい? 嫁にするんならああいう女だよ」

「やだ。なんか胡散臭い」

 率直な感想がこぼれた。器量は良く優秀である事はトーレスにも分かる。が、生涯を共に過ごすには信頼が置けそうにない。

「肚に一物も二物も抱えられるのは、強い女の証拠さ」

「そうかなあ」

 取り止めのない会話が続く中、陽は山の向こうへ沈みかけている。

「積み込み、終わりました。帰りましょう!」

 レオが運転席から呼んでいる。トーレスとアデレードは、帰るべき場所へと歩み出した。

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