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 かつての旧帝国が支配し尽くした大陸、その西側北部。現在は連合国のうち一つ、サンジア領内である地域は火山岩の侵食からなる複雑な海岸線が引かれ、それに沿って一つの細い道が延々と伸びている。

 陸側は山岳と原生林が覆い、集落と呼べるものも殆ど無く、予め存在を知るものでないと見つける事は難しい。そんな不毛な末梢神経は自動車が辛うじて通れる程度に整えられ、ある入り江へと続く。

 文明を受け入れまいとする木々を踏みにじりながら、一台の古いトラックが走る。実績豊富な蒸気機関でも、近年主流のディーゼル機関でもない。『魔法』による連続した燃焼を用いたタービン機関が鳴らす独特な高い駆動音が響く。

 その剥き出しの運転席ではコートを羽織った痩身の男性が気怠げに右手でハンドルを握る。

 三十代半ば、無精髭と束ねた長髪は、彼が恒常的に長距離を走る人間である事が察せられる。

 コックピットにはハンドル、シフトレバー、そして『火』を入れるためのフードが突き出ており、右手はハンドルを握り、左手はフード内部に収まっている。

 亜寒帯に属するこの地の空気は八月末、夏の盛りを過ぎた今で既に肌寒い。周囲の広葉樹の下に広がる土壌にある生物相は豊かなものとは言い難いだろう。

 そんな森を陽が落ちる前には抜けて何も無い海岸へ到達する、はずであった。

 突然、前方の空間が水面のように揺れ始めた。そして車体がそこへ突っ込んだかと思うと、眼前の風景が一変したのちその本来の姿が現れる。

 人工物──有刺鉄線や土嚢を用いた簡素な陣地が設けられている。道の続く先は金網で隔てられており、人の背丈ほどの鉄扉と門衛の有鰭人が見えた。

 門衛が手を振っている。着古した平服から覗く青鱗が特徴的なその男の肩から掛かるのは、物々しい大型セミオート・ライフル。

 それを確認した運転手はフードから厚い手袋の着いた左腕を引き抜き、ブレーキペダルをゆっくりと踏む。動力を失った車は徐々に慣性を殺して門の前で停止する。

「セオドア・ベルナールだ。物資の搬入に来た」

 運転手、セオドアが門衛に名乗る。搭乗している旧式のトラックそのものが彼の素性を示している上に、お互い顔見知りではあるため、タグ等の身分証を見せるまでも無い。

 案の定、門衛は軽い敬礼だけをして大した確認もしない。

「炎術士ベルナール。お疲れさん、お頭は今丁度桟橋にいると思うよ」

 労い、鉄扉を引き開けてくれる。その先にある隆起した段丘面に造成された集落が見えた。ここは、彼ら有鰭人の隠れ里、あるいはとある兵器の船渠となっている。

 門が開ききり、停止した車を再び動かすためにセオドアは動力としての『魔法』を使う。

「おいで、炎よ」

 儀式めいた呟きに、左腕の指先で空気が反応して発火する。炎が手袋を巻くように起こり、フードへ差し込んで火力を上げる。

 空いた右手でスターティングハンドルを数回倒し、初動を与えてやると、炎はエンジン内部の風車タービンを回転させ、外気を巻き込んで圧縮されて次の風車を回す。これを何層も繰り返す事で回転エネルギーを産む。

 入江のごく一部に位置する集落内の崖から海面までの高さはおおむね三メートルほど。集落の奥地には浮き桟橋と、そこへ降りるための階段がコンクリートで造成されている。

 徐行しながら、周囲を見渡す。古びた家屋のほか、物置のようなバラックが混在する。動力機関を載せない原始的な漁船が全て海から集落内に引き揚げられているのは、さながら嵐に備えるかのようだ。

 何度ここを訪れたかは分からないが、すれ違う住民が門衛と同様に気軽くセオドアに挨拶をしてくる。その程度には好意的に受け入れられているらしい。こちらの警戒を悟らせず、上辺だけの笑顔を返すのにも慣れたものだ。

 セオドアは集落のほぼ中央で車を止めて座席に置いていたリボルビングライフルを掴み、寄ってきた人々に声を掛ける。

「荷物を届けにきた。悪いが降ろすのを手伝ってくれないか」



 しばらくして、配送が来たという事が狭い集落の隅々まで知れ渡り、車の周りには老若男女多様な有鰭人が群がる。数は二十余人ほどで、一族の殆どがここへ集まったようだ。

 セオドアが本国ポーレで、あるいはこの居住地までの道すがらで仕入れて運んできたのは『餌』を詰めた樽の他に灯油を充填したドラム缶、新品の毛布、大小問わずに纏まった衣類、農地に撒く肥料袋といった生活必需品。そしてその隙間を埋めるように医薬品と、酒や雑誌、おもちゃといった嗜好品がある。

 一人、二人と集落のそこかしこから人が集い、それぞれが欲しがっていたものを手に取り喜ぶ。

 背にライフルを掛けたセオドアは側からその様子を眺める。そして手袋を外してから煙草を咥え、炎を呼んで着火する。

「なあ、セオのおっちゃん。この車には『映画』っていうのは載せないの?」

 荷台の上から声がした。小さな男児がこちらを見下ろしていた。外界からの客に対し、好奇心が抑えられないらしい。

「悪いな。それを積むにはもっと大きい車が要る」

 移動映画館、最近流行りの娯楽のことを想像して話しているのだろう。雑誌による情報の波及というものは恐ろしく早い。

「外にはこれよりでっかい車があるのか」

 目を輝かせて運転席を覗き込む子供はセオドアが仕入れてきたブリキ細工の汽車を握りしめており、その掌には発達した水掻きが付いている。

 住民達と触れ合い、貰う感謝になんとなく受け答えをしながら荷台に残ったものを確認する。後は『餌』を詰め、通気口だけを残して封をした樽が四本だけ。

「いつも通り、樽の方も任せていいのか?」

 セオドアが住民に確認を取ると、素朴な笑顔と共に頷く。

「ああ、そっちも俺たちの方でやっておこう。長旅で疲れているんだろう?」

 その言葉にほっと息をつく。打算を含まぬ善意を向けられるのはどうも慣れない。

「助かるよ。再来月また来る、何か欲しいものはあるか?」

 コミュニティが必要とする物品一つからでも、情報は掴むことが出来る。叶えてやるつもりの無い望みでも、聞いてやるだけで彼らの内情を測る材料にはなるだろう。

「粉ミルクってやつだ。あれをもうすぐ産まれる子にやりたい」

 そう言って男は優しげな視線を一つの家屋へ向ける。

「一昨年の子はすぐに死んじまったが、今度のが少しでも生き延びてくれる可能性が上がるのなら……」

 セオドアは少し考える素振りを見せたのち、一応の答えを示す。

「分かった。帰ったら上に掛け合ってみようか」

「あんたのお陰でここも随分過ごしやすくなってるんだ。ありがとう」

 セオドアの内心など露と知らず、有鰭人の男は感謝を示す。ここから出ればもう少しマシな生活を出来ると思うが、それを口にするのは野暮なのだろうか。

 煙草を吸い、集落の様子を眺めて時間を潰す。子供の数が多い。ここは時代の変化についてゆけずに終わってゆく片田舎の集落にはない、確かな活気がある。

 この混合種アマルガム達がこの僻地に身を寄せ合う理由。それは家族を産み育てて幸福を繋げる営みか、それとも祖先の怨恨を次の世代へ継がせるための業か。どちらが先に立つものなのかは分からない。

 一本吸い尽くす頃、桟橋へ続く階段を誰かが登る音が聞こえる。

 視線を移すと、一人の男が現れていた。シャツの上からでも分かる壮健な体と、ぶつかり合って鳴り響く装身具はこの地における彼の立ち位置を示している。

「盟友よ。聞いていたよりも早かったな」

 男が声を発する。親しみと敬意を含んだ野太い声だ。

「じーちゃん!」

 子供が運転席から飛び降り、その男の元へと駆け寄る。

「こんばんは、ミルド」

 ミルド、有鰭人達の指導者だ。陸へ上がった彼に、子供が飛びつく。

「じーちゃん、貰った!」

 手に入れたおもちゃを見せつける孫に、男は破顔して頭を撫で回す。

「このおもちゃはお前さんが選んでくれたのか?」

「そうだな。喜んでくれているだろうか」

 その問いに子供は大きく頷き、そのまま深く頭を下げる。どこかむず痒い気持ちでセオドアは髪を掻く。

 子供を離してこちらに向き直ったミルドが尋ねる。

「それで、例の『餌』も調達出来たのか?」

「ああ。有るところには有るものだ」

 今回の輸送における最も重要な積荷の話だ。セオドアが振り返るとちょうど、全ての樽が荷台から降ろされて開封作業が行われていた。中身について、セオドアは説明をしてやる。

「今回の餌も、ポーレの軍が駆除作戦で捕獲した樹上人種だ。いつも通り神経毒で仮死状態にしてある」

 死ぬと荷台に臭いが付いて中々取れなくなるが、生きていても排泄物で汚される。その対応策として絶食させた状態で眠らせている。

 住民が樽の一つをバールを使ってこじ開ける。中から引き摺り出されたのは、節足動物のように変態した人間。表皮の殆どが硬いキチン質で覆われ、節くれだった手足は常人より四本多い。

 漁業を主として自給自足の生活をする老若男女様々な年頃の住民達はそれを手際良く鉈で手足を叩き切り、細切れになった部位をまとめて担いで桟橋へと持っていく。

 住民らはそれぞれが文言と願いをかけ、肉を海に撒く。


「海神よ。その懐におわします御使いと共に、我らとこしえに生きることをお許し願い奉る」


 これを何度も繰り返す。全ての樹上人を捌いて撒き終わった頃には陽は殆ど没し、岩壁から見下ろす水は夜の闇よりも黒く染まっていた。

 星灯りと民家の僅かな光だけが辺りを照らす。波音は穏やかで、セオドアは失ったはずの故郷の星空を思い返す。

「そろそろ来るらしい。皆、陸に戻れ!」

 隣のミルドがその場の全てに対して言い放った。

「分かるのか」

「海がそう言っている」

 深くセオドアが問おうとする前に、海はうねり始めた。

 住民達が走り退く桟橋の向こうで、遠くの海面が大きく膨れ上がる。大型帆船など目じゃない、小島が丸々海底から浮かび上がってきたかのような規模だ。

「半年前よりも明らかにデカくなったが、一匹だけか」

「あれからまた兄弟同士で食い合った。もうこれが、最後の生き残りだ」

 海を裂いてその生物が徐々に顔を見せる。

 菱形に近い偏平な体の外縁をはためかせ、細長く、のこぎりのような尾鰭が沖合の水を引き裂く。

 外見は前鰭を持つ回遊型のエイに近い。怪物は入り江の水面を滑るように泳ぎ、大口を開け、海水ごと人肉を呑む。

 セオドアはミルドに尋ねる。

「こんなものが本当に空を飛ぶのか?」

 彼は誇らしそうに笑って答えた。

「ああ、飛ぶぞ。あの時と同じか、それ以上の大きさになった。これなら山脈を飛び越えて、もう一度あの国の心臓部を押し潰しに行ける」

 飛行船のように徹底的な軽量化の上でガスを使って浮揚するのとは訳が違う。この馬鹿げた質量の筋肉と脂肪の塊が高空を飛ぶと、彼は真剣に語るのだ。

 セオドアはその光景にただ畏怖ばかりを覚え、呟く。

「魔法か、恐ろしいな」

 巨体が踊るように身じろぎする度に波乱が起き、浮桟橋を踊らせて岩壁を削る。船が揚げられていたのはこの波から避難するためだろう。

 しばしその風景を眺める。崖を越えて集落にも届き得る波を立てて回遊する怪物は、セオドアの目には狂喜しているようにも見える。理性を持たない樹上人でも人肉には変わらない。意思持つ存在が持つ力を存分に味わっているようだ。

「──今のは?」

 セオドアはふと、轟音の後ろで僅かな違和感を見つけ、振り向いた。

「知らない温度を感じた。納屋の船の裏だ」

 炎術師としての感覚が何かを捉えた。同時に隣のミルドが弾かれたかのように反応し、そちらを向く。

 船や網などの漁具やらが詰め込まれた粗末な屋根の下、住民が居るような建物ではない。二人は目配せをし、手袋をはめ直したセオドアが動く。

 左手が空を切り、目標を指す。空中に生まれた火種は彼のイメージした軌道を再現して進み、小船の裏へと正確に飛び込む。

 着弾した瞬間、爆音と共に炎が巻き起こった。船は無傷で裏返り、逃げようとする人間が一人、屋外へ飛び出した。

 足から首までほぼ全身を覆う黒服。少なくとも住民が着ているような服ではない。

 爆発の反響はやがてテレゴノスが起こす波の音に飲み込まれたが、祈りを捧げていた者たちのどよめきは増してゆく。

「水術幕はちゃんと機能していたな。どこから入った?」

 ミルドがこちらに確認するように話す。集落に入る前に通った水の層、確かに侵入者対策としては十分だったと思われたが。

 肩に掛けたライフルを構えながら、セオドアは先程までの道のりを思い返す。

「あの森を抜けるまで歩いて付いて来た……訳は無いよな」

 荷台自体に紛れ込んでいた形跡は無かったが、生身で付いてられるような速度と距離では無かった。

「お前は何者だ」

 セオドアは侵入者に問うが、返答は無い。代わりにその男は自身の懐に手を伸ばそうとする。

「させんぞ」

 それを見逃さず、ミルドが三本指を向ける。

 海神の象徴である三又槍を模した指先から発せられた稲妻が、その破裂音よりも遥かに速く対象へと走る。

 しかし、届かない。侵入者の足先すんでの場所で稲妻は霧散する。同時に、脳を揺さぶられるような衝撃が来る。その現象にセオドアは見覚えがあった。

「払拭魔術……、シラクスのスパイか!」

 なんらかの攻撃が飛んでくると予測した上で、『置く』ように使わなければ発動しない魔術。理外の理そのものを忌み嫌う敵国シラクスが利用する数少ない魔法の一つだ。

 予想外の展開により一瞬生まれた隙で、懐の何かを掴んだようだ。それが銃であるなら撃たれる前に撃たねばならない。

 睨み合いが始まる。出来る事なら生かして捕らえたいが住民たちのざわめきは、動揺から次第に狂乱へ変わってゆく。

 ある者は鉈を振り上げながら、ある者は杖に縋りながら、またある者はおもちゃを握りしめながら、殺せ、殺せと口々に吠え立てる。

 ミルドもまた剥き出しの敵意を隠さない。

「貴様が、貴様らが。我々の祖先を。我々の故郷を奪ったのだな」

 ひどく奮激している。己のものでない過去が、いまの彼を駆り立てている。

「さて、どう出る」

 セオドアは射撃体勢のまま相手の出方を見る。ハンマーを右親指で下ろし、八連装の弾倉を回転させる。この銃は今や軍用こそされていないが、これくらいの戦いなら重宝する。

 敵は既に周囲を取り囲まれている。住民たちの中には先程のミルドのように魔術を使える者も少なからずいる。セオドアは口を開き、周囲を制止する。

「静かにしてくれ! 話がしたい」

 彼にはもはや勝ち目は無い、そう判断して呼び掛ける。

「お互い、正規の兵じゃないだろうが、それなりの待遇は約束する。投降しろ」

 反応を伺う。沈黙の中でも尚、周囲の殺気が高まっていくのが分かる。

 マスクに隠れた口が動く。何か話すつもりだろうかと考えた瞬間、微かに何かを噛み砕く音がした。

 疑問に思いながらゆっくりと近づくと、侵入者は痙攣をし始め、膝から崩れ落ちる。

「マジか!?」

 セオドアは警戒を解いて駆け寄る。その息は荒く、体を折り曲げて苦痛に耐えている。やがてゆっくりと力が抜けてゆくのが見て取れた。

 接近したセオドアが屈んで様子を見ると、浅い呼吸ののち激しい嘔吐が始まった。青酸性の中毒症状に近い。

 この場では治療の手立ても無く、ただ彼が息絶えるのを見届けるしか無かった。

 騒然とする人々の群れを宥めたのち、ミルドがゆっくりと歩いてやって来た。

「多分、歯の裏に毒でも仕込んでいたな」

 窮地には己の死をもって秘密の保全を図る。シラクスの密偵の常套手段だ。

 セオドアは銃を置き、死体に触れて検分する。

「あった。『小型法典』だ」

 懐中に隠し持っていたのは、払拭魔術を使うための装置。

 結晶とも陶器とも取れない材質の立方体は、澱んだ光沢を放っている。ミルドがそれに触れようとしたため、制する。

「触らない方がいい。力は使い果たしてそうだが、法典はあんたらにとって毒だろう」

 魔法の影響下に暮らす人々は法典に触れられない。それは分かっているミルドは大人しく手を引っ込めた。

 予想に反し、法典以外は武器の類の感触はしない。しかし、衣類の縫い方一つ、水筒の口金の加工一つからでもその身元を割り出す糸口になる。気乗りはしないが、これ以上詳しく調べるには一度この死体を本国まで持ち帰る必要がある。

「こいつをトラックに乗せるために男手をいくつか借りたい。餌を詰めていた樽になら入るだろう」

 セオドアは振り返り、観衆に声を掛ける。

 女子供に見せるべき光景ではない。今更ながらセオドアがそう思った瞬間、幼い声が夜空へ高く響く。

「セオが敵をやっつけた! シラクスの豚を殺したぞ!」

 あの子だ。汽車を握ったまま誇るように、拝するようにセオドアを見て喜んでいる。周囲もそれに同調し、ある者は雄叫びを、ある者は嬌声を上げる。

 セオドアはその異質な光景にしばし目を奪われたが、ふと我に帰る。そうだった。彼らと自分は、その倫理の根本から違う生き物だった。

 目を閉じ、ざわめく心を落ち着かせる。そして、現状について考える。

「銃を取り出す動きはブラフだ。こいつは最初から逃げ切れるとは思ってなかった」

 反撃の意志は無く、そして事前に死が準備されていた。この二つから考えるなら。

「こいつはここを見つけ、伝えるという仕事を既に果たしていた。そしてその上で更に奥まで踏み込んだのかも知れない」

 不確定ではあるが、可能性は高い。腕を組んで検分を待つミルドがそれを聞き、死体へ向けて拳を掲げた。

「あの払拭魔術を使って、自分が死ぬための時間を稼いだか。豚ではあるが、気骨のある豚だな」

 憎むべき敵でも敬意は表するのは彼らの筋であるようだ。

 一通り死体を観察し終えたセオドアは立ち上がってミルドの方を向く。

「国のために迷い無く死ねるような人間が功を焦って失敗しただけ、という風にはどうも思えない。計画はもうシラクスにバレてると考えていい。前倒しにするか、それとも……」

 一族が現代社会へ溶け込む道を選ぶか。だが、その言葉をセオドアの口から吐くのは難しい。その思いを察したかのようにミルドは優しく首を振って答える。

「過去を『無かったこと』には出来ないさ。儂らも、彼奴らも。それは分かるだろう?」

 ミルドの言葉によって、セオドアの奥底に眠る記憶が朧げに色を取り戻す。

 無抵抗のまま奴らに殺された父母と、火を放たれた我が家。

 心が徐々に熱を取り戻す。盟友と向き合い、答える。

「ああ、そうだな」

 怒りという感情にも種類がある。一過性の風邪のようなものから、慢性的な病のようなものまで。彼ら有鰭人と、セオドアが持つものは後者。その点では双方の結束は担保されていた。

 暗い海面を揺蕩い、水平線を歪ませる怪物もまた静かに彼らを見守っている。

「やろうか。故郷を奪われる苦しみを、奴らにも同じように伝えよう」

 セオドアはそう呟き、煙草に火を付ける。少なくとも、この炎が消えるまではそれを願い続けよう。

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