第九章 男装伯爵と元男娼、逆転する
第四十二話「空色の瞳に映るもの」
「――ん、」
浮上する意識に合わせてゆっくりと瞼を上げれば、見慣れた天井がロイドの視界に映った。
「――私の部屋、だ…」
視線を窓へと移せば、まだ高くはない太陽の光が朝であることを告げる。
そこでロイドは、ノアに助け出された日から自分が眠っていたことを知った。
――どのくらい眠っていたのだろうか?
浚われてから眠っていなかったせいで、随分深い眠りについていたのだろう。
自分がどうやって屋敷まで帰ってきたかさえ思い出せないロイドが唯一覚えていることと言えば、ノアの腕の中の温かさだけだった。
「――っ、」
そしてその腕の中で泣いてしまったことも思い出して、途端に恥ずかしくなる。
男として強く生きねばならないと決めていたロイドにとって、誰かに涙を見せてしまったことは自分の弱さを見せてしまったことに等しく。ノアを前にどんな顔をすればいいのか分からなくなって、ロイドが溜息を零したときだった。
――コンコンコン、
控えめなノックのすぐあとに扉が開かれる。
そこから現れたのは、今しがたロイドが考えていた相手、ノアだった。
「……!」
「――ロイド?目が覚めたのか?」
しっかりと交わった視線を逸らすように、ロイドはベッドから起き上がる。
「気分はどうだ?痛むところはないか?」
「……大丈夫、だ」
本当のことを言えば、手錠をかけられていたせいで両手首が少し痛む。
それでもわざわざ言うほどの痛みでもなく、すでに治療してあるあとがあったために、ロイドは何も言わなかった。
「――そうか。ずっと眠ってなかったんだろ?一日中、よく眠ってた」
ノアがベッド脇にしゃがんだ気配がする。
しかしそちらを見ることができないロイドは、ひたすら目の前のシーツだけを見ていて。
「――ロイド、」
それでも優しい声で名を呼ばれ反射的に振り向いた瞬間、ロイドの頭の上に大きな手が乗せられた。
「よく頑張ったな、」
「っ、」
もう泣くまいと決めていたのに、ノアのその一言でロイドの心が揺さぶられる。
「ロイドが帰って来なくて、ずっと心臓が痛かった。でも無事に帰って来てくれて…本当によかった」
やんわりと腕を引かれロイドの身体がゆっくりと傾いてゆく。
そうして気づけばノアの腕の中で、ロイドはその体温に包まれていた。
「………、」
ノアがその髪を撫でれば、腕の中のロイドが気持ち良さそうに目を細める。
そしてふと視線を上げた空色の瞳に自分の顔が映っているのを、ノアは見た。
――綺麗な、雲一つない真っ青な空。
そこにたった一つだけ映る、自分の顔。
「―――」
気づけば二人の距離が近くなり、ロイドの柔らかそうな唇まであとほんの少しの距離で。
――コンコンコン、
小さなノックの音に二人して身体を大きく震わせ、互いに顔を背け合った。
「――おや、ロイド様。お目覚めでございましたか」
そんな不自然な距離を保つ二人の前に現れたのは、クリスだった。
「実は先程パクストン家の遣いが参りまして、本日の午後にパクストン伯爵がこちらへいらっしゃるそうです」
「………」
その名前に、ノアはあからさまに顔をしかめて見せる。
「一体何の用でわざわざ…。まさか、ノアに殴られたことを逆恨みして…」
「…殴った?――ノア。私はそんな報告は受けていないが?」
「違うんだ、クリス!ノアが殴ったのは私のためで…っ」
「まあいいでしょう。今更パクストン伯爵が何を企もうと、どうにかなることはありません」
「……?」
余裕のある笑みを浮かべたクリスの姿に、ノアとロイドは不思議そうに互いの顔を見合わせた。
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