第八章 男装伯爵と元男娼、突破する
第三十八話「追い返される訪問」
「っ、ここか…っ」
休むことなく馬で夜道を駆け抜けたノアは、目の前の大きな門を見上げた。
そして馬から降りれば門の鉄柱にその綱を括り付け、そこを通り抜ける。
玄関扉の前に立てば、乱れた息を整えるために深い呼吸を繰り返し、そこに取り付けられたノッカーを手に取った。
――コンコンコン、
時刻はもう十分に遅い。パクストン家の使用人がまだ起きていることを願いながら、ノアは中からの返事を待った。
「―――、」
もう一度ノックをしようとしたとき中から僅かに聞こえた靴音に、ノアは扉から少し身体を離した。
それと同時に扉がゆっくりと開かれ、中から初老の男が現れる。
「――夜分遅くに大変申し訳ございません。私は、タイラー伯爵家に仕える者です。我が主の用命で参ったのですが、パクストン伯爵とお会いできますでしょうか」
タイラー家の使用人として丁寧な態度で、ノアは嘘の伺いを立てる。
けれどその宵色の瞳は、目の前の男のどんな小さな機微も見逃さないよう、鋭く細められていて。
「…それはご足労でございました。生憎と主は只今休暇中でございまして、この屋敷にはおりません」
「それは困りましたね。私が預かった用命は急を要するもの。パクストン伯爵の行き先を教えていただくことはできますでしょうか」
「恐れながら主の命によりお教えすることはできません。…もし差し支えがないようでしたら、私めが不在の主に代わり承ります」
「―――」
ノアはじっと男を見据えた。
ノアの用件が偽りだと知られているだろうことは、百も承知の上だ。そして、その視線を受けてなお、男は微動だにすることなくきっちりとした態度を崩すことはない。
「お心遣い感謝いたします。ですが内密のことゆえ、私から直接パクストン伯爵にお伝えしなければならないのです」
「左様でございますか。お力になれず申し訳ございません」
「――こちらこそ、このような時間に失礼いたしました。私はこれで」
ノアが一礼すれば、同じように恭しく腰を折った男。
男に背を向け歩き出し、扉が閉まった音が聞こえた瞬間にノアはその顔を悔しさに歪めた。
――あの男は食えない。
少しも動揺を見せることなく、あの男はノアを追い返した。
ロイド失踪の件に、パクストンが関わっていることを知っているのかいないのか。
仮に知っていないのであれば、同じ伯爵家の火急の遣いと聞けばもう少し驚いてもいいのではないか。
あまりにも隙のないその対応が逆に、パクストンに対する疑いを深めるものとなった。
当然、パクストン以外の何者かによる犯行の可能性も考えた。
けれど茶会の主催者の屋敷を遣いが訪ねたとき、その途中にはロイドの痕跡が何もなかったと言う。
ただの夜盗であれば、襲った馬車をわざわざ隠すような真似はしないはず。
他の貴族が何かしらの手を使って襲ったのだとしても、少しもタイラー家に因縁を持っていそうな人物に誰も心当たりがなかったのだ。
――そう、パクストン以外は。
「…ロイド…っ」
逸る気持ちが隠しきれない。
こうしている間にもロイドは辛い思いをしているに違いない。
そして、かつて自分にそうしていたようにパクストンの汚らわしい手がロイドに触れたことを想像すれば、ノアの身体は熱く激しい怒りで燃え上がった。
次に打つ手を考えながらノアが門に手をかけたとき、静かな闇夜に紛れて小さな物音が聞こえた。
「―――、」
その場で立ち止まってそっと後ろを振り返り、辺りを視線で探りながら耳を澄ます。
――カサリ、
確かに聞こえたその音を辿るように、ノアは今来た道を戻って再びパクストンの屋敷に近づいた。
息を潜めながら窓をあるところはしゃがみ、壁をつたって屋敷の裏側へと回る。
そうすれは先ほどより僅かに大きくなった物音がまた聞こえて、そこに紛れて微かに声が聞こえてきた。
「――臭いったらありゃしない。どうしてアタシがこんなことしなきゃならないのよ」
若そうな女の声に、ノアはその口元に笑みを浮かべた。
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