第三十七話「心に想う人」
「そして私のところへ来た縁談はどうだ!?男爵家の…それも田舎の娘だぞ!?この私を馬鹿にしているとしか思えん!」
そうしている内にタイラーの業績が称えられ、伯爵の称号を与えられた。
パクストンは未だに子爵のままで、その資産も気づけば半分以上を失っていた。
「なぜタイラーばかりが得をする!?なぜタイラーばかりが出世する!?なぜタイラーばかりが世間から認められる!?なぜタイラーばかりが人から愛される!?」
疑問が増えれば増えるほど、タイラーを疎ましく思う気持ちが膨れ上がり。
「――だから私は、決してタイラーにはできぬことをしてやったのだ!」
気づけば社会の暗いところで、決して表沙汰にはできないようなことに手を染めていた。
それからは愉快なほどに物事がうまく進んでいった。
財は次から次へと増えていき、伯爵の称号を得る事もできた。
そうしてタイラーと同じ舞台に再び立てたはずなのに、それでもそこには何かしらの大きな差があるままだった。
――人から愛され、いつも周りに誰かがいるタイラー。
――人から愛されず、いつも遠くから一人きりでそれを眺めるパクストン。
それは、どうあがいても手に入れることができないものだった。
「あのタイラーが死んだときは実に愉快だったぞ!神は最後に私がタイラーを追い抜く機会を与えてくださった!」
「…貴方という人は…っ。全て、貴方の身勝手で醜い嫉妬心ではないか…!」
「黙れ、小僧が!」
「ぐ、」
片手でロイドの両頬を強く掴み、パクストンはその顔をぐっと近づけ笑う。
「――しかし今は、タイラーのものの中で一番欲しいものがあるのだ。それが手に入るのであれば、奴の財産などどうでもよい」
「………」
「それが何か貴様に分かるか?」
「………」
「――私が欲しいのは、ロイド・タイラー。貴様自身だ」
「……!」
べろりと、生温かいパクストンの舌がロイドの頬を這った。
「ああ、甘い。やはり美しいものはその味も美味だ!」
「私に、触れるな…っ」
「貴様はどのような声で啼く?どのような顔で請う?ああ、早く見たい…!」
「触れるなと言っている!」
ロイドがきつくその手を振り払えば、パクストンは大袈裟に怖がってみせ、数歩後ろに下がった。
「素直になるのが貴様の為だと思うぞ?――もはや、貴様は私の手の中だ。主がいなくなった屋敷がどうなるか考えてみろ。私が新たな主になる方がずっといいと思うがなあ」
「なんて下衆な男だ…!」
「くくくっ。しばらく時間を与えてやる。じっくりと考えることだな」
その言葉とともに厚い扉は閉じられ、再び重い錠の音が響いた。
「―――っ」
ロイドは恐怖で震える身体を自分で抱きしめた。
主不在の屋敷がどうなるか、そんなものは明らかだった。
しばらく経てば、各々の生活のために使用人たちが屋敷を離れ出す。中には、屋敷にある金目のものを持って行く者もいるだろう。そうして手入れのされなくなった屋敷は朽ちてゆく。
無様に寂れて、哀れに朽ち果ててゆくのだ。
「…クリス、エマ…っ」
他の使用人の誰よりも自分に尽くしてくれた二人を思えば、心が痛んだ。
自分のせいで不幸な目に合ってしまう二人に、申し訳ないという気持ちばかりだった。
「…っ、ノア…っ」
そして、ノア。
新しい世界へと連れ出した者の責任として、ノアの手を途中で離してしまうようなことは絶対にしたくはなかった。
心から大切だと思えるその存在を、失いたくなかった。
「――ノア…っ」
――ノアに会いたい。
そうして弱気になっている自分を叱り、安心させてほしい。
部屋の扉から一番離れた隅に身を寄せる。そして膝を立てその間に顔を埋めて、鮮明なノアの笑顔をロイドは思い出していた。
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