第七章 男装伯爵と元男娼、危機に瀕する
第三十三話「行方知れずの主人」
――それは、あまりにも突然の出来事だった。
「御者からの連絡はまだ来ていないか?」
「つい今しがた確認いたしましたが、どなたからも連絡はございませんでした…っ」
そう答えた女の使用人の言葉に顔をしかめたのはクリスだけでなく、その場にいたノアとエマも同じだった。
「…そうか。引き続き誰からか連絡がないか、随時確認をしてくれ」
「はい、かしこまりました…」
頭を下げてクリスの部屋から出ていった女の使用人の姿もまた、この場の三人と同じように沈んでいて。
「……本当にどういうことなの…?」
未だよく掴めない状況に、エマが歯がゆいと言わんばかりに唇を噛み締める。
それはノアも同じで、一向に打開されないこの状況への苛立ちを、自分の拳を握りしめ抑えていた。
――始まりは、茶会に出かけたはずのロイドがいつまでも帰ってこないことを不安に思ったノアが、エマに話しかけたことだった。
その茶会は午後五時からの予定で、茶会が終わるまでに迎えに着けるようにと御者が屋敷を発ったのが午後七時半頃だった。
いつでもロイドの迎えに出られるよう、ノアは馬車の走る音が聞こえる場所で仕事をしていて。
そして、いつまで経っても聞こえてこない馬車の音を不思議に思って時計を見れば、針はちょうど午後八時半を指していた。
――どこか寄り道でもしているのか?
ロイドが、ノアやクリスが推測する時間の予定を大きく越えることは稀で、ノアは思わず首を傾げる。
けれど寄り道をするのであれば事前にノアに知らせているだろうし、もしかすると茶会の主人や女主人に引き止められているのかもしれないと考えた。
『――ノア、ロイド様はまだ戻ってこられてない?』
掛けられた声に振り向けば、開けっ放しにしていた扉からエマが顔を覗かせていて。
その顔は、僅かに不安の色を滲ませていた。
『ああ、エマさん。私も今、それを考えていたところです』
『随分遅いわね…。夕食はここで食べるって聞いていたから、一応用意は終わったんだけど…』
ノアが歩み寄れば、エマはその顎に手を添えて訝しそうな顔を見せる。
『何かあったなら御者から連絡が来るはずですが、今のところ私は何も聞いていません』
『…私、御者から連絡がなかったかもう一度聞いてくるわ』
『では私は、クリス様に相談も兼ねて報告に行って来ます』
『ええ、そうしてちょうだい。あとで私も行くわ』
『はい』
エマと別れクリスの部屋へと向かう途中、ノアは自分の中にある不安が徐々に大きくなっていくのを感じていた。
そうしてクリスの許しを得て、その部屋へと入る。
現在の状況を聞いたクリスの表情は、少し険しくなっていた。
『――御者から連絡がないのはおかしい。ロイド様の身に何か起きたのかもしれない』
『え…、』
『失礼いたします』
クリスの言葉に大きく動揺したノアの背後で、扉が開かれる。そこに現れたエマの様子から、やはり御者からの連絡はなかったようだった。
『一体どうしたのかしら、ロイド様…』
エマの表情に滲む焦りに、ノアの不安はまたひとつ大きくなる。
そうして時計を見れば、午後九時半を回っていた。
『――念のため、茶会がまだ続いていないか確認するために遣いを送ろう』
クリスに命じられて遣いの者が屋敷を発つ。
そしてもう一度、女の使用人に御者から連絡の有無を確認させたのが午後十時を回った、先程のことだった。
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