第二十四話「サラという子供」
――この人は、なぜ自分に意見を求めているのだろう?
それが、その子供に最初に浮かんだ思いだった。
裏通りの人間が、表通りの人間と同じ場所にいる。
それだけでも十分に驚くべきことなのに、目の前の男は、自分たちの子供になることを提案してきた。ともすれば、生きていることさえ疎まれる裏通りの人間を、自分たちの家の歴史に加えると言うのだ。
命令し強要させることができる立場にあるにも関わらず、さらには小さな子供の意見を聞くと言う。
一人の人間として敬意を持って、表通りの人間であるはずの彼らは、裏通りの人間の小さな子供に接しているのだ。
「―――」
――目の前の夫婦の子供になれば、少なくとも飢えで死ぬことはない。
それは、とても魅力的なことだった。
裏通りの春は、幾分か過ごしやすい。暖かくなればどこでも眠れるし、食べ物は冬の蓄えの廃棄から、少しいいものが食べられることだってある。
夏は、最も過酷な季節だ。廃棄された食べ物はすぐに食べられなくなってしまうし、何よりも脱水症状を起こす者が多い。
満足に水分を取ることもできず、降ることさえ少ない雨水を溜める者がほとんどだった。井戸水を口にする者もいたけれど、その大半は体調を崩すか病にかかって死んでゆく。
死んだ身体は暑さですぐに腐敗していき、それがまた裏通りの環境を悪化させるのだ。
秋になれば、また少し過ごしやすい。実りの季節で、廃棄される食べ物の数が増える。
けれど、徐々に寒くなっていく夜が辛くて、十分に眠れなくなってくる。
冬にはまた、夏とは違う厳しさがある。この季節の食べ物は日持ちするものが多く、それらはほとんど廃棄されることはない。
そうして十分に食べることができないまま、一日中寒さに晒される身体は耐え切ることができずに、そっとその活動を止めてしまうのだ。
けれど、夏と違って腐敗することもなく死ぬ間際の苦しみも少ないと、裏通りの人間は死ぬならばこの季節がいいと言う者が多かった。
それらを思えば、やはりこの提案を断る理由など、その子供にはひとつも思いつくはずもなく。
もし仮に、突然目の前の夫婦が豹変し痛みを負うことになったとしても、少しでも満足のできる生活が送れるならそれでもいいかと思った。
「……こ、ど、も、なる」
ずっと動かしていなかった舌は縺れて、上手く言葉が紡げない。
「…ここ、いる…」
とても小さな了承の声に、タイラー夫妻は嬉しそうに互いの顔を見て微笑み合った。
「ありがとう。君のことは大切にする。約束しよう。――私たちに、君の名前を教えてくれるかね?」
「………」
タイラー伯爵とその隣で頷いているタイラー夫人の表情はとても優しく。その温かな感情に対してどう返せばいいのか分からず、その子供は思わず俯いてしまった。
「…なま、え…サラ…」
「!!」
子供の名を聞いたタイラー夫妻は、驚きにその目を大きく見開いた。
それを空気で察したその子供――サラは、顔を上げずとも、自分は目の前の夫婦の意にそぐわない何かを仕出かしてしまったのだと思った。
「ご、めん、なさい…すて、な…いで」
一体、自分の何がいけなかったのか、サラには少しも分からない。
けれど反射的に口をついた言葉は、もう一人きりは嫌だと思った心が、自然と出させたものだった。
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