第二十二話「伯爵夫妻との出会い」
――仕方ない。今日はこのままどこかで寝て過ごそう。
空腹をやり過ごすには眠ってしまうのが一番だった。眠りに落ちてしまうまでの飢えの辛さを乗り越えてしまえばなんとかなる。
そう思って痛む胸元を押さえながら、転がった缶を拾いに行こうとしたときだった。
「――乱暴なことをする者がいたものだ。同じ人間として、恥ずかしく思うよ」
今まで聞いたことがないほどの穏やかな声に、その子供は思わず振り返った。
「大丈夫かね、君?」
そうして微笑む初老の男と目が合って、その穏やかさを向けられたのが自分だと気づいた。
「………」
「怖がらなくてもいい。あの者が君に近づいていったところを見ていたのだが…助けてやれなかった。すまないね」
「………」
その子供には、なぜ初老の男が謝っているのか理解できなかった。
誰かを助けるという言葉の意味さえ、その子供は理解できなかったのだ。
「私はタイラー伯爵だ。着いておいで。怪我の手当てをしよう」
「………」
伸ばされた手を、その子供は躊躇いもなく取っていた。
もしかしたら、このまま殺されてしまうのかもしれない。
今よりもっと、酷い仕打ちを受けるのかもしれない。
自分がこれからどうなろうと、その子供は大して興味はなかった。
そしてそれとは別に、取った手を離さなかったのは。
その手がとても温かくて、微笑んでくれた顔が自分の生んだらしい女の笑った顔よりずっと、綺麗に見えたからだった。
「いい子だね。さあ、おいで」
少し離れたところに停められていた馬車に乗るように言われるも、自分で乗り来むには少々踏み台が高い。それに気づいたタイラー伯爵が抱き上げてくれた瞬間、その子供は一瞬、自分が空を飛んだのかと思った。
そうして馬車に揺られて辿り着いた先に見えた大きな屋敷に、その子供は失われつつあった無邪気な好奇心が舞い戻ってくるのを感じていた。
「――あら、まぁ」
屋敷に中に入った二人を出迎えてくれたのは、背筋が綺麗に伸びた初老の女だった。
「この子にしようと思っているのだ。今まで会って来た子たちには申し訳ないが、私の直感がそう告げたのだ」
「――そうですか。貴方が選んだなら間違いはないのでしょう」
意味の分からない二人のやり取りを、その子供は不思議そうに見上げる。
それに気づいた初老の女はタイラー伯爵と同じ柔らかい笑みを浮かべ、その子供と視線を合わせるようにその場にしゃがみこんだ。
「っ、」
そうして動いた初老の女の手に叩かれると思い、目を閉じその身を固くする。けれどいつまで経っても訪れることのない痛みを疑問に思って、そっと目を開けた。
「―――、」
目の前の初老の女は相変わらず微笑んだままだったけれど、その瞳は悲しげで。そっと引かれたその手を見て、初老の女が自分を叩くために手を伸ばしたのではないとその子供は気づいた。
「………」
けれど、何と言っていいのか分からず口をつぐんだままの子供に、初老の女が優しく声をかける。そして彼女は、自分がタイラー伯爵の妻であることを告げた。
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