第十一話「伯爵の願い」
「そうだ。そう言えば、まだエマを紹介していなかったな」
名を呼ばれたエマは、静かにロイドの少し後ろに立つ。
「私専属の侍女で、エマだ」
「こうして言葉を交わすのは初めてでございますね。エマと申します」
「――あ、」
癖の強い赤毛の髪の間から覗いた褐色の瞳に、ノアはようやくエマをどこで見たか思い出した。
いつだったか、うっかり他の女の使用人に捕まり質問攻めにあっていたノアをさりげなく助けてくれたのが、このエマと名乗る使用人だったのだ。
「ノアと申します。その節はどうもありがとうございました」
そうエマに向かって頭を下げたノアに、ロイドが不思議そうにエマを見上げる。
「何かあったのか?」
「いえ。屋敷の使用人たちがノアさんを囲っていたので、そこからお助けしただけです」
「ああ、そうか。新しいもの、美しいものが好きな者が多いからな」
「………」
ロイドの言葉は嬉しく思うも、それにどう返していいか分からずノアは曖昧に笑って見せる。
「クリス、エマ。少しノアと話がしたい。二人きりにしてくれないか?」
その真意を探るような視線をロイドに向けたのは、クリスだった。
「心配するな、少し世間話をするだけだ。私がノアをここに連れて来たのに、最近は少し忙しくてゆっくり話もできなかったと思ってね」
「…かしこまりました」
クリスが書斎を出て行く際に、ちらりとノアを見遣る。その葡萄色の瞳が意味ありげに見えたけれど、結局ノアにそれを推し測ることはできなかった。
「――ノア、屋敷の生活で不自由していることはないか?」
書斎の扉が閉められ二人きりになれば、ロイドがそう口を開いた。
「不自由なことなど何も…。クリス様も他の使用人の方々も、とてもよくしてくださっています」
「そうか。それならよかった。私は君に不自由な思いをさせるために連れて来たわけではないからね」
「むしろ十分過ぎるほどです。ロイド様には感謝しております」
「………」
小さく笑ったノアを、ロイドは空色の瞳でじっと見つめていた。
「…ロイド様?」
「笑ったな」
「え?」
ノアが聞き返せば、今度はロイドが満足そうに笑ってみせる。
「君は作り笑いばかりだったからな。だが、今の笑顔は本物だった。それが見られて私は嬉しいよ」
「っ、」
確かに無意識に笑顔になっていた自分に気づいて、ノアははっとする。
長く客を取る仕事をしていたせいか、顔に笑みを張り付けるのは当たり前のことになっていた。そうやってノアが笑って声をかければ、大体の客がノアを買ってくれることが分かっていたからだった。
「ここでは笑いたいときに笑えばいい。だが、客人が来ているときは愛想よくしてくれよ」
茶化すようなロイドの言葉に、またノアから自然と笑みが零れる。
「私が笑えるようになったのもロイド様のお陰ですね。ありがとうございます」
「私が何かをした覚えはないが…そうだな。感謝していると言うなら、ひとつ私の願いを聞いてくれないか?」
「願い、ですか?」
今や望めば大抵のものが手に入るだろうロイドが願うもの。
少しも検討がつかないノアだったが、それでもロイドが望むなら全力で応えようと思っていた。
そして想定外すぎる願いに、ノアは言葉を失う。
「私の友人になってくれないか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます