第十話「男娼の選択」
***
そうしてそれから一ヶ月経った、夏のある日。ノアはロイドに書斎に来るよう呼び出されていた。
――コンコンコン、
「失礼いたします」
すっかり板についた丁寧な口調と共に扉を開けば、机に向かっているロイドの姿が出迎える。
その机の手前ではクリスがこちらに背を向けて立っていて、さらに書斎の奥にあるテーブルの近くでは、一人の女の使用人がお茶の準備をしていた。
「やあ、ノア。入っておいで」
「はい」
なるべく音が響かないようにそっと扉を閉める。そうして振り返れば、ちょうどロイドが机からテーブルへ移動するところだった。
「座って」
「しかし…」
自分が使用人という立場である以上、その主と向かい合って同じように椅子に座るわけにはいかない。その考えを察したのか、ロイドが少し笑った。
「君が優秀な使用人であることは分かっているよ。大切な話があるんだ。座ってくれないか?」
「………」
「大丈夫。このことでクリスが叱ったりはしないよ」
「…では、失礼します」
ロイドが椅子に座ったのを見届けてから、ノアもその向かいの椅子に腰を下ろす。そのタイミングに合わせたように、ロイドの前に女の使用人からお茶が差し出された。
「ありがとう、エマ」
そう微笑んだロイドに、エマと呼ばれた女の使用人もそっと微笑み返す。
その姿をどこかで見たことがあるなと思いながら、ノアがエマを見ているときだった。
「――さて、ノア」
ロイドの声に、はっと我に返る。
「初めて出会った日に私と君が交わした約束を…覚えているかい?」
それは、互いに互いが信頼に足る人物かを見定める三ヶ月間の約束だった。
黙って頷いたノアの目を、ロイドはその心を覗き込むようにじっと見つめる。
「君にとって、使用人としての仕事はどうだった?」
空色の瞳に負けないように、ノアもまたじっとロイドを見つめ返す。
「覚えること、気を遣うことも多く大変ですが――とてもやりがいのある仕事だと思います」
ノアの答えに、誰にも気づかれることなく嬉しそうに一瞬口元を緩めたのはクリスだった。
「私はこのままノアにこの屋敷で働いてほしい。使用人としても人としても君は十分に信頼に足る人物だと、私もクリスも判断した」
ロイドの言葉は、自分を一人の人間として認めてくれたように聞こえて、ノアは喜びに心臓が跳ねたのが分かった。
「あとは君の意見次第だ。ここに残るも出て行くも君の自由だ。私は君の意思を尊重するよ」
「―――、」
ノアは膝の上でぎゅっと拳を握る。
自分から何かを望むことは、これが初めてで。
自分の意思を伝えることがこんなにも勇気が必要なことなのだと、ノアは初めて知った。
「…私は、このままこのお屋敷で使用人を続けたい、です」
「―――、」
「貴方様は信頼できる方だと思えたので――ロイド様に、仕えたい」
純粋に、この使用人たちから愛されている主に仕えたいと思った。
それと同時に、かつて物乞いだった若き当主がどのようにこの貴族社会を生きてゆくか、ノアは間近で見てみたいとも思っていた。
「――そうか。嬉しいよ。ありがとう、ノア」
そう言って笑ったロイドの笑顔はとても眩しく、ノアが思わず見惚れてしまうほどだった。
――こうしてノアは人生を大きく変える分岐路で進むべき道を自分で選び、その道を力強く歩いてゆく。
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