第九話「結婚の打診」
そうして目が合ったと分かれば薄く微笑んで応援するように小さく頷いたその姿に、ノアは励まされた気がした。
次に様子を伺うようにロイドからクリスへと視線を移せば、やはり同じようにノアを見つめていて。ロイドのように笑みこそなかったものの同じように頷いてみせたクリスに、ノアはやっと自然に息ができるようになった。
きちんと息ができるようになると、うまい具合にほどよく身体から力が抜けてゆく。
クリスに教わったことを頭の中で繰り返しながら、動作ひとつひとつに気を遣ってお茶を淹れていく。
そうしてカップに注いだお茶をテーブルの上に置けば、フルードが嬉しそうにその目を細めて見せた。
「うむ、いい香りだ」
「――ありがとう、ございます」
フルードがカップに口をつけたのを見届けてから、ロイドも口をつける。
「――うん。おいしいよ、ノア」
そして、ノアに称賛の微笑みを向けた。
「いい使用人に育ちそうだのう」
「ええ。いい人材を雇えたようで安心しました」
ロイドとフルードのやり取りに、ノアの心にくすぐったい気持ちが込み上げる。
ちらりと振り返ってクリスを見れば、よくやったと褒めるように薄く笑ってくれた。
「――さて、タイラー卿。私がここへ来た理由だが、実は私の娘のことでな」
フルードがそう口を開いたのは、いつでも給仕ができるようノアがクリスの隣まで下がったときのことだった。
「私の四番目の娘なのだが、単刀直入に言うと貴殿に娶ってもらいたいと思っているのだよ」
「―――」
フルードの突然の申し出にも、ロイドは表情を変えることはなく黙って微笑んでいて。むしろ目を見開いて驚いていたのはこの場でただ一人、ノアだけだった。
「十四になったばかりだが、親の目から見ても器量は悪くない。やはり娘には幸せな生活を送ってほしいからのう。貴殿ならば信頼に足る人物だと思い、この話を持ってきたのだ」
「そのようにフルード卿から信頼していただけているとは、身に余るほどの光栄ですね。このことに関してお嬢様はなんとおっしゃっているのですか?私のような優男は嫌だと、おっしゃってはいませんか?」
「優男などと、貴殿をそんな風にいう輩がいるのかね?」
楽しげに声を立てて笑うフルードとは反対に、ロイドは目を細めて微笑みを深める。
「むしろ貴殿の美しさに自分が見劣りしないか、そればかりを気にしていたぞ」
「ふふ。健気な方ですね、フルード卿のご令嬢は」
「ふむ。貴殿にとっても悪い話ではないだろう?一度娘と会う機会を設けよう」
「ご配慮、ありがとうございます。では、この話はまずお嬢様にお会いしてから考える、ということでよろしいですか?」
「ああ、構わんよ」
そこからロイドとフルードは他愛もない会話を続け、陽が沈み切った頃に上機嫌で屋敷を後にして行った。
――政略結婚、か。
その日の仕事を全て終えたノアは、勢いよく自室のベッドに倒れ込む。そして思い返すのは、夕方のフルードの訪問だった。
貴族ともなれば、政略結婚も当たり前の世界なのだろう。しかもその相手とて、身分がはっきりとした者ばかりだ。
――裏通りならば、まともに結婚できる者など、ほとんどいないだろう。
大抵の者が身を買われ独身で生涯を終えるか、身体を壊し寿命を全うできずに死んでゆく。
客を取る仕事の女ならば誰の子か分からない子を孕み、結婚することなく産み落とす。中には産み落とさずに、命を奪ってしまう者もいる。
裏通りのことを思えば、例え政略的であったとして、きちんと結婚できるということは幸せのようにノアには思えた。
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