第六話「人生の大きな分岐路」
「驚いただろう?」
「あ…、申し訳ありません…」
「気にするな。皆、そのような反応をする」
「………」
「三年前に両親を亡くしていてな。若くして、爵位を継ぐことになったのだ。歳は、君と同じ十九になる」
「…では貴方様がご当主、ですか…」
「そうなるな。それからそこに立っているのは執事のクリスだ。クリス、挨拶を」
「――クリストファー・アークライトと申します」
流れるような動作で一礼をした男――クリスの態度は、まさに優秀な執事たる風格を漂わせている。そして時折見守るようにロイドへ目配せされるその葡萄色の瞳は、その忠誠心を表しているようにも見えた。
「私の話を受けてくれた場合、クリスが君の教育係となる」
「………」
「君の名を教えてくれないか?」
「…ノア、です」
こんな風に丁寧に名乗られてしまっては、自分もそれに応えなければいけないような気がして。少し居心地が悪そうに名乗ったノアの姿に、ロイドはまたひとつ笑みを零した。
「ノアか。いい名前だ」
「………」
あれほど心の中に燻っていたロイドへの嫌悪感は、いつの間にか綺麗に消え去っていて。
ロイドの裏表のなさそうな笑顔にすっかり毒気を抜かれてしまったノアには、ただ戸惑いしか残っていなかった。
「――どうだろう?使用人の話を受けてはもらえないか?」
「………」
「この屋敷には、決して君を虐げるような者はいない。それは私が保証しよう」
「…なぜ、俺なんですか?伯爵家ともなれば、それなりの身分の人間を雇うことができるでしょう?」
これは純粋な疑問だった。
なぜ裏通りの人間を雇うなど、わざわざ危ない橋を渡るようなことをするのか。
「俺みたいな、得体の知れない奴を屋敷に入れていいんですか?裏通りの人間ですよ?」
「………」
ノアの言葉にロイドは、憂いげにその空色の瞳を揺らした。
「――表通りとか裏通りだとか…私はそれで扱いが変わるなど、おかしなことだと思っている」
おおよそ表通りの人間らしからぬ言葉に、ノアは自分の耳を疑った。
「…私はね、ノア。元々、タイラー家の子供ではなかったんだ。――裏通りの物乞い、だったんだよ」
「―――」
思わぬロイドの告白に、ノアは絶句するしかなかった。
「正直に言うと、私も完全に君を信用しているわけじゃない」
「………」
「けれど私は、自分の人を見る目を信じている。そして、君との出会いは何かの縁だとも思っている。だから私は、君が信頼に足る人物か。君は、私が信頼に足る人物かどうか。互いに見極める期間を設けるのはどうだろうか?」
「――そこで互いの信頼が得られなかった場合は、この話はなかったことにするという解釈でいいですか?」
「そうだ。結果がどうであれ、君がここで働いている間の報酬はきちんと払うつもりだよ」
「………」
「悪い話ではないと思うが…どうだろう?」
「…期間はどのくらいですか?」
「三ヶ月が妥当なところかな」
「………」
ロイドの話は、一通り筋は通っていた。
彼の出生を知れば、あのように躊躇いなくノアに触れていたことにも納得がいく。ノアにとって不利になる条件はどこにもなかったし、断る理由も見当たらなかった。
――それに、同じ裏通りの人間というだけで湧いた妙な情が、ノアの中に芽生えていた。
一度でも、この帝国の陰の世界を生きてきた人間なら信用できるのではないか。
そう思ったノアが出した答えは――。
「――とりあえず三ヶ月の間、よろしくお願いします」
そう頭を下げたノアの姿に、ロイドは安堵の表情を浮かべた。
――こうしてノアは、人生の大きな分岐路に立つこととなった。
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