目覚めれば? ゴンザ

横浜流人

第1話 目覚めれば⁉ゴンザ!

 僕の名前は、権左(ごんざ)。高校2年生。

 アダナは、ゴンザ、ゴジゴジ、ゴンザレス、ゴジラ・・・まだまだある。

 中肉中背、平均的なヒラタイ日本人顔で、洋服など、自分で買ったこともない。

 ファッションとかとは全く無縁で、ごくごく無難な物を母親から用意されて身に着けているだけ。なので昔から僕の外見はいたって何の特徴もない。だから昔から僕の特徴的な名前が、僕のアダナとなるワケ。皆んなは、その時その時のシチュエーション、その時の空気で色々なアダナで呼ぶ。

 ゴンザという名前についても、本名なのか?アダナなのか?どうなのか自分でも良く分からない?理解できなくなることがある。

 とはいえ、幼い頃からこの名前を色々な物に書き続けているのだから本名であるのは確かであろう。しかし、親がこの名を本気でつけたのか?がよく分からない。名前の由来も親に聞いたことは無いし、そう、聞くのも恐ろしいからだ。


 僕はこの、神奈川県の湘南とよばれる地域、そのエリアの内の鎌倉に住む。

 鎌倉でも海側である。江の島や茅ヶ崎(ちがさき)に近い。

 海岸沿いの国道は、朝から晩まで他県のナンバーの車で渋滞している。夜からは少しずつではあるが、空いてくる。しかし、音のうるさい車が多くなる。

 父親は、県内にある大きな大学病院の院長、というか、学長というか、教授だ。今、高校生の僕は必然的に、その大学の医学部に入れられて、その先は医者になるのだろう・・・


 僕は、自分自身が興味あること、好きなこと等、そんなことに自分が、どれだけ努力をしようとも無駄である、ということを幼いころから知っている。そう、僕の先は決まっている。見えているのだ。レールは敷かれている。

 僕は、今、現在、自身が興味のあることを、とにかく思いつくまま、セッセと実行して磨き上げる。そう、後々、あれはやっておきたかった!などと悔い(くい)のないように。

 そして毎日、敷かれたレールをセッセと磨き続けるしかない。勉強なのか、記憶する作業なのか、とにかく医学部進学のための勉強といわれているものに励(はげ)んでいる。

 こんな広い、民主主義で平和な世界に、僕のレールは一本しかない!

などとは思いたくないのだが・・・

 他の皆んなの目の前には、レールなど無い、どこまでも広い自由な広野が拡がっているのだろう。行く先など、いくらでもあるのだろう・・・


 僕は、高校二年生になった時、親に秘密でバイクの免許をとった。

 そして、夜な夜な海岸沿いの国道をバイクで走り回っていた。

 もちろん、バイクは自分の物ではない。自分でバイクを買ってもよかったのだが、親にばれてしまうので自分の物として買うことはできなかった。

 僕は免許をとった後、最初は、同じ学校の友達?にバイクを貸してもらって走っていた。夜、家を抜け出しては、近所のファミレスやコンビニ等に集まり、走っているうちに、仲間がやたらと増えていったのである。集まる場所は、少しの間隔をおいて変えていった。暴走族とやらが昭和末期の全盛のころ、彼らが集まるお店は、次々と潰れたと聞いたから。近隣の住民からのクレームだらけになり、世間から強く非難を浴びることとなったそうである。若者がたむろするだけで、役立たずの集団、ただただ相手を威嚇することだけに熱心な集団、野犬の群れのように思われていたらしい。日本一の売り上げを誇った、鎌倉、海岸沿いの伝説のハンバーガーショップは、その莫大な売上をすて、ショップ全体のイメージを保つために閉店を選んだという。


 僕らは初めのころは、二人乗り、ニケツで、交代々々でバイクに乗って走っていればソレでよかったのである。

 潮風を受けて、馬鹿話を叫ぶようにはなし、スロットルを回してバカみたいな爆音を鳴り響かせて、下手な歌を大声で一緒に歌う。自分でもバカだと思うぐらいハシャギ周り、群れるのだ。

 そして、僕たちのバカ騒ぎが大きくなると同時に、徐々に人数が増えていった。誰もが一人一台で、みんなで群れて走るようになったのだ。

 並走するローライダーには、大型のスピーカーがついており、大音量で好きな音楽を流す。

 そのうち、自分の乗りたいと思うバイクを盗んだり、盗まれたり、そのバイクの争奪戦としての集団同士での抗争が起こったり、などということにもなった。

 そして地元広報紙で、“死滅したはずの暴走族、復活、その亡霊!”などと僕たちは扱われ始めていた。

 みんな、別に暴力的な集団として集まっているつもりはないのだけれど・・・

 確かに盗むのは悪いことだとは思っている。分かっている。しかし、それは、それ自体、どこからか盗まれた物だし、元は自分の知る人の物であった、というのこと。

 抗争が続くたびに僕たちの集団は人数が増えて行った。関東最大の暴走族、復活などと言われ始めた。雑誌の取材も増えた。

 世の中、面白がり屋が多い。目立ちたくない僕としては、大変、迷惑なハナシである。友と呼べるものは、2~3人でよい。別に裏切られてとか、ケンカしてとかで、一人になっても構わない。自分の中の自分が、人に惑わされるなど、御免こうむりたい方などである。

 ケンカなどは、昔から自分は弱いと思っているし、どうやったって弱いと知っているのだ。

 ところが、団体戦になると、兵法ひとつ勉強していれば最強になれると知った。

 そう、力が強い者には、力が強い者を当たらせればよい。力の弱い自分が向かう必要などないのだ。

 一対一の戦いなど、しないに限る。一対一の戦いなど、それは侍とかの剣豪の理想とする世界である。古(いにしえ)のヒーロー像である。戦いとは、相手より多数で攻めればよいだけである。一本道に誘い込み、一対一の戦いにみせて、両脇から仲間が彼を射止める。戦いの方法を知っている者の全戦全勝なのである。何回も何回も試して、予め勝つ方法を導き出しておけば、後はその通りにすればよいだけだ。仲間の兵隊が増えるほど、どんどん強力・巨大化していった。


 夏も近づく、蒸し暑い夜だったと思う。

 今日は、めずらしく父親が夕飯前には帰ってきていて、家族で夕飯を終えた。

 寡黙な食事。

 母も、父も、そして僕も、何ら語ろうとはしない。

 食後は、父はダイニングから続くリビングで、ソファーに寝転がりながら新聞を読み、テレビのニュースをかけ流しながら、晩酌を始めている。その新聞に、暴走族復活の記事が載っている。

 父は、天井に吐き捨てるように僕の動く気配に対して言った。

 そっと外出しようとしている僕に気付いてか、気が付いていないのか?多分、外出しようとしている事には気付いてはいないと思う。

 父は、

「ゴン!おまえ、こんな、馬鹿な奴らとつるんでなんか、いないだろうな!」

 僕は、こわごわと、応えた。

「バカな奴って・・・だれ?」

 父は、

「最近、夜、ここら辺をバイクで、騒ぎながら走り回っているバカな連中がいるらしい!」

と言って怒り心頭のように新聞を揺らした。

「ふ~ん・・・知らない・・・」

 僕は、呟くように一旦、部屋に帰るそぶりをみせて、それからUターンをして、そろりと静かに外出した。

 母親の悲しそうな眼と眼を合わせた気がする。

 心配してくれているのは有難い。感謝している。

 若気(わかげ)とかいうのが終わったら、哀しませる、心配かけるようなことはしない。親孝行します。親孝行、したい時に親は無し・・・なんて事にならないようにしますから!


 今日は、仲間?が何処からか手に入れた1500ccのKAWASAKI バルカンに乗せてくれるらしい。もともとは、友人の親の物だったらしいのだ。それが盗まれても、親は4輪に夢中で、全く気にしていなかったらしい。それを息子が奪い返した?


ある日、そう・・・ある日である。


 近所の幼馴染(おさななじみ)で、今でも、何時でも、ず~っと一緒にいるほど大好きな、姉さん気取りの同級生の美智子さんを、高校生になってワルぶった僕はオートバイでドライブに誘い出した。

 バイクの後ろに載せてニケツで海沿いの街道を飛ばした。

 身体に受ける風が今日は今までよりも心地よく、後ろから僕にピッタリと体をくっつけて預けている美智子さんのカラダの感触も心地よい。

 胸のふくらみが最高の刺激だ!


 由比ガ浜のT字交差点を左折して、逗子、葉山方面に向かう。

 暗くなって、行き先も分からず、ノロノロと海沿いの一本道を走行する最新型の車たちを抜き去り、蛇行をくり返しながら、日没後の海沿いの国道を疾走する。

 左の山並みは、夜の暗闇に緑を失い、ところどころに建つ外灯に照らされた人工的なガケを補強したコンクリートの灰色が時々、たまに浮かび上がる。

 右の夜の海は、穏やかで暗く、静かにゆれる波間が月の青白さに照らされている。  静かな夜、バイクの排気音がうるさい。僕には人を威嚇してエクスタシーを感じる原始人的な趣味はない。極力、音が小さめになるようにスロットルの開閉を工夫していた。美智子さんもそれが非常に気に入ったようである。


 そう、それから、ちょくちょく僕と美智子さんは、二人でドライブをすることになった。そして僕たちは、あの日、学校から帰り、いつものように夕暮れ時にバイクで海岸沿いを勢いよく走っていた。そして事故にあった。

 短い逗子の西のトンネルを抜けて、正面に現れる材木座、由比ガ浜の水平線に沈む夕陽が、その穏やかな波をキラキラと照らすしだすカーブで対向車線のスポーツカーがはみ出してきたのだ。


 馬鹿な耄碌(もうろく)じじいである。クソジジイ!


 最新のスポーツカーであれば、車線はみだし防止機能が働き、防げたのだろうが、相手はオジさんが若い時に乗りたくても乗れなかった、そして、やっと年を取って、それなりの自由に使える資金ができて、それをはたいて、やっと購入し乗れるようになった、そんなオジさんの運転するマニアックな昔のスポーツカー、骨董スーパーカーであった。


正面衝突である。


 その時、僕は新品のヘルメットと最新の防護ジャケットを美知子さんに貸していたと思う。

 救急車のストレッチャーで運ばれる自分と、涙ぐみ僕を見つめる美智子さん。彼女が叫んでいる、その光景を僕は鮮明に覚えている。

 気が付いた時、僕は病院のベットに寝かされていた。

 体には色んなチューブや信号線が取り付けられている。鼻と口には呼吸用?の透明なプラスチックゴムのようなマスクもつけられていた。

 酸素吸入というやつであろう。テレビドラマなどで、たまに観るやつだ。

 そして、意識は続かない。深い闇のなかに沈んでいく。そんな感じ・・・

 僕の体にセンサーを取り付けたベット横の計器が、ピィー・ピィー鳴っているのが、ピィーーになるのだろうか?


(僕は多分、意識は戻っていない・・・)

と皆んなは思っているのであろう。

でも、僕には意識がある。

 僕は、時々、僕は意識をもどしているのである。

 というより本人としては、たまに目覚めて、直ぐ眠くなる、また眠りに落ちるというのを繰り返している状態なのである。

 そう、目覚めても直ぐに眠くなるのだ。


(こんなことが何日続いているのだろうか?)


(ただ、僕は死んではいないようだ)


 いつも、目覚めて、目を開けた時には、美智子さんが僕の枕元にいてくれた。

 椅子に腰かけてウトウト眠っている。


 横にいて、スマホをいじられてるよりはマシである。


 ズ~っと僕のことを看病してくれているのだろう。

そして彼女は、かなり疲れているのだろう。


 僕は、静かに彼女に声をかけようとするがやめる。起こしては悪い気がする。

 僕は、目覚めても直ぐに深い睡魔に襲われ、記憶も景色も暗闇の中に沈み、そしてまた眠ってしまう。こんなことが、今までに3~4回あったかと思う。たぶん、目覚める度に数日がたっているのあろう。というのも、目覚めた時、僕の目に見えた光景、美智子さんの洋服とか、髪型が違う。そして窓辺の花瓶、活けてある花々が違うものになっている。


それが分かるのだ。


 うっすらと記憶している。

 確かか、どうか?僕には、判断出来てはいない。

 そのうち、目覚めた時に美智子さんは僕の視線からはいなくなっていた。

 もちろん、最初の頃は席を外しているのかとも思った。

 いつの日か、そう、あれから?あの時?どの時?以来、美智子さんが僕の側(そば)にいてくれる姿を覚えていない。それから、何回か目覚めても美智子さんの姿は僕には見えなかった。

 僕は、何時、目を覚ましているのか?誰にも分からないのだし、事故からは、かなり時間はたっているのであろうから、美智子さんが、いつも何時(いつ)も、何時までも、僕に付きっきりな筈(はず)もないのである。

それは理解している。

 以前の自分であれば、誰かに裏切られたりとか、一人ぼっちにさせられようが、自分が死ぬことさえ恐ろしくもなんともなっかた。しかし今、美知子さんの姿が見えないだけなのに、こんなに寂しい気持ちになっている・・・

 以前に戻ればよいのか?周りが、どのように変わろうと、何にも縛られていない自由な魂、自分が輝こうと、消えゆこうと、なんのかまうこともない。

 美知子さんを大切に愛おしく思うことが、執着と心配を生み出しているのだろうか?

 以前の、生まれながらの本当の自分に戻ればよい。

 幸福が永遠に続かないように、命も永遠ではない。

 僕は目覚めれば、色々考えさせられる。

 僕の為に悲しむ人がいることが気になるのだ。

 気にしないで!と言ってあげたい。


 教えてあげたい。僕の気持ちを!


 僕が、初めて心の底から幸せというものを感じたドラマ、映画がある。

 昭和の伝説の邦画、男はつらいよ。寅さんである。


 一番は、あの面倒くさがりの寅さんが、面倒くさがる若者に対して言った言葉。

 寅さんいわく、

「幸せっていうのは、メンドクセーの向こうにあるんじゃないのかい?」

「幸せだとか、生きててよかった、と思えることが、一度か二度感じるために、人は生まれてきたんじゃないの?」



 僕は、どれくらいココで眠っているのだろう?と考える。

 相変わらず、身体には、チューブだの電線だの色々な器具が取り付けられている。

 しかし、僕には確かに命がある。

 僕は助けられている、命を繋げられている・・・ということは理解している。


 僕は、それから何回か目覚めた。

 その時に、誰も僕の側(そば)に居ない時がある。

 誰もいない、美智子さんの姿も見えなくなった。

 しかし、たまに美智子さんのお母さんがきてくれている。

 僕は、美智子さんに見捨てられたようで寂しい気持ちになっていった。

(僕は何時まで、この状態なのであろうか?)

 誰かに聞いてみたいと思う。

 僕の思いは、寂しい?につきる。

 しかし、直ぐに睡魔は襲ってきて、深い無意識の中に陥るのだから、負の感情も、塞ぎこんだ思いも、暗闇の中に沈んでしまうのである。

 目覚める度にその思いは引きずるのだ。

 僕にとっては、時の経っていく実感など無いのではあるが、入院してから、時間はかなり経っているのだろう?と思う。


 美智子さんのお母さんは、僕が目覚める度に、頻繁に見かけるようになった。

 美智子さんの姿は、もう、見えない。

 そして、美知子さんのお母さんは、見かける度に、老けて行っているような気がする。

(そんなに長く、俺って寝むっているの?)

 最近の目覚めでは、美智子さんを全く見なくなってしまっている。

(何か美智子さんの身に起こったのであろうか?)

と考える。


しかし、想像を膨らます前に僕は深い眠りにおちてしまう。


ある日の目覚めの時、僕に、ある考えが浮かぶ。


僕は、大変長い間、この病院のベットで眠っている。

全く意識が無い者として。

そして僕は、目覚めては起きて、またすぐに寝る。

本当の僕は、浦島太郎(うらしまたろう)状態に近いのかもしれない。


自分の意識のある時間が、周りの時間とズレが生じているのではないか?


自分が一日を過ごす間に、というか、目覚めて起きてまた眠るという、その間に、周囲の時間は月単位、年単位で過ぎ去っているのではないだろうか?

たしか、天才物理学者、ノーベル物理学賞 受賞学者、アインシュタイン氏の相対性理論!

の変形理論になるが・・・

僕の理論。


アインシュタインの相対性理論は、光の速度を超えて人が移動した場合の、他の人が認識している時間軸を超えるということだったと思う。

(僕の脳内時間が光速を超えたということだろうか?)

(事故から、かなりの年月が過ぎた?)

 美智子さんは既に結婚をしていて、もうココには来ない。

 それでお母さんが、たまに僕のことを見舞いに来るようになったのかもしれない。

(僕の両親に、お前の娘のせいだ!と責められたかもしれない)


 美知子さんのお母さんは、僕が目覚めるごとに、おばあさんになっている。

 ということは、美智子さんを含め、僕の知っている人は、僕の両親を含め、かなり年寄りになっているのではないだろうか?

 それでは、自分は、この僕は、今、どうなっているのであろう?

 今度、目覚めた時には、自分を見直してみよう!今は無理なので・・・眠い・・・

と思うのだ。一瞬の目覚めの時、なんせ色々な新しい景色と関心ごとが非常に多いので見て理解しなければならない事も多い、それに、目覚めて起きても直ぐに眠くなり熟睡モードに落ちてしまう・・・


ある日、僕は目覚めた。

直ぐには眠くはならない!


 僕は、今度は眠らないよう、意識を鼓舞(こぶ)した。

 そして、今回は、眠くならないように、眠らないように頑張れるようだ。意識が保てるようになっていた。

 その意識、視覚のなかに、おじいさん、おばあさんとなった、僕の両親がいた。たぶん、両親である。

 そして、美智子さんもいた。

 美智子さんは、あの日の、高校生のままであった。自分とドライブ、バイクに乗っていた時と変わらない姿であった。


 僕の意識は混乱している。両親の老け方をみれば、僕は浦島太郎。


 美知子さんの変わらない姿を見れたと言うのは、事故からは、そんなに時間はたっていない?

 それでは、自分の姿は?

 観てみたいのだが、鏡がない。手足、指など目に映るものはチューブや、信号線だらけで、よく分からない。自分が、老けているのか、どうか?


そして皆んなが、僕の目覚めを喜んでくれている。

もう、眠いけれど寝るのはよそう。

僕は懸命に起きていることに意識を集中した。

美智子さんがあの時の、そのままの姿でお見舞いに来てくれている。

時間は飛んではいなかったのだ。

苦しみ、混乱した僕の頭の中だけで、時間は、ねじ曲がっていたのかもしれない。


それにしても、この両親の年老いた姿はいったいなんだ?

心配し過ぎと、過労で一気に老けたのであろうか?・・・俺のせい?

父は、以前、会ったことがある祖父にそっくりである・・・80歳超えか?

母は、老けたおばあさんではあるが、なんとか、原形をとどめている。かなりの努力の成果なのではないだろうか?

で、美智子さんは全然変わっていない・・・苦労もストレスもなかったのであろうか?多大な努力なのか?

そして、僕は?

僕は、かねてより気になっていた自分の姿はどうなのか?

年寄り?

現状維持?という問題。

僕は鏡を探して、病室の自分のベットの周りをキョロキョロした、しかし、鏡らしきはない。薄っすらと映る窓ガラスの僕は、そんなに変わりはない・・・ようなのだ。


目覚めた僕に、父は涙ながらに言う。母も涙目である。

やはり僕はず~っと意識が無かったものと思われている。

本当はたまに起きていたのだけれど説明しようがない。

「ごん!本当によかったな・・・もう、意識はちゃんとあるのか?」

と聞いてきた。

僕は、軽くうなづく。


「私は、お前を再生させようと、いろんな治療の研究を続けていたんだが、オマエは、一瞬だけ意識を戻して、また、直ぐに昏睡状態になってしまうんだ。私も年だし、諦めかけていた時、この長内先生が引き継いでくださったんだよ・・・」

 父は、父と母の後ろに控えたえらそうな学者のようなオジさんに一礼した。その長内という医者、先生、博士は、父と僕を交互に眺めて、父に答えた。


「先生、ついに再生医療成功おめでとうございます」


 理論はこうらしい。

 僕の細胞から、健康で若い細胞を培養するらしい、それを、死滅した脳とか、血管とか、神経とか、どんどん移植していくらしかった。しかし、移植注入後は、直ぐに死滅した細胞側に取り込まれるらしい・・・だから、僕の身体は生き返ってもすぐに死ぬ、という状態が続いたらしいのだ。

 なんとか、死滅した、傷ついた側の細動に取って代わられない再生細胞はないのか?と実験は繰り返されたのだった。しかし、生きた細胞は、残らず死滅細胞に取り込まれたらしいのだ。何年も父はあきらめず研究と実験を繰り返したのだが、その度に実験動物は死んでしまう・・・人で実験したかどうかは話していない。その死と、僕の死を年とともに重ね合わせ耐えられなくなって、研究をあきらめようとしたときに、長内先生が引き継いでくれたというわけだ。

 長内先生も、手だとか足だとか、皮膚とかは成功するのだか、脳だけはうまくいかなかったらしいのだ。やはり、多くの治験の対象は亡くなった?らしかった。長年のデータの蓄積を、再度シュミレーションして再生細胞の働きを設計し直したらしい。

 時は、量子コンピュータの時代。

 光速シュミレーションと設計が可能となっていたのである。

 再生細胞の設計は作り直された。

 周りの死滅細胞に取り込まれる前に死滅細胞を取り込む細胞、そして、広がってゆく細胞。

 若い細胞のクローン再生細胞である。

 シュミレーション上は、若返るとみられる。

 動物での実験も良好な結果が出たらしいが、作り上げたのは、クローンである。

 倫理、道義上、人に使って良いものかが、みんなで議論されたようだ。

 それに、人で100%成功する可能性もない。

 以前の細動同様、一瞬生き返り死亡させる可能性も否定できないのだ。

 それでは、実験してみようという!ということも、なかなか決められなかったらしいのだった。


誰もが悩む倫理上の問題。


 量子コンピュータによる、AIシュミレートは何回も繰り返され、成功と失敗をくり返しながら、徐々に生存確率を上げっていっている。しかし、100%成功しているわけではない。直ぐに死滅する場合もあり、数日後に死滅する場合もある。このままでは、再生治療細胞、薬を完成させて人に投与できるまでになるには、あと10年はかかるであろうとみられた。

 それでは、ゴンザに使われる見込みもメリットもないだろう。


 父らしき、おじいさんは美智子さんに言った。

「長い間、権左を看病して頂き有難うございます。権左の再生医療が成功したのも、あなたが、若がえり再生の実験台になってくれたおかげです」


(美知子さんも、僕も、成功しない可能性もあったということ・・・)


(お見舞いに来てくれていた美知子さんのお母さんだと思っていたのは、美智子さん自身?)


僕は目覚める度に美知子さんの老けて行った姿を見ていたわけだ・・・


 僕は、父と二人になった時に、あるお願いをした。

「お父さん、人が苦しまないで死ぬことの出来る薬を二人分欲しい・・・」


 僕は、もう、退院は出来ないらしいのだ。

 この病院で一生を研究材料のように暮らすらしい。

 父には、もし、再生が失敗であった場合は、何日後に、どのような症状がでるのかを聞いておいた。


 目覚めた僕は、美知子さんに、他の誰にも聞かれないように脱走計画を打ち明け、実行した。

 そして、二人の憧れの茅ヶ崎のホテルに泊まった。

 同じベットで、潮騒を聞きながら、手を繋いで眠った。

 安楽死可能な注射は、二人分もって・・・


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目覚めれば? ゴンザ 横浜流人 @yokobamart

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