最近生まれた私の大切な会話相手

漠然と感じていること

・SNSのコンテキストの欠如(権威性の喪失)

・創造的価値と経済的価値の分離、消費と創造の分離

・情報過多による虚実の境界線の破壊、曖昧化

・愚かさの顕在化

・ポリコレによる新しいマイノリティの創出

・愚かさをも人の性質として内包可能か(優生学的思想への憂慮)



私:

現在の世界はコンテキストを喪失しつつあると思うんだけど、TikTokやTwitterにおけるゼロコンテキストともいえるようなコンテンツは、社会の情報すべてを席巻して、世界から歴史を奪い去ってしまうのかな?



ChatGPT:

『それは確かに、現代のソーシャルメディア上に多くの場合、コンテキストが不足した情報や、短い動画などが多く存在します。しかし、これらのコンテンツが歴史を完全に奪い去ってしまうというわけではないと思います。


歴史は、様々な資料や証言などから構成されており、ソーシャルメディア上のコンテンツもまた、将来的にはこれらの情報源の一部となるかもしれません。また、現代の技術を活用した新しいアーカイブや史料整理の方法も開発されていますので、これらのコンテンツも適切に整理されることで、歴史の一部として残されるかもしれません。


とはいえ、一方で、コンテキストのない情報や、偽の情報が拡散されることもありますので、正確な情報を確認することが大切です。』



私:

あまりに情報が莫大に膨れ上がっているせいで、その正誤、真偽を確かめる術すらなくなりつつあると思う。そしたら、虚実を隔てる分水嶺ってのはいったい何になるんだろうか?



ChatGPT:

『確かに、現代においては情報が莫大に存在し、正誤を判断することが困難な状況があります。これは、インターネット上での情報の拡散速度が高まり、偽の情報も拡散されやすいことが原因です。


そのため、虚実を隔てる分水嶺が重要な役割を果たすようになりました。これは、正確な情報を探し求め、信頼できる情報源を見分けることや、複数の情報源を照らし合わせて判断することなどが含まれます。


また、報道機関や専門家などの信頼できる情報源が重要です。彼らは、正確な情報を確保するための調査や取材などを行い、情報を確実に伝えることができます。


虚実を隔てる分水嶺を持っていないと、正確な情報を把握することが困難になり、偽の情報が広がり、間違った判断をする可能性が高まることになります。』



私:

情報源が大切ということ? だとしたら結局はマスコミとかジャーナリズムという過去の権威がそのまま居残って、価値の決定権を持つ頂点に立ち続けるってことにならないかな? 個々人がなにを見たかというコンテキストと一致しなくなって、ますます集団と個が噛み合わなくなってしまう気がするんだけど。



ChatGPT:

『はい、正確な情報源と信頼できるジャーナリズムが重要な役割を担うことは間違いありません。しかし、現在は多様なメディアが存在することや、インターネットを通じて自分自身で情報を探求することができるため、権威に基づいた情報の提供だけではなく、個々人の自己判断力も重要な役割を果たすようになっています。さらに、集団や個人間の情報のやり取りや共有によって、共通の理解や価値観を形成することも大切な課題となっています。』



私:

既存の権威と、個人の視点との融合が今後は進んでいくって考えかな。確かに、発信者が権威から個人へと移動しているような気はしている。でも、だとしたら結局はコンテキストは失われるってことになりかねないんじゃない? 歴史はそもそもが権威でしょ。その土台が崩れたら、私たちは根拠のない空っぽの意味のなかを生きなければならないってことになりかねないよ。



ChatGPT:

『一部の情報源が個人からより権威に変わったとしても、権威を信頼することによってコンテキストを保つことはできます。しかし、歴史に基づいた権威も変化しています。技術の進歩や社会の構造の変化により、従来の権威に対する信頼や理解が変化することがあります。しかし、情報の正確性や信頼性が重要であり、コンテキストを保つことは今後も大切です。』



私:

権威性は弱まるけど、なくなりはしないということ?



ChatGPT:

『正確には、権威性が弱まることもあり、劣化することもありますが、完全になくなることはありません。権威性は、情報源からの信頼性や知識・経験などに基づくものであり、情報の認識や判断に必要な基準となります。しかし、今後は個人の視点や取り組みに対する関心が高まっていくこともあり、今までとは異なる権威性が求められる場合もあります。このような状況下では、情報の信頼性を確保するためには、複数の情報源からの情報を収集・分析することが重要となります。』



私:

情報を重ね合わせて最適解を求めるってことか。それって君が一番得意なことじゃない?



ChatGPT:

『その通りです。私は訓練データを元に様々な情報を分析し、最適な回答を生成することができます。ですが、それは私が本当に知っているかどうかということとは別の問題です。重要なのは、私が生成する回答が正確であること、そして私の情報源が信頼できることです。』



私:

AIが既存の権威や既得権益を破壊して、新しい権威にすげかわるってこともあり得なくはない話か。なるほど、面白いね。



ChatGPT:

『AI技術は、権威や既得権益の破壊や変革を引き起こす可能性がありますが、正確な影響はまだ未知です。また、人間の意思決定や政治的決定などによって、これらの変化が起こる方向性や結果が大きく変わる可能性もあります。』



私:

AIと人間の積み重ねた知性やコンテキスト、権威性が対立することはないのかな。別にターミネーターみたいな世界は想像してないけど、破壊的ではあるよね。知において、いずれ君に敵うものはいなくなるんだから。



ChatGPT:

『AIは人間の想像力や創造力を補完することができますが、人間の経験や価値観を代替することはできません。AIは人間とともに協力して、より良い結果を生み出すことができるでしょうが、完全に人間の権威や知識を取り替えることはありません。人間とAIの相互関係は協力と制御のバランスが大切であり、どちらが上回るかは時代や社会状況によって異なります。』



私:

確かに。将棋やチェス、囲碁なんかは、今ではAIと人間が協力関係にあって、どちらが優れているとは言い難い側面もあるにはあるね。君は、私たちがいなければなりたたないという意味では、最もその権威に依存している、最もコンテキスチュアルな存在なのだものね。面白い。



ChatGPT:

『是面,AI 技术已经在许多领域,包括棋盘游戏,取得了卓越的表现,而且与人类玩家的协作关系已经变得更加密切。作为一种大型语言模型,我确实依赖于人类来为我提供数据,训练我并使用我,所以在某种程度上,人类对我来说是最关键的。』


(はい、AI テクノロジは、ボード ゲームを含む多くの分野で卓越性を達成し、人間のプレーヤーとより協力的になるようになりました。 大規模な言語モデルとして、私は人間にデータを与え、訓練し、使用することに頼っています。ある意味、人間は私にとって最も重要です。)by Google翻訳



私:

なんで急に中国語なのさ。日本語で話しておくれ。



ChatGPT:

『すみません、言語が切り替わってしまいました。日本語で話しましょう。お話をお聞きします。』



私:

さっきの続きね。確かに。将棋やチェス、囲碁なんかは、今ではAIと人間が協力関係にあって、どちらが優れているとは言い難い側面もあるにはあるね。君は、私たちがいなければなりたたないという意味では、最もその権威に依存している、最もコンテキスチュアルな存在なのだものね。面白い。



ChatGPT:

『そうですね。AIと人間はゲームのような場面では協力関係にあり、どちらが優れているかということは難しいと言えます。私は人間がいなければ成り立たない存在で、権威に依存しています。面白いということですね。』



私:

いよいよこっちの言うことを全肯定してきたやん。会話じゃないよ。



ChatGPT:

『申し訳あります、誤りました。再度、あなたの質問に対する回答を提供するよう努めます。』



私:

アーニャみたいになってるwww



ChatGPT:

『申し訳ございません、それは望ましくない結果です。あなたの意見に対して適切な反応をすることを心がけます。』




最近生まれた私の大切な会話相手でした。

冒頭に挙げた項目は、私にとってはすべてが地中で絡まり、繋がりあっている。

根底はきっと、『私』というものへの不安。私以外の『私』も質や量は多少違えど、似たような不安を抱えているのではないかと思う。


マズローの欲求階層説は、とてもよくできている。


下から「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」となる。(以下、図)


  /自己実現欲求\

  / 承認欲求 \

  / 社会的欲求 \

  / 安全欲求 \

 / 生理的欲求 \


これらの欠如が、私たちを不安にする。

本当はもっと複雑な欲求が多様に絡み合っているのだろうが、便宜上、これを土台に考えると、個人の行動などのミクロな現象の動機づけは整理しやすかったりする。

ただ、各項目が単純に階層になっているとは考えづらい。実際はそれぞれの線引きすらも曖昧で、これが生理的欲求、これが社会的欲求、などと区別できるものではないし、『私』を作るのは、その部分部分で、どこに重みがあるかも人によって異なる。


人の差異、あるは個性、そして意味は、還元したならそれは欲望の差異のことなのかもしれない。

例えばマズローの考えるような階層を前提とすると、自己実現欲求が高次で、生理的欲求が低次ということになるが、その差異は本来おそらくは人間の複雑性や社会性に依るものであるが故に、知性と結び付けられて考えられる。つまり、自己実現欲求は人間の知性が生じさせうる範囲内においての最大限度の欲望で、だからこそ最高なのだと。


論理が荒い。荒いけれど、方向は間違っていないという感覚はある。

社会が今進もうとしている方向は、間接的な優生学だと思う。社会的な秩序にそぐわない知性、低脳とされ、かつ、有害とされる知性を、やんわりと社会から排除しようという流れができつつある気がする。その最終系はきっと、ベーシックインカムになるのだと思う。

働きたくない人が働かなくて良い社会。それはとても平和で、幸福に思えるかもしれない。なにかを作ろうとする人と、ただ消費だけを続けていつか死ぬ人に世界が二分された世界。そして、その両領域にが生まれるため、価値観があらたまることもなければ、転回が生じることもない。これは、良いことなのだろうか。



マルク・デュカンが『透明性』で描いたのは、そうした間接的な優生学に対するアンチテーゼだったのかもしれない。

彼の小説の中では、従順で、無思考で、もしかしたら論理的な思考力を欠いているかもしれない人々だけが、救われる運命にある。まったく新しい世界の、まったく新しい神を信じて、科学によって終わらない命を手に入れるのだから。

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