👺 天狗の羽団扇(2)不可思議な街

 それから数日後、与兵衛が興奮した面持ちで、商いから戻ってきた。

「どうしたんだい、お前さん」

「驚いたのなんのって。ここから東に行った所に、荒れ地があるだろ?」

「あぁ。確か、天狗野てんぐのとかいったね。土地が瘦せていて、誰も耕そうとしない場所だろ?」

「そうだ。今日その近くを通りかかったんだ。腰抜かすなよ。その天狗野が、大きな街になっていやがるのさ」

「何だって? 女房をからかったって、何も出やしないよ」

「嘘じゃねぇよ。街の入り口まで行ってみたが、ざっと千戸はありそうだぜ」

「そんな大きな街が、いったいいつ出来たんだろうね」

「分からねぇ。でもなぁ、おかつ。千戸もありぁ、さぞかしまきもたくさん使うだろ。こっちの商売だって、繁盛しそうじゃねぇか。どうだい。明日、一緒に行ってみねぇか?」

「そりゃ、もちろん行くさね」


 翌朝、二人はその街を訪れた。

 街は、道が碁盤の目のように整然と作られており、真新しい家々が建ち並んでいる。それらは商家や町屋で、盛んに人が出入りしている。通りをそぞろ歩く人の数も、与兵衛のいる村に比べれば、はるかに多い。

「こりゃ、すげえや」

「いったい、何て街なのかねぇ」

 物怖じしないおかつが、向こうから来た恰幅かっぷくの良い五十絡みの男に尋ねた。

「恐れ入りますが、ものを一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんです。何でしょうか?」

「この街は、何という街でございますか?」

「え⁈ ご存じない! この辺りじゃ、知らぬ者はいないほど、名の知れた街なんですがねぇ。さては、あなた方は、遠くからおいでなすったんですね。奥州おうしゅうあたりですかな? 奥州には、黄金の街があると聞きますな。お二人も、そこから?」

「いえいえ。あたしらは、すぐそこの塩民村しおたみむらの者です」

「これは、奇怪なこともあるものですなぁ。まあ、それはさておき、この街は『よね町』と呼ばれております」

「『よね町』だって!」

 与兵衛の顔に、怯えの色が走った。

「ええ。この街を治めておられるのは、様という、たいそう裕福なお方で、この街の家や道、橋など、すべておよねの方様がご自身の私財を投じて造られたのです」

「そのお方は、どこにおられます?」

「街の真ん中を通っている大路おおじをずっと行った先です。大きな御殿があるのですぐに分かります。およねの方様が暮らしておられるのは、その御殿なのです。お方様は、どなたにも分け隔てなくお会いになられます。もしよろしければ、御殿に行って、会われたらいかがです。お方様に会った人はみな、福が授けられると言われておりますぞ」


「おかつ、どうする?」

「言うまでもないさ。会って、福を授けてもらおうじゃないかね」

「俺は、さっきからちょっとばかし、気になることがあるんだ。嫌な予感がするぜ」

「気になることって、何だい。お前さんは、男のくせに、肝っ玉がちっちゃいからねぇ。街の大きさに、気後れしたんだろ?」

「いや、そうじゃない。ここにいる奴ら、ちょっと変だと思わねぇか?」

「思わないね。何だい?」

「この街にいる奴ら、みな互いに似ていると思わねぇか? 老若男女いろいろいるが、みなどこか同じような顔つきだ。その顔つきってのは、俺のお袋に似てるような気がしてならねぇ」

「馬鹿なこと、お言いでないよ。この街のみんなが、お前さんの兄弟姉妹だとでもいうのかい? そんなこと、あるわけがないさ。他人の空似ってやつだろ」

「それに、およねの方という名前も引っ掛かる」

「婆様も、およねだったからかい? およねなんて、どこにでもある、ありふれた名前さ。それに、婆様はお前さんが、天狗山で焼き殺したんだろ?」

「おい! デカい声で言うな」

「無駄口叩く暇があったら、さっさと歩きなよ」


 やがて、立派な御殿の前にやってきた。

 大きな門の隣に通用口があり、そこは開け放たれていた。

 二人は通用口をくぐり、屋敷の正面玄関の前に立った。

 すると、奥女中風の女が現れ、微笑を浮かべながら、優しげな声で話しかけてきた。

「与兵衛様、おかつ様でございますね?」

「へえ。そうですが、なぜお分かりで?」

「ふふふふ。およねの方様が、お待ちかねでございますよ。ご案内いたしますので、お上がりくださいませ」

 二人は、奥女中の後に付いて御殿の中を歩いた。いくつもの部屋の前を通ったが、どの部屋も、ぜいを尽くした造りであった。

「こちらでございます」

 部屋の襖が、さっと開いた。

「そのままお進みいただき、正面にありますお座布団にお座り下さい。およねの方様は、すぐにお出ましになられます」

 部屋の正面は一段高くなっている。そこが、この屋のあるじの座であろう。

 しばらくして、

「およねの方様、おなり——」

という声がして、上段の間の、横の襖がスーッと開いた。

 貴人が裾を引きながら歩く音がした。二人は、こんな晴れがましい場所に来たことがないので、土下座しながら下を見つめている。

「どうぞ、お顔をお上げなさい」

 どこか聞き覚えのある、老婆の優しげな声だ。

「ははー……。あっ!」

 顔を上げた二人は、わが目を疑った。


《つづく》

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