👺 天狗の羽団扇(3)恐ろしい結末

 顔を上げた二人は、腰を抜かさんばかりに驚いた。二人の前にいるのは、他でもない、与兵衛の実母・およね、その人だった!

「かか様!」

御義母おかあ様!」

 と言ったきり、二人はしばらく口もきけない有様だった。

「ふふふふ。驚いたかえ?」

 目の前のおよねは、昔の襤褸ぼろをまとった蓬髪の老婆ではなく、貴族の女を思わせるような美しい着物に身を包み、白髪ではあったが、長い髪を後ろに垂らしている。どこから見ても、貴族の夫人である。

「言っとくが、あたしゃ、幽霊ではないよ」

 前についた与兵衛の両手が、ブルブル震えている。

「あの時は、死ぬるかと思ったよ」

 およねは笑って言うが、その目は笑ってはおらず、与兵衛とおかつを交互に睨みつけている。

「二人とも、どうしたんだい? 久しぶりに、会えたというのに」

 二人の頭は混乱し、何と言っていいのか皆目見当も付かない。

「あたしがどうやって助かったのか、知りたいだろ? え?」

「は、はい」

 およねは、あの日のことを話し始めた。


  *


 迫りくる炎の中で、およねは死を覚悟した。

「なんまいだ、なんまいだ……」

 手を合わせ、念仏を唱えた。

 すると不思議なことに、火の勢いが弱まっていき、やがて消えてしまった。

 およねが燃え残りの中で呆然としていると、人の気配がした。 振り返ると、そこにいたのは、一人の異形の者であった。

 身の丈は七尺(2m余)ほどもあり、いでたちはまるで修験者のそれだった。頭には頭巾ときんを付け、鈴懸すずかけと呼ばれる上着に、結袈裟ゆいげさの玉が見えた。手には錫杖しゃくじょうを持ち、足ごしらえは脚絆きゃはん地下足袋じかたびであった。

 しかし、著しく人と異なる部分があった。顔面は真っ黒で、鼻から口にかけて烏のような鋭いくちばしになっている。

 およねは、これはこの山に住むという烏天狗からすてんぐだと思った。

 だから、そのものを正視することは避け、伏し拝みつつ、一心に念仏を唱えていた。

 すると、どこからともなく、威厳のある声が聞こえた。

「お前は、塩民村のおよねであるな?」

「はい、そうでございます。わたくしめをお救い下さったのは、あなた様でございますか? 誠に有難き幸せにございます」

 天狗はおよねの問いには答えず、

「今日は何用あって、天狗山に来た?」

 お米は、ありのままに話した。

「そうか。では、一両日、その小屋で待つがよい。もう燃えぬから、安心せよ」

 そう言い残して、天狗は空に飛んでいった。小屋は、燃える前の姿に戻っていた。


 2日ほどして、天狗が戻ってきた。

 天狗は烏の姿に身をやつし、与兵衛宅の屋根に留まって、与兵衛・おかつの会話を聴き取ったのだった。天狗は聴いたことを、包み隠さずおよねに話した。

はかりごとを巡らしたのは嫁、手を下したのは、お前のせがれじゃ」

「えー! な、何ということを……」

 にわかには信じ難かったが、神通力を持つという天狗の言うことに嘘はないと、およねは思った。

「己の倅に背かれるとは、お前も哀れじゃのぉ。よし、お前にこれをやろう」

 天狗は懐から羽団扇はうちわを取り出し、およねに与えた。

「『大天狗様、我が願い聞き届けたまえ』と念じながら、この羽団扇を一振りすれば、何事も叶わぬということはないのじゃ。では、末永く達者でな」

 そう言い残すと、天狗は空高く舞い上がり、いずこともなく消えた。


  *


「それでわしは、天狗からいただいた羽団扇を使って、千戸の街や御殿を造ったのじゃ。両名、驚いたか。ははははは」

 その笑い声は高らかに響き渡り、人のものとも思えなかった。

 与兵衛とおかつは、震えあがった。母とはいえ、謀の真相を知ってしまったからには、どんな仕返しをされるか分からない。

 たがいに目配せすると、脱兎のごとく駆け出した。玄関を出て、およね町から逃げ出した。しかし、追ってくるものはいなかった。


 無事家に逃げ帰ると、おかつは自分の悪行を棚に上げて、散々悪態をついた。

「ちくしょー。あのばばあ、自分だけいい思いをしやがって」

「あの街には、二度と近付くまいよ」

「ふん。だからお前さんは、いつまで経っても、柴売りなんかしてるんだよ」

「と言われてもなー」

「あたしに、いい考えがある。耳を貸しな。烏天狗に聞かれると、おじゃんだからね」


 それから数日後、与兵衛とおかつは、天狗山に登っていった。

 以前およねを連れて行った、茅作りの小屋に到着した。

「いいかい、婆さんにしたのと、寸分たがわず事を進めるんだよ」

「分かった。だが、本当に大丈夫なのか? もし、天狗が出てこなかったらどうする? 天狗は、俺たちがした悪さを、知っちまってるんだろ? 助けてくれるかな?」

「あー、じれったいねー、お前さんという人は。首の上に載っているのは、カボチャかい? どうにでも言い繕えるだろ。深く罪を悔いて、火に焼かれることにしたとか。羽団扇をせしめれば、こっちのものさ。天狗もあの世に送ってやる」

「はー。なるほどね。お前は凄いね」

「何がさ」

「よくもそう次々と、悪知恵が湧いてくるもんだ」

「悪知恵とは何だ。それに、火に焼かれたら焼かれたで、あたしゃ構わないよ。こんな貧乏暮らし、ほとほと嫌になった。死んだら、あの婆さんに取りいて、取り殺してやる」

「くわばらくわばら」

「さあ、始めるよ」

 おかつは小屋に入り、与兵衛はかんぬきをかけた。

 小屋の周りに柴を置き、火を点けた。

 火はたちまち勢いを増し、小屋の高さにまで達するようになった。

 しかし、天狗は現れない。

「お前さん、熱いよ。だめだ、閂を外しておくれ!」

「分かった」

 しかし、なぜか閂はびくともしなかった。

「ギャー」

 凄まじい叫びを最後に、おかつの声は聞こえなくなった。

 火は小屋全体を包み込み、やがて小屋は焼け落ちた。


 数日後、与兵衛、おかつの姿が見えないことに気が付いた村人が、総出で天狗山を探した。

 小屋の焼け跡から、おかつとみられる焼死体が見つかった。

 しかし、与兵衛の行方はようとして分からなかった。

 やがて村人は、与兵衛は烏天狗にさらわれたのだと囁き合った。


《「天狗の羽団扇」 完》


※ 本作品の執筆に際し、下記文献を参考にしました。

 みんわの会編「昔ばなし豆辞典」:鳥越信編『目でみる日本昔話集』文春文庫ビジュアル版(文藝春秋、1986年)所収。

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